復路:5月5日(土)
→大阪 :関空/紀州路快速
大阪 →直江津 :臨時急行きたぐに
直江津 →長野 :快速妙高2号
長野 →大宮 :あさま506号
大宮 →新宿 :湘南新宿ライン逗子行き
新宿 →八O子 :特急かいじ
運賃:?
今回の帰省旅行では、復路でも、絶滅危惧種に指定されている夜行列車を使う。
従って、夜行明けの休息が必要なので、ゴールデンウィークを一日残して、5月5日(土)夜に帰京の旅に出ることにしている。
利用する乗車券は、所謂、一筆書きの(長距離)きっぷ。八O子を起点にして、中央本線、東海道新幹線、東海道線、草津線、関西本線、大阪環状線、東海道線、湖西線、北陸本線、信越本線、長野新幹線を経由して、大宮に至る(実際には、草津から自宅最寄り駅までは、東海道線経由の別の乗車券で移動)。
これで
¥14,600だから、色々な追加乗車券を加えても、単純往復よりは少は安くなっている。
有効期限は、4月28日から5月5日までの8日間。従って、
5月5日の夜に大阪を出発し、24時を超えた段階で有効期限が切れてしまうのだが、継続乗車船制度によって、途中下車しない限りにおいては、目的地の大宮まで乗車することが可能。なお、目的地を八O子としなかったのは、5月6日、大宮~八O子間のルートが未定かつ、どこかで途中下車することを想定しての事である。
一筆書きの(長距離)きっぷは、JRのルール通りではあるが、特殊な?きっぷであるので、発券にはそれなりの準備(ルートを記載したメモ)が必要だし、準備万端で臨んだとしても、みどりの窓口を10分位占領することを覚悟しなくてはならない。
そのため、窓口が一つしか無い小さな駅での発券は止めておいた方が無難だろう。
旅支度をして、関空/紀州路快速で大阪へ出る。遅い時間帯だが案外乗車率は高い。
大阪で降りて、構内のコンビニで翌朝の食料を調達しようと思ったが、工事中で閉店。当てが外れてしまった。
トイレを済ませて、11番ホームへ上ると、今まさに列車が入線するところであった。23時27分発にもかかわらず、23時5分頃には入線させるとは早い。入線を見届けるつもりが、こちらも当てが外れた。
所定の寝床について荷物整理をしていると、早くも検札があった。大阪停車中の検札はありがたい。
今宵の宿は、臨時急行きたぐにB寝台下段である。
サイバーステーションで空き具合を見ると、グリーン車が×、B寝台は○になっていた。新大阪や京都から乗車する人も居るので、確かな事は言えないが、空いている寝床もいくつかあった。
それにしても、グリーン車が満席とは意外である。とB寝台との値段差は殆ど無いので、それほどゆったり感のないきたぐにのグリーン車で一夜を過ごす位なら、例え、上段や中段であっても体を横たえる事のできる、寝台の方が楽だと思うのだが。
小生、上りのきたぐにには
2度乗車した事があるが、
下りのきたぐにに乗車するのは、今回が初めてである。加えて、過去2回とも、上段が無い中段を利用した。
583系電車は、車両の構造上、パンタグラフの下には上段が無い区画がいくつかあって、通称、パン下中段と呼ばれている。寝台料金が安い上に、専有空間が広くお得な寝台となっている。
しかし、今回は、ひょっとすると最後の機会になるかもしれないので、ベッド幅が広い下段にした。きたぐにでは無いが、34年前の1978年3月25日、583系のB寝台下段で一夜を過ごした事はある。九州方面から大阪に向かう彗星?号だったか??
B寝台下段は、パン下中段ほどヘッドクリアランスが無いが、首を曲げると座る事もできるし、何よりも大きな窓を独り占めできるのが良い。窓側では、上方空間に若干の余裕があるし。
ただ、今回、しくじったのは、予約の時、
海側を指定しなかった事である。気づくのが遅かった。
23時27分。臨時急行きたぐには定刻に大阪駅11番ホームを後にする。
通路のカーテンを閉めて読書灯を消して、窓のカーテンを開ける。電車B寝台下段の大きな窓に映る車窓を独り占めである。
鉄道唱歌のオルゴールが流れ、到着駅のアナウンスが始まる。この瞬間がたまらなく良い。鉄道の旅の醍醐味である。
583系月光形電車寝台、その足取りは、積年の疲労を感じる事などまるでなく、非常にしっかりしたものであった。正直言って、B寝台下段故、走行音やガタに苛まれることもある程度覚悟していたのであるが、それは、全くの杞憂に終わった。
防音も完璧に近い。
単純比較できないが、
サンライズ瀬戸ビジネス個室下段に乗車した時には、レールのジョイント音に辟易したのだが、今回の旅ではそのようなことは全くなかった。
40年前の設計が非常に優秀だったのだろう。
決して、夜の東海道線を新快速の邪魔をしながらトロトロ走っている訳では無い。年季の入った、落ち着いた、しかし意外と軽快な走行である。
こんな事なら、定期列車は無理としても、繁忙期にはしばしば登場することを期待したいのだが。
次の停車駅新大阪からも結構な数の乗客があった様である。
そして、明日の事を考えて、アイマスクと耳栓を装着し体を横たえて眠りに就こうとする。ベッド幅が広いので非常に快適である。
しかし、予想通り、久々の寝台列車の旅で、気持ちが高ぶっているためか寝付きが悪い。
暫く目を閉じていたが、次の京都までの道のりは長く感じた。
京都出発後おやすみ放送があった。そして、湖西線に入った頃に、意識を失った様である。
お客さん、まもなく富山です。と、囁く車掌さんの声で目が覚めてしまった。時刻は3時過ぎ。そうだった、車掌さんにお願いしておけば起こして貰えたはず。
小生は、4時55分の直江津で下車する。おはよう放送は5時30分頃らしいので、携帯のアラームではなく、小生も予めお願いしておけば良かった。
その後、もう一眠りして、糸魚川を過ぎた4時30分頃、自力で起きた。
荷物を整理して、寝床を片付けて、トイレを兼ねてデッキに立つ。
ここから暫くの間、寝ぼけた眼差しで日本海の風景を眺めることにした。列車から見る日本海は久しぶりである。
急行能登で眠れぬ夜を過ごした時以来か。
夜明け間近のどんよりとした空の下に、灰色の海が広がっている。たしかに日本海である。
海沿いの景色が民家の屋根の向こうに回り、暫くすると、直江津駅構内に入った。
大阪から直江津まで、約5時間半の寝台列車の旅。
ここで、臨時急行きたぐにに別れを告げて、ホームに降り立つ。小生が、きたぐにに乗車するのも、これが最後の機会になる可能性が高い。
定期列車が臨時列車になって、その後自然消滅した例は推挙に暇がない。
かつて小生も乗車した
臨時急行ちくまがそうだったし、
臨時急行能登に至っては、ゴールデンウィークという繁忙期ですら運行されなくなってしまった。
夜間、睡眠中に移動するという根強い需要に対して、JR各社とも本気で応える気が無い以上、どうしようも無い。
そんな思いで、
臨時寝台急行きたぐにの後ろ姿を見送っていた。