おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

八月の狂詩曲(ラプソディー)

2023-01-10 07:07:56 | 映画
「八月の狂詩曲(ラプソディー)」 1991年 日本


監督 黒澤明
出演 村瀬幸子 井川比佐志 茅島成美 大寶智子 伊崎充則 根岸季衣
   河原崎長一郎 吉岡秀隆 鈴木美恵 リチャード・ギア

ストーリー
長崎から少し離れた山村に住む老婆・鉦(かね)のもとに一通のエアメールが届いた。
それは鉦の兄であるハワイの大富豪・錫二郎(すずじろう)の息子・クラークからで、不治の病にかかり余命短い錫二郎が、死ぬ前に鉦に会いたいというものだった。
ところが、兄弟が多い鉦には錫二郎という兄の記憶がなく、そんな鉦の気持ちとは裏腹に、突然現れたアメリカの大金持ちの親せきに興奮した息子の忠雄、娘の良江はハワイに飛んで行ってしまう。
それによって残された4人の孫・縦男、たみ、みな子、信次郎は夏休みを鉦の家で過ごすことになった。
孫たちは鉦がいつも話す昔話を聞いて、原爆で祖父を亡くした鉦の気持ちを次第に理解するようになる。
そして、鉦がついにハワイに行く気になり、縦男はその旨を手紙に書いてハワイに送る。
それと入違いに忠雄と良江が帰って来て、さらに突然クラークがハワイからやって来る。
縁台で鉦と手を取り合って対面を喜ぶクラークは「ワタシタチ、オジサンノコトシッテ、ミンナデナキマシタ」とたどたどしい日本語で語った。
そして長崎で孫たちと楽しい日々を送っていたとき、錫二郎の死を告げる電報がクラークのもとへ届き、クラークは急いで帰国するのだった。
そしてこの時から鉦の様子がおかしくなっていく。
そして雷雨の夜、突然「ピカが来た!」と叫びだし、翌朝、豪雨の中で鉦は風に揺られながら駆け出していく。
そんな鉦を忠雄、良江、それと4人の孫たちはこみあげる気持ちで、泣き叫びながら追いかけていくのだった。


寸評
僕は「どですかでん」以降の黒澤作品はイマイチだなあと思っているので、その先入観もあって見ていても「八月の狂詩曲」には雑な描き方が目についた。
冒頭、縦男たち4人の子供がおばあちゃんの家に来ている。
四人の関係はよく分からなくて、誰と誰とが兄弟姉妹なのかを理解できるようになるのは随分経ってからである。
最初の食事のシーンで信次郎が口火を切って鉦の料理が不味すぎると不満を漏らしだすのだが、その料理はどんなものなのかさっぱり分からない。
縦男の言によれば「いんげん豆とかぼちゃと鶏肉の煮付けで、どれがどれだか見分けが付かないぐらい真っ黒」と言うことなのだが、それならその料理を見せるべきで、若者受けしない料理であることを示すべきなのだ。
申し出が通り、言い出した信次郎を褒め上げ「お婆ちゃんの不味い食事を食べなくて済むようになってラッキー」と喜こび、縦男を中心に「ハワイへ行くために一致団結しよう」と浮かれたりしていた子供たちが、長崎市内へ買い出しに行くと随分と変わる。
たみは高台から市内を眺め「このきれいな長崎の町の下には、一発の原子爆弾に消えてしまったもう1つの長崎があるの」と、急に生真面目なことを言い 出す。
みな子と信次郎も軽く受け流したりせず、真面目に聞いたり質問したりしている。
おじいちゃんが死んだ学校でも同様で、僕はこの子供たちの豹変ぶりに驚いてしまい、戸惑いさえ覚えた。
ハワイに行っているのは両親の片親だけで、一方は日本に残っていた事が描かれるが、そうなら何故子供たちはおばあちゃんの家にくる必要があったのだろう。
その辺の経緯は描かれていても良かったのではないか。
勘の悪い僕は彼らの関係と状況把握を理解するのに随分と時間を要した。

それ以上に違和感を感じたのは、子供たちの田舎での様々な体験が描かれていることである。
子供たちの一夏の経験がテーマではなく、原爆や戦争をテーマとしているのだから、描かれたことにどのような意味があったのだろうと思ってしまう。
心中杉を見に出掛けた縦男がたみにキスを迫るシーンは一体何だったんだろう。
河童の話を聞いた信次郎 が河童のコスプレで皆を驚かせるのは、本来のどかであった田舎をイメージさせる為のものだったのだろうか。
大人たちは金持ちの親戚と繋がりを持ちたいという意識に溢れており、だからアメリカ国籍を持つ親戚に原爆のことに触れようとしない。
最初はパイナップル畑の立派さを語り、日本支店の重役への就任を夢見たりして浮かれた気持ちだったが、すぐに原爆のことを真摯に受け 止め戦争のことを真面目に考えるようになる。
描かれ方は、子供は純真で、大人は汚れているという単純図式である。
リチャード・ギアの登場は日米の和解と融和なのだろうが、僕には彼の登場で物語が大きく変わったと言う気がせず、突然現れて突然去っていったとう印象である。
僕が一番印象に残ったのは、小学校に亡くなった当時の同級生がモニュメントに慰霊で訪れたシーンであった。
彼らがモニュメントを清掃している向こうでは、同じ小学校の今の生徒たちが無邪気に走り回っているのである。
原爆は、戦争は、忘れ去られようとしていて遠くになりつつあるような気がしたのだ。