東京-大阪 単身赴任 旅物語

2003年10月1日から2012年9月30日まで経験した単身赴任。帰省旅行の思い出と、お得情報を綴っています。

GWの帰省旅行は鉄道で(復路その1)

2012-05-11 21:34:49 | 寝台列車

復路:5月5日(土)      →大阪   :関空/紀州路快速 大阪   →直江津  :臨時急行きたぐに 直江津  →長野   :快速妙高2号 長野   →大宮   :あさま506号 大宮   →新宿   :湘南新宿ライン逗子行き 新宿   →八O子  :特急かいじ 運賃:?

今回の帰省旅行では、復路でも、絶滅危惧種に指定されている夜行列車を使う。

従って、夜行明けの休息が必要なので、ゴールデンウィークを一日残して、5月5日(土)夜に帰京の旅に出ることにしている。

利用する乗車券は、所謂、一筆書きの(長距離)きっぷ。八O子を起点にして、中央本線、東海道新幹線、東海道線、草津線、関西本線、大阪環状線、東海道線、湖西線、北陸本線、信越本線、長野新幹線を経由して、大宮に至る(実際には、草津から自宅最寄り駅までは、東海道線経由の別の乗車券で移動)。

これで¥14,600だから、色々な追加乗車券を加えても、単純往復よりは少は安くなっている。

有効期限は、4月28日から5月5日までの8日間。従って、5月5日の夜に大阪を出発し、24時を超えた段階で有効期限が切れてしまうのだが、継続乗車船制度によって、途中下車しない限りにおいては、目的地の大宮まで乗車することが可能。なお、目的地を八O子としなかったのは、5月6日、大宮~八O子間のルートが未定かつ、どこかで途中下車することを想定しての事である。

一筆書きの(長距離)きっぷは、JRのルール通りではあるが、特殊な?きっぷであるので、発券にはそれなりの準備(ルートを記載したメモ)が必要だし、準備万端で臨んだとしても、みどりの窓口を10分位占領することを覚悟しなくてはならない。

そのため、窓口が一つしか無い小さな駅での発券は止めておいた方が無難だろう。


旅支度をして、関空/紀州路快速で大阪へ出る。遅い時間帯だが案外乗車率は高い。

大阪で降りて、構内のコンビニで翌朝の食料を調達しようと思ったが、工事中で閉店。当てが外れてしまった。

トイレを済ませて、11番ホームへ上ると、今まさに列車が入線するところであった。23時27分発にもかかわらず、23時5分頃には入線させるとは早い。入線を見届けるつもりが、こちらも当てが外れた。

所定の寝床について荷物整理をしていると、早くも検札があった。大阪停車中の検札はありがたい。

今宵の宿は、臨時急行きたぐにB寝台下段である。

サイバーステーションで空き具合を見ると、グリーン車が×、B寝台は○になっていた。新大阪や京都から乗車する人も居るので、確かな事は言えないが、空いている寝床もいくつかあった。

それにしても、グリーン車が満席とは意外である。とB寝台との値段差は殆ど無いので、それほどゆったり感のないきたぐにのグリーン車で一夜を過ごす位なら、例え、上段や中段であっても体を横たえる事のできる、寝台の方が楽だと思うのだが。

小生、上りのきたぐにには2度乗車した事があるが、下りのきたぐにに乗車するのは、今回が初めてである。加えて、過去2回とも、上段が無い中段を利用した。

583系電車は、車両の構造上、パンタグラフの下には上段が無い区画がいくつかあって、通称、パン下中段と呼ばれている。寝台料金が安い上に、専有空間が広くお得な寝台となっている。

しかし、今回は、ひょっとすると最後の機会になるかもしれないので、ベッド幅が広い下段にした。きたぐにでは無いが、34年前の1978年3月25日、583系のB寝台下段で一夜を過ごした事はある。九州方面から大阪に向かう彗星?号だったか??


B寝台下段は、パン下中段ほどヘッドクリアランスが無いが、首を曲げると座る事もできるし、何よりも大きな窓を独り占めできるのが良い。窓側では、上方空間に若干の余裕があるし。

ただ、今回、しくじったのは、予約の時、海側を指定しなかった事である。気づくのが遅かった。

23時27分。臨時急行きたぐには定刻に大阪駅11番ホームを後にする。

通路のカーテンを閉めて読書灯を消して、窓のカーテンを開ける。電車B寝台下段の大きな窓に映る車窓を独り占めである。

鉄道唱歌のオルゴールが流れ、到着駅のアナウンスが始まる。この瞬間がたまらなく良い。鉄道の旅の醍醐味である。

583系月光形電車寝台、その足取りは、積年の疲労を感じる事などまるでなく、非常にしっかりしたものであった。正直言って、B寝台下段故、走行音やガタに苛まれることもある程度覚悟していたのであるが、それは、全くの杞憂に終わった。

防音も完璧に近い。

単純比較できないが、サンライズ瀬戸ビジネス個室下段に乗車した時には、レールのジョイント音に辟易したのだが、今回の旅ではそのようなことは全くなかった。

40年前の設計が非常に優秀だったのだろう。

決して、夜の東海道線を新快速の邪魔をしながらトロトロ走っている訳では無い。年季の入った、落ち着いた、しかし意外と軽快な走行である。

こんな事なら、定期列車は無理としても、繁忙期にはしばしば登場することを期待したいのだが。

次の停車駅新大阪からも結構な数の乗客があった様である。

そして、明日の事を考えて、アイマスクと耳栓を装着し体を横たえて眠りに就こうとする。ベッド幅が広いので非常に快適である。

しかし、予想通り、久々の寝台列車の旅で、気持ちが高ぶっているためか寝付きが悪い。

暫く目を閉じていたが、次の京都までの道のりは長く感じた。

京都出発後おやすみ放送があった。そして、湖西線に入った頃に、意識を失った様である。

お客さん、まもなく富山です。と、囁く車掌さんの声で目が覚めてしまった。時刻は3時過ぎ。そうだった、車掌さんにお願いしておけば起こして貰えたはず。

小生は、4時55分の直江津で下車する。おはよう放送は5時30分頃らしいので、携帯のアラームではなく、小生も予めお願いしておけば良かった。

その後、もう一眠りして、糸魚川を過ぎた4時30分頃、自力で起きた。

荷物を整理して、寝床を片付けて、トイレを兼ねてデッキに立つ。

ここから暫くの間、寝ぼけた眼差しで日本海の風景を眺めることにした。列車から見る日本海は久しぶりである。急行能登で眠れぬ夜を過ごした時以来か。

夜明け間近のどんよりとした空の下に、灰色の海が広がっている。たしかに日本海である。

海沿いの景色が民家の屋根の向こうに回り、暫くすると、直江津駅構内に入った。

大阪から直江津まで、約5時間半の寝台列車の旅。

ここで、臨時急行きたぐにに別れを告げて、ホームに降り立つ。小生が、きたぐにに乗車するのも、これが最後の機会になる可能性が高い。

定期列車が臨時列車になって、その後自然消滅した例は推挙に暇がない

かつて小生も乗車した臨時急行ちくまがそうだったし、臨時急行能登に至っては、ゴールデンウィークという繁忙期ですら運行されなくなってしまった。

夜間、睡眠中に移動するという根強い需要に対して、JR各社とも本気で応える気が無い以上、どうしようも無い

そんな思いで、臨時寝台急行きたぐにの後ろ姿を見送っていた。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寝台急行銀河、JR東海の下手くそ運転で眠れず

2006-08-15 22:22:00 | 寝台列車
復路:8月15日(日)
   →大阪 :関空快速
大阪 →東京 ;寝台急行銀河
東京 →   :中央線快速高尾行
運賃:¥16,240-オレンジカード¥2,000分

お盆休みのUターン。今年は、寝台急行銀河で優雅に帰京することにした。

今年に入って、2度目の銀河。多少値が張るけれども、この時期、新幹線も飛行機も割増料金である。その点、寝台急行銀河の運賃は変わらない。それに、えきネットのポイントが貯まってオレンジカードを入手したのと、J-WESTポイントが早くも5000ポイントを越えたことも、背中を押してくれた。まぁ、飛行機に例えるとマイレージを利用したみたいなものである。休日21時過ぎまで自宅でゆっくりできるし、たまには贅沢をするのも悪くはないだろう。

いつ、廃止を告げられても不思議ではないブルートレイン。せいぜい今の間に乗っておきたい。

しかし、これは、ある意味言い訳で、本当の事を言うと、サンライズ瀬戸または出雲のソロを狙っていた。個室寝台の方が明らかに快適であるからで、それが、銀河になってしまったのは、次のような事情があった。

1ヶ月前の7月15日10時に、5489サービス予約電話を入れる。やはり話し中である。数分後、ようやく、電話が繋がった時には、既にサンライズは満席となっていた。あぁやっぱり。そんなことなら、JR西日本の事前予約サービスを申し込んでおけば良かったと少し後悔した。

そこで、第2希望の寝台急行銀河のA寝台下段を申し出たのだが、そこも満席。普段なら考えられないことである。A上段には空きがあったが、元より眼中にはない。急行きたぐにパンタ下のお得な寝台と似たような雰囲気であるにも関わらず、料金はかなり高くなっているからである。結局、銀河のB寝台下段で妥協せざるを得なかった...
銀河なき今は、快適な夜行バスで移動。予約はこちらから


コンビニで旅支度を整える。さて、当日、21時15分頃に自宅を発つ。墓参も無事済ませたし、18きっぷを使って子供達と日帰り旅行にも行けたし、比較的充実した盆休みであった。

関空快速で阪和線、大阪環状線を経由して大阪で降りて、駅通路内にある、Heart-inで睡眠薬他を購入し、銀河が発車する10番線に上る。

異様に人が多い、大阪駅9番10番ホーム。次の22時20分発の新快速がすぐ隣の9番線から出発するため、銀河を待つ旅行客と、新快速を待つ行楽客とが入り乱れて、このホームにしては珍しく活況を呈している。

今宵の銀河は8両編成とのこと。恐らく、満席に近いのであろう。

向かい側の11番ホームで、急行きたぐにを待つ人々。また、向こう側に見える12番ホームでは、23時30分発の急行きたぐにを待つ乗客が少なからず居る。

発車まで1時間以上あるのに、随分と気の早いことである。既に自由席の場所取りも始まっているようで、自由席乗車位置の荷物の列が見えた。

銀河は新快速の2分後に発車。新快速は、銀河より2分早く大阪を出発し、米原には6分も早く到着する。新快速の足手まといにならないように銀河の運行ダイヤが組まれている訳である。

当初、青春18きっぷが余りそうなら、この新快速で米原まで行き、そこから銀河に乗ることで、18きっぷを有効活用することも考えていた。


さて、22時15分頃、寝台急行銀河がゆっくりとホームに入ってくる。見るからに堂々としている。ブルートレインの貫禄は今だに失われてはいないようだ。

今宵の乗客は家族連れが多い。きっと、関西の夜をゆっくりと楽しんだ後に、東の方へ戻るのだろう。小中学生が盛んにシャッターを切っている。

銀河@大阪駅悪気は無いのだろうが、機関車に向かってフラッシュを炊いてしまう愚か者もいる。構内放送で注意を呼びかけた方が良いのではないか? それとも、注意したところで所詮無駄なので、諦めたのだろうか。




銀河@大阪駅今宵の宿は、寝台急行銀河である。

小生の区画には、既に先客が居た。両親と小学生の男の子と小学校前の女の子からなる家族連れのようであった。家族旅行だと、どうしても荷物が多くなるのは理解できるのだが、行き場のない区画の中でガサゴソされるのは気分が悪い。それでも、子供の躾は比較的行き届いているようなので、今だけの辛抱であろう。大体、我が身を振り返ってみると、あまり、偉そうなことは言えまい。

カーテンを半分引いて、ベッドの上であぐらをかいて、睡眠薬を飲みながら窓から駅の様子を伺う。

そうしているうちに、発車時刻となり、きわめてゆっくりと、あたかも絹のような滑り出しで、大阪駅から離れていく。巧い引き出しである。今宵の機関士はベテランと見た。この調子で終点東京まで運転してくれたら、安眠は確実なのだが...

ハイケンスのセレナーデに始まる列車案内が放送される。客車そのものが間もなく廃止になろうとしている今、このオルゴールの音色は貴重なモノの様に思えてならない。

大阪、新大阪間を走行中の銀河からの車窓5分後、新大阪に到着。ブレーキ操作も滑らかである。昔は、これが当たり前だった。小生も、若かりし頃から、何度か寝台列車を利用してきた。客車の普通列車では、ガクンというショックはあったが、こと寝台列車に関しては、ガクンというショックは余り記憶にない。オーバーランなど、全く無縁の世界であった。

茨城を通過する頃、ようやく、検札がまわってきた。普段なら、大阪駅停車中に検札が終了しても不思議ではないのだが、やはり、今宵は、満員に近く、検札に手間取っているのだろう。

向かい側の親子連れは、寝台券を2枚しか所持していないようで、車掌があれっと言う顔をした。もちろん、小学生以下の子供との添い寝はOKなので、それでも良いのが、幅が狭いB寝台で、中肉のお母さんが小学生の男の子との添い寝するのは、いかにも無理がある。折角だから、一人前の寝台を与えてやれば良いのに。

程なく、銀河は、京都駅0番ホームに滑り込む。新快速には、まず縁のない0番ホーム。スピードでは負けても、優等列車の面目躍如である。

ここで、ホームに座りこんで、駅員に介抱されている酔っぱらいがいた。そして、まさかと思ったのだが、その酔っぱらいは、駅員に抱えられて、銀河に乗り込んで来るではないか。しかも、気を緩めた拍子に、ドカッと通路に倒れ込んでしまい、駅員が慌てて、肩を担いで起こす。

お客さん、大丈夫ですか? お客さんの席は、ここですからね。と吐き捨てるように言って、なんと、小生の隣の区画に押し込められたのだった。

いくら、寝台列車に乗車するからと言っても、そこまでベロンベロンになることは無いだろう。これでは、先が思いやられると、気が重くなったが、件の酔っぱらいは、大声で叫くでもなく、大鼾をかくでもなく、おとなしく寝ていたようであった。

トンネルを越えて、大津に到着。睡眠薬が効き出してきて、早く眠りたくなってきた。普通なら、大津を出発すると直ぐにお休み放送があるのだが、どうしたことが、今宵に限ってはそれが無い。

そうすると、石山を過ぎたあたりで、漸く、お休み放送が流れる。これで安心して眠りに就くことができる。何となく、意識が遠のいて行く自分を感じながら入眠...
銀河なき今は、快適な夜行バスで移動。予約はこちらから


ガックン

夜中、非常に大きなショックで目が覚める。何かあったのか? もしや、また事故? 一瞬そう思ったが、列車は徐々にスピードを上げていく。単なる発車時のショックであった。

ところが、それからが、困った。熟睡し過ぎて眠れないのである。喉が乾いたのでペットボトルのお茶を飲む。それでも眠れない。

そのうち、トイレに行きたくなった。まだ、夜中の3時である。さすがに、通路に出ている者はだれも居ない。見ると、件の酔っぱらいの区画に3つ空きがあるのを除いて全て埋まっている。普段なら全く考えられない盛況ぶりである。

古い車両の割には、トイレや水回りの設備の手入れも行き届いており改めて感心した。

寝台に戻り、さて、これで、もう一眠りしようとするが、やはり眠れず悶々と過ごす。しばらくすると、列車はスピードを緩め、再び、ガックンというショックとともに停車する。

あぁ、もう、富士まで来てしまった。

結構、長い時間停車した後、ガックン、と押されて体が移動してしまう位大きなショックの不意打ちをくらって、列車は出発する。この運転は下手を通り越して危険である。上段に子供が寝ている寝台もある。ベルトの隙間から落ちて怪我でもしたらどうする。

大阪出発時の見事な運転ぶりとは比べものにはならない。恐らく、小生が熟睡している間、米原で機関士が交代したのだろう。ったく、この機関士、自分自身、乗客として客車寝台列車に乗ったことが無いのではないか?

その後、ウトウトとしかかったと思ったら、沼津でガックン、同じく熱海でガックン、小田原から少しはマシにはなったが、やっぱり、カックン

ガックン、カックンで、とうとう、おはよう放送が流れてきた。そんなもの聞きたくもない。

こうなったら、東京で車掌に起こしてもらうまで意地でも寝ていようと決心したのだが、向かいの家族連れは、どうやら横浜で降りるようで、起き出して、ガサゴソやり始めるため、とても眠れたものではない。

とうとう、品川に到着。あと、7分で終点東京である。

東京到着案内中の車掌仕方なく、起きて下車準備を始める。荷物をまとめてデッキに出ると、ちょうど車掌が、東京到着の案内放送を行っているところだった。へぇー、ここから放送していたのだ。JR東海機関士の下手くそな運転ぶりを直接訴えたかったが、担当車掌はJR西日本である。たらい回しにされるのが嫌だったので、止めておいた。

何度か経験したように、眠れぬまま、東京駅に到着し、重たい足取りで中央線の長い長いエスカレータを昇っていく。そして、ホームで口を開けて待っている、高尾行き快速に飛び乗って、車両端の座席に座る。この席が二度寝の場所となるはすである。

まだ、6時台なので車内は比較的空いている。後、30分もすれば激しい混雑となるのであるが。

目を閉じていると、予定通り、吉祥寺あたりで意識を失い、気が付くと、立川停車中であった。随分すっきりした。そろそろ、降りる準備をしないといけない。

その後、会社で洗面し、休み明けの仕事を粛々とこなしていく。3時間程度しか眠れなかったのであるが、体を横たえていたためか、不思議と眠気は感じない。本当に不思議である。小生の体、一体、どうなっているの?

それにしても、あの、JR東海の機関士の運転は下手くそ過ぎる。銀河に乗るのは、基本的にはビジネスマンである。銀河に乗る必要があるから乗るのであって、無駄に、のぞみより高い金を払っているわけではない。それを、あんな下手くそな機関士に運転させて、安眠妨害をするなら、銀河の利用価値は無くなってしまう。

さすがに、JR西日本区間では、自社の列車ということもあるのだろう、運転は極めて上手であった。しかし、深夜帯を担当するJR東海の運転がこのような状態では、

寝台料金を返せ

と言いたくなる。

客車寝台列車銀河廃止は、カウントダウンが始まっていると言っても過言ではない。また、寝台列車を牽引したことのある機関士が少なくなってきているのも理解はできる。

しかし、銀河を必要とする人々は居るし、現に運行している以上は、機関士にそれなりの訓練を課すのが鉄道会社の使命だろう。JR東海はそれが出来ていないのではないか。

利用者離れを加速させ、廃止を正当化させるような、あのような仕打ちは金輪際、止めてもらいものである。
銀河なき今は、快適な夜行バスで移動。予約はこちらから

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寝台急行銀河で大阪へ

2006-01-12 23:00:00 | 寝台列車
往路:1月12日(木)
八王子→東京 :中央線快速
東京 →新大阪:銀河B寝台下段
新大阪→明石 :スーパーはくと1号
明石→    :快速米原行き
運賃:約¥31,000(周遊きっぷ京阪神ゾーン;+指定券、寝台券)

久々の大阪出張ということもあって、少し贅沢をした。

今宵の宿は寝台急行銀河である。

新幹線で大阪出張するなら、遅くとも19時には仕事を切りあげる必要があるが、銀河なら21時近くまで粘ることができるのはありがたい。

もちろん、一度、東京宅に戻り、ひと風呂浴びることを忘れない。時間的にも金銭的にも、八王子から横浜線経由で銀河に乗った方が少し有利なのだが、始発から乗り、寝台列車の旅をゆっくりと味わいたかったので、中央線経由で東京に出る。

東京駅で、飲み物と朝食、そして子供達へのお土産を購入、そして、9番ホームのベンチで列車の到着を待つ。ホームの向こうに目をやると、静岡発19時35分の東京行き特別普通列車が到着していた。1時間後ムーンライトながらに化ける列車である。さすがに、仕事でムーンライトながらは使う気にはならない。

22時45分頃、きわめて、ゆっくりとしたスピードで、神田方面から9番線ホームに銀河が入線する。木曜の夜ということもあって、今宵の銀河は6両と非常に短い編成である。おまけにガラガラで、嬉しいような悲しいような複雑な気持ちになる。私の乗る車両では東京から乗車したのは、たったの3人。もちろん、1ボックス占領である。車掌の検札も一瞬で終わる。

古い車両ではあるのだろうが、手入れが行きとどいており、非常に清潔感がある。寝ごこちも悪く無い。車両中央部の寝台を指定したので発車のショックも気にならない。さすがに夜行バスの2倍の値が張るだけのことはある。願わくば、青森行きの特急あけぼののようにB寝台はゴロンとシート化して欲しい。そうしたら、値段的に夜行バスに十分対抗でき、週末は満員御礼となるだろうに。

久々のブルートレインで、子供のようにはしゃいでしまい、人がいないことを良いことに、車内の写真を撮りまくる。そうこうしているうちに、発車のベルが鳴り渡り、ゆっくりと、ゆっくりとしたスピードで、銀河は、東京駅ホームを滑り出る。


ハイケンスのセレナーデに始まる車内放送は、遠い日に聞いた。しばらくは車窓に目をやり、郷愁にふける。同じ景色でも、寝台列車から眺めると、また、違った風に見える。

横浜を発車し、おやすみ放送があり、照明が減光されたのに伴って、耳栓とアイマスクを掛けてカーテンを閉める。昨夜の睡眠不足や睡眠薬も手伝って、途中、一度も目覚めることもなかった。

翌朝、恐らく、草津か石山あたりで目覚める。寝台は、暑いくらいに暖房が入っているものと思っていたが、案外寒い。毛布の中で丸まっていると、おはよう放送があった。6時間半以上は眠ったと思うのだが、少し寝足りないのは計算どおりである。

京都到着。

本格的に起床して、昨夜購入済みの朝食を食し、喫煙車でニコチン補給をし、洗面所で身支度を整える。到着前は、荷物整理でバタバタするものであるが、ボックスを占領しているので、気兼ねすることはない。

今朝は、終点の大阪ではなく、一つ前の新大阪で下車し、スーパーはくとに乗りかえる。と、言うのも、出張先には9時半に行くことになっているため、ゾーン内特急自由席乗り放題という周遊きっぷのメリットを活かして、時間調節と睡眠補充をしようとする魂胆である。別に鳥取まで出張する訳ではない。

スーパーはくとが5両で到着。前2両が自由席である。京都始発であるが、案外、新大阪で降りる人も多く、余裕で着席できた。もちろん、窓側であり隣は空席である。大阪から結構、多くの乗客が乗り込んできた。やはり、新大阪で乗り換えて正解だった。

リクライニングを倒して睡眠補充に努めるが、車窓が楽しくて眠れない。これは誤算だった。結局、居眠りをあきらめて、周遊きっぷゾーン西限の明石で下車する。

次に、京都方面の快速列車に乗り換え逆行する。新快速でなく快速を選んだのは、確実に着席して睡眠補充するためである。しかしながら、平日朝のラッシュアワーであるため、12両も繋いでいるくせに、車内は非常に混雑しており座れはしない。しかし、新快速に連絡する神戸では予定通り着席でき、後は、目的地まで再び眠って移動する。

3年ぶりの銀河は、快適だった。

いつまで、運行が継続されるのか、全く余談を許さない状況だが、次の出張の機会にもぜひ、銀河を利用したい。夜行バスやムーンライトながらとは違って、足を伸ばして横になって眠ると翌日の疲れが全く違う。本当の意味で、眠っている間に移動したいなら寝台列車しかないと思う。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北陸廻り-避けるべき選択肢

2005-11-25 23:53:00 | 寝台列車
往路:11月25日(金)
八王子→川越:八高線普通
川越 →大宮:埼京線通勤快速
大宮 →長岡:Maxとき339号
長岡 →大阪:寝台急行 きたぐに
大阪 →  :関空快速


当初は、2回続けて能登+サンダーバードで帰阪するルートを考えていた。しかし、所用のため11月26日(土)朝8時頃までには帰宅することなり、そのため、北陸廻り2周目は上越新幹線→きたぐにB寝台と、かなり贅沢に? 帰阪することにした。周遊きっぷアプローチ券(行き券、帰り券)を大回り切符にして、運賃をコストダウンしたからこそ、可能になった方法である。

今宵は、予定していた会議が珍しく早く終わったため、切符の額面通り八高線、川越線経由というローカル線に乗って大宮に向かう。

東京で暮らし始めて2年以上経過するが、このルートで大宮まで行くのは初めてである。鉄道ヲタクではないので、未搭乗路線を征服しようという気持ちなど、さらさらないし、できるだけ、さっさと行きたいところだが、何せ、今は、夕方のラッシュアワーである。この時間帯、中央線なら辛うじて座れても、新宿から大宮の帰宅ラッシュは避けることはできないだろう。それを考慮すると、空いているローカル線というのは、それほど悪い選択肢とは思えない。

しかし、最初の八高線は、東飯能までは立ち席となる。もうすこし、早く空くかと思っていたが意外だった。首都圏のラッシュを侮ってはいけない。まぁ中央線や、新宿大宮間を立ち続けることを考えると、充分許容範囲内であるが。

今回は、大宮から新幹線に乗る。前回、きたぐにに乗車した時には、新宿から湘南新宿ラインで高崎まで乗り通したが、正直、疲れてしまった。快適さを目指すなら、普通車グリーン車という選択肢はあるが、グリーン料金を払うくらいなら、大宮から新幹線に乗っても料金は変わらない。

そこで、今回は、大宮でMAXときに乗車。予定では1本遅い臨時のときに乗車する予定だったが、前回と全く同じ新幹線に乗るのも芸のない話である。そこで、あえて、悪評の高い2階建て新幹線に乗り、実態を確かめようと思った。

2階席は特に酷いというのは知ってはいたが、1階席は既に埋まっていたので、仕方なく階段を昇る。2階席も混んでいたが、かろうじて、先客一人だけのシートの通路側を押さえることができた。一応、3人掛けのシートを2人で使ったことになるので、それなりにゆったりとはできたが、車内を見渡すと、3人がけのシートに3人びっしり座っている箇所が殆どである。東京~高崎間はそれなりに需要があるのだから、JR東日本は、殿様商売をするのではなく、編成を長くするか、列車本数を増やすべきであろう。

子供受けを狙ったように思われる外観とは裏腹に、2階席の3+3、センターアーム無し、リクライニングもしないシートは、高度成長期の日本を彷彿させる詰め込み具合である。さすがに、シートピッチはそこそこあるが、シート下が塞がっているので足が伸ばせない。そして、一番困ったのは、ペットボトルの置き場が無いことである。背面には雑誌を留めているベルトしかなく、これでは役に立たない。普通、網袋くらいあるでしょう。3+3のシート配列が悪いと言わないが、新幹線特急料金を取る以上、せめて、飛行機並の設備にしてもらいたいものだ。

とはいっても、高崎以遠は比較的空いてきたので、まぁ許そうかなぁという気分になる。前回高崎から新幹線に乗車したのは実に正解だった。しかし、大宮~高崎の混雑や、チンタラチンタラ時間をかけてゆっくり進む普通列車での移動を考えると、どっちもどっちである。

結局、平日夕方はどのような手段を使っても、高崎まで移動には苦痛が伴う。とすれば、いっそのこと、クロスシートの八高線ディーゼルカーで高崎まで行くのが、時間はかかるが、一番安くて快適なのかもしれない。



長岡で新幹線を下車。

今宵の宿は、寝台急行きたぐにである。

列車の到着まで1時間近くあるので、新幹線待合室で過ごす。在来線のそれに比べると、随分ときれいである。しかし、新幹線最終列車が発車した後は、いつ、追い出されるか分からないので、連絡通路のベンチに移ってきたぐにの到着を待つ。

到着5分ほど前に、ホームに降りる。今宵は、自由席乗車口に5、6人の列ができている。前回より、乗客が多そうである。そういえば、サーバーステーションで、今宵のきたぐにの予約状況を何の気なしに見てみると、グリーン車△、禁煙B寝台△となっていた。今宵は乗車率が高そうである。また、本日は12両で運転とのアナウンスも流れている。入線する時に自由席4両の混み具合を観察したが、通勤客に混ざって、旅行客とおぼしき人々も結構いる。ほとんどのボックスが2名乗車、1人だけのボックスは少なく、空ボックスは1つしか確認できなかった。

実のところ、金銭的な面から、今回は、寝台を利用すべきかどうか、かなり迷ったのであるが、空いていたとしてもボックス占領までは難しいと踏んでいたので、結局、寝台で帰阪することにした。もちろん、8号車のお得な中段を押さえている。また、寝台の造りは前回の旅で把握しているので、鞄やコート、上着の置き場に迷うことはなかった。

長岡を発車して、おやすみ放送があった。前回と異なり、後で検札にいくと明言していたので、直ぐに眠らずに検札を待つ。

検札後、アイマスクと耳栓をして眠る。通路を人が通る時に、どうしてもカーテンに触れてしまい、蛍光灯の光が寝台に入ってくることがあるので、アイマスクはあった方が良いだろう。

その後、気が付くと、直線区間を快調に走っているようなので、東海道線に入っているのかな?と思ったら、案の定、大津到着手前のおはよう放送が流れてきた。あと、30分は眠れるので、寝返りを打ったものの、

...本日は、自由席混み合いまして、ご迷惑をおかけします...

という放送に聞き耳を立ててしまった。やはり、こういうこともあるのだ。もし、自由席を選んでいたら、どうなっていたことか?? 長岡では、一応2席占有して着席できただろうが、真夜中の金沢か福井あたりで、席の一つを明け渡す羽目になり、そして、停車駅毎に立ち客で混雑していく中、熟睡できず憂鬱な気分で帰阪することになっただろう。高くはついたが、寝台を選んで本当に良かった。金曜日のきたぐに自由席で大阪入りするのは、ちょっとリスクがあるように思える。少なくとも、グリーン車が△になっている時は、避けた方が良さそうだ。

京都を出てから、再び眠ろうとするが、結局、眠れないまま終点大阪に到着。

ところで、大阪到着前に流れた車内放送...本日もJR線をご利用下さいましてありがとうございました...で、JR線という言い回しが非常に気になった。

そうか、JR東日本の車掌が夜通し勤務しているのか、だから、JR西日本をご利用下さいまして、とは言わないのだ。そういえば、JR西日本が車掌をしている寝台特急北陸では、上野を発車した後に...本日もJR線をご利用下さいましてありがとうございます...と言う。それと丁度、逆の関係だな。きっとJR各社間で申し合わせがあるのだろう。と、つまらないことに妙に納得して、列車から降りる。

ビルの谷間から陽が射し込む、清々しい朝である。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月の長い旅(3)

2005-09-22 23:53:00 | 寝台列車
往路:9月22日(木)
日野→新宿:中央特快
新宿→渋谷:山手線
渋谷→高崎:湘南新宿ライン
高崎→長岡:とき399号
長岡→大阪:急行きたぐに

長い旅もいよいよ、佳境に入る。

今宵、上越線、北陸線経由で帰省する。選択肢はさほど多くはない。新潟県の長岡までは、中央線、湘南新宿ライン、そして高崎からは上越新幹線を使うことにする。日付が変わる前に新潟県に到着する必要があるので、仕事を早々に切り上げないといけない。

列車が定刻通り運行されるのなら、予定も立てやすいのだが、JR東日本の在来線はどうも怪しい。信用に値しない。そこで、十分に余裕を持って計画を立てるようにした。

日野から中央特快+山手線で、渋谷に出る。都心に向かう方向ではあるが、夕方のラッシュにあたり三鷹まで座れない。渋谷で、湘南新宿ラインの高崎行きに乗る。聞きしに勝る混雑で、当然座れない。実は思いつきでグリーン車に乗ろうとしたのだが、ホームの券売機はなんとSUICA専用である。JR東嫌いの私としては、当然、Suicaなど所有していない。磁気グリーン件は改札を出て買ってくれとある。そんな時間はないので、車内料金で乗車しようかと思ったのだが、グリーン車乗車口に並んだつもりが、実際にはグリーン車ははるか後ろである。知らない私が田舎者なのだろうが、なんと紛らわしい。乗客軽視のJR東日本の姿勢を改めてかいま見た。

非常に混雑はしていたが、幸運にも池袋で、ボックス席の一角に着席できた。しかし、座りごごちは良くない。ここでもJR東日本の仕事ぶりをかいま見たような気がした。

週末の帰宅ラッシュの列車は北に向かってひた走る。熊谷を超えると、さすがに空いてきた。ボックス1つを占領して足を伸ばす。ようやく旅行気分になれる。

終点の高崎到着。

随分と遠くまで来たものだ。そして、ここで夕食にあずかる。といっても、既に駅弁カウンターは閉じているため、駅構内のコンビニでありきたりの弁当を買って、新幹線ホームで食す。そして次に、上越新幹線で新潟県の長岡に向かう。上越新幹線に乗るのは初めてである。自由席なので、どの列車に乗っても良いのだが、2階建て新幹線だけは避けようと思った。なぜなら、シートが最悪と聞いていたからである。

結局、一番空いていそうな、臨時のときに乗車する。開業当時からの緑の帯の新幹線である。3列シートが車両中央を境に反対向きに並んでいる。当時は悪評高かったのだが、こうして、久々に出会うと懐かしさを感じる。

予想通り、車内は結構空いており、2人掛け席を占領する。夜間なのと、トンネルの多さから見るべき物は何もなく、仕事に専念し、新幹線を長岡で降りる。

今宵の宿は、大阪行き寝台急行きたぐに、B寝台中段である。それも上段の無い中段である。

本日は12両で運転とのアナウンスが流れる。結構混んでいるということだろうか? 発車時刻が近づくにつれてホームには、そこそこ人が集まってきた。今後の参考とするため、自由席乗車口で週末の混雑度合い調査する。意外なことに到着10分前になっても、乗車口に並ぶ人は、ほとんどいない。ベンチに腰掛けて思い思いに到着を待っている。つまり、自由席の混雑度合いはさほどではないということか?

程なく、きたぐにが到着する。自由席車両からは、通勤帰りとおぼしき人々が多数下車した。しかし、既に、ボックスを占領し眠りこけている人も散見される。各扉からそれぞれ10人弱が列車に乗り込む。結局、下車した人の方が多いようではあるが、全員がボックス1つずつを占拠できるほど空いてはいない。つまり、横に他人が腰掛けることはまず無いが、ボックスまるまる1つをベッド代わりに眠るのはちょっと憚られる程度の混雑度合いであった。

おおよその様子が把握できたので、8号車の自分の寝台に向かう。このタイプの寝台列車に乗るのは、なんと27年ぶりである。かつて、大学受験で宮崎に行ったとき、帰りに、電車寝台彗星に乗車した。その時は下段だった。高さはなかったが、ベッドに幅があり、快適であった。そんなことを思い出していた。

本当に久しぶりに乗車して、通路が極めて狭いことが気になった。こんなに狭かったっけ? すでに列車は、長岡を出発している。注意しないと鞄が梯子にあたってしまう。睡眠中の人もいるので、細心の注意を払って、ゆっくりと行動し、自分のベッドに到着する。上段がない中段...噂通りに、ヘッドクリアランスはかなりのものである。これで、中段料金だから、かなりお得感がある。寝台の幅は広くはないが、睡眠の妨げになるほどではない。自分なりのポジションを探しあてて、検札を待つ。

途中駅から乗車の場合、よほど乗客が多くない限り、直ぐに検札がくるものだが、しばらく待っても検札は来ない。今宵は検札はないものと判断して、いつものように耳栓とアイマスクを着用して眠りにつく。

老体にむち打って今宵も走る寝台電車ではあるが、思ったより静粛性が優れている。揺れも少なく、大津手前で列車放送が再開されるまで一度たりとも目覚めることがなかった。

大津を過ぎ、寝台の上で眠っているような起きているような状態で終点大阪に到着。もう少し眠っていたかったが、そうもいかず、関空快速で堺の自宅へと向かう。

たしかに、寝台料金は安くはないが、値段に見合うだけの快適さは得られたような気がした。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北陸廻り

2005-08-26 23:03:00 | 寝台列車
往路:8月26日(金)
八王子→神田:中央特快
神田 →上野:山手線
上野 →金沢:特急北陸
金沢 →松任:特急しらさぎ
松任 →長浜:米原行普通
長浜 →大阪:新快速
運賃:¥450+北陸回数券+¥920+青春18きっぷ1回分

間もなく8月が終わる。

夏の疲れが溜まってきた。どうしても心を癒す旅に出かけたくなった。それで、北陸廻りで帰省する。上越線は初めて通る鉄路。心が躍る。子供の様に何日も前から楽しみにしていた。

いつもの中央線を今宵は神田で降りる。山手線で上野に向かう。上野駅。旅立ちの駅は昔話である。13番ホームだけが、その面影を留めている。





雑踏の中、遠くへ旅立つ人だけに許された空間、5ツ星広場で旅立ち前の一時を優雅に過ごす予定であった。ところが、長距離特急列車専用の待合い場所といっても、ホームの一角に丸テーブルと椅子が並べられているだけ。おまけに、冷房が全く入っていないので凄く熱い。ホームのベンチとたいして変わりはない。

実は、JALのダイヤモンド・プレミアムラウンジのようなものを勝手に想像していたのだが、それは大きな誤りであった。これなら、駅構内の喫茶店でゆっくりと過ごした方が余程快適である。結局、涼を求めて上野駅構内を彷徨っている間に列車の入線時刻が近づいてきた。

22時45分頃、列車はゆっくりとホームに入ってくる。

今宵の宿は 寝台特急 北陸 ソロである。

所謂、ブルートレインに乗車するのは、3年前の銀河以来であり、もちろん、北陸に乗車するのは、これが初めてである。

昨夜は台風のため、北陸をはじめとする東京地区発の夜行列車は運休になった。そのため、旅行を一日延期した人もいるのだろう。そのせいか個室、寝台とも満席とのことである。また夏休み最後の週末のためか、親子連れが多い。

通路を抜けて、自分の部屋にたどり着く。噂に違わず、広くて快適である。ベッドのサイズそのものは、普通のB寝台と変わらないが、スペースにゆとりがある。サンライズ瀬戸のソロと比べても明らかに広く、居住性は良い。これで、電源コンセントがあれば言うことはない。

ただし、車両そのものが古いためか、ガタが来ている箇所もある。カーテンはすぐに外れてしまうし、走行中、蛍光灯の取り付け金具が振動している。個室扉の補修痕も痛々しい。



列車は定刻に上野を出発し、闇の鉄路を一路、北へとひた走る。部屋の明かりを全て消して、ベッドに身を横たえる。窓の外を流れる夜景を独り占めである。東京-大阪、飛行機ならたったの1時間である。にもかかわらず、わざわざ、北陸廻りで12時間かけて帰省する。この優雅なひとときこそが、私を旅路へと駆り立てるのである。

昼間の疲れのため睡魔が誘惑する。せっかくの個室寝台なので、どこまでも車窓を楽しみたい。しかし、どうやら限界に達したので、携帯のアラームを3時半にセットして、眠りにつく。うまくいけば、明日の朝、夜明け前の日本海が見えるかもしれない。



ふと目が覚めると、長岡だった。北陸はここで停車する。夜行バスでもそうなのだが、動いているものが止まると変に目が覚めてしまう。もう一度眠ることもできたのだが、せっかくなので、ここで起きることにした。

深夜の駅は、ひっそりと静まりかえっている。機関車の付け替えのためか、汽笛が鳴り、軽いショックがあった。しばらくすると、列車は動き出す。なるほど、進行方向が逆になっている。

雨が降ってきた。それも結構な量である。昨日の台風の残り雨か。それでも列車は結構なスピードで走り続ける。全く頼もしい限りである。程なく、直江津に到着する。こんな深夜にもかかわらず、ホームには何人かの人がいる。北陸の後で発車する急行能登を待つ人達だろうか。列車は再び深夜の北陸路をひた走る。

糸魚川到着。駅標識が見慣れた姿に変わっている。すでに列車はJR西日本管内に入っている。一気に大阪が近づいたような錯覚に陥る。機会があれば一度は訪れたい場所である。

しばらくすると、列車は海沿いを走る。いくつかのトンネルを越えて、日本海が所々に姿を現す。もし、天気が良ければ、すばらしい朝焼けの海が広がるはずであるが、残念ながら暗雲立ちこめている。暗い海である。

もうすぐ富山である。車内放送が再開される。ここで、改めて睡魔がやってきたので、せっかくの寝台に再び横たわる。金沢まであと、1時間足らずである。

眠ったような眠っていないような、ベッドでぼんやりと過ごすうちに、外は完全に明かるくなった。日が差している。何をすることもなく、金沢に到着し列車を降りる。金沢に旅行に来た気分である。

金沢には、30年以上前に家族旅行で訪れたことがあった。その時とは似ても似つかぬ新しい駅に生まれ変わっている。時の流れを感じる。

しかし、郷愁に浸っている暇はない。間もなく向かい側ホームに到着する特急に乗り換えて、松任まで急がないといけない。特急の自由席は意外と混んでいる。松任までたったの6分なので、デッキで立っていようかと思ったが、空席があったので座る、

金沢から松任まで、たった一駅を、わざわざ、特急で乗り継ぐのは理由がある。金沢発6時21分米原行き長距離普通列車がある。これに乗れば、長浜まで乗り換えなしでいけるので快適である。しかし、残念ながらこの列車は北陸が到着する14分前に金沢を発車してしまう。そこで、この米原行きが特急待ちをする松任までしらさぎに乗って追いかけるという次第である。そのための、乗車券と特急券は、予め昨夜上野駅で購入を済ませている。

松任でしらさぎを降りて、米原行きに乗り換え、本日分の青春18きっぷの旅を開始する。6両編成であったため、車内はがらがらである。特急の混雑が嘘のようである。









列車は昔ながらのボックス席であり、懐かしさがよみがえる。デッキ付近がロングシートに改造されているのと、車体の色が塗り替えられているのを除けば、30年前以上前に、家族旅行の時に乗った急行列車と全く同じである。あのとき、家族4人で座ったボックスに、今、一人悠々と足を伸ばし、あのときと同じ車窓を眺める。平凡な田舎の風景であるが、たしかに、昔見た景色である。

福井到着、ここで長時間停車する。車掌が訪れた折り、18きっぷに日付を入れてもらう。後ろ3両を敦賀で切り離す旨、アナウンスがあった。自分が座っているのは、たまたま前から2両目である。直感でこの車両に座ったのだが、正解だった。

北陸トンネルを抜け、敦賀に到着する。ここで後ろ3両を切り離すと、たちまち車内は満員になった。ここより、米原に向けて南下するが、混雑は駅毎にひどくなる。座席に荷物を置かないように、さかんにアナウンスしている。

長浜到着。ここで多くの乗客が降り、長浜始発の新快速姫路行きに乗り換える。普通列車に飽きてきた頃なので丁度良い。これに乗ると、もう、大阪まで戻ったも同然である。睡眠不足のため、京都まで熟睡である。ぼーとした頭で大阪で降り、関空快速に乗り換えて13時に帰宅する。

富山、金沢、福井、敦賀と廻って、上野から、延々、14時間もの長い旅が終わった。

幼い頃の、あの夏の日の思い出に浸る贅沢な時間。また、それに会いたくなったら、きっと、再びこの鉄路を通ることだろう。あのときと同じ列車で。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

PR