おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

バルタザールどこへ行く

2023-01-25 07:51:41 | 映画
「バルタザールどこへ行く」 1964年 フランス / スウェーデン


監督 ロベール・ブレッソン
出演 アンヌ・ヴィアゼムスキー フィリップ・アスラン
   ナタリー・ショワイヤー ヴァルテル・グレーン

ストーリー
ピレネーのある農場の息子ジャックと教師の娘マリーは、ある日一匹の生れたばかりのロバを拾って来て、バルタザールと名付けた。
それから十年の歳月が流れ、いまや牧場をまかされている教師とマリーのもとへ、バルタザールがやって来た。
久しぶりの再会に喜んだマリーは、その日からバルタザールに夢中になってしまった。
これに嫉妬したパン屋の息子ジェラールを長とする不良グループは、ことあるごとに、バルタザールに残酷な仕打ちを加えるのだった。
その頃、マリーの父親と牧場主との間に訴訟問題がもち上り、十年ぶりにジャックが戻って来た。
ジャックは味方になってくれるが、マリーの心はジャックから離れていた。
訴訟はこじれ、バルタザールはジェラールの家へ譲渡された。
バルタザールの身を案じて訪れて来たマリーは、ジェラールに誘惑されてしまった。
その現場をバルタザールはじっとみつめていた。
その日から、マリーは彼等の仲間に入り、バルタザールから遠のいて行ってしまった。
もめていた訴訟にマリーの父親は敗れたが、ジャックは問題の善処を約束しマリーに求婚した。
心動かされたマリーは、すぐにジェラールたちに話をつけに行ったが、仲間四人に暴行されてしまった。
その日から、マリーの姿は村から消え、父親は落胆のあまり死んでしまった。
一方バルタザールは、ジェラールの密輸の手伝いをさせられていた。
しかし、ピレネー山中で税関員にみつかりバルタザールは逃げおくれ、数発の弾丸をうけてしまった。
ピレネーの山かげを朝日が染めるころ、バルタザールは静かに息をひきとるのだった。


寸評
僕がロベール・ブレッソンと出会ったのは1969年に北野シネマで公開された「ジャンヌダルク裁判」だった。
北野シネマは当時存在していたATGの専門館で、大衆向けではない作品をもっぱら上映していた。
後に1000万円映画と称される日本人監督が採算を度外視して撮った自由な作品が主になったが、当初は一般公開されない外国作品も数多く上映されていて、「ジャンヌダルク裁判」もそんな中の一本だった。
その一本でロベール・ブレッソンへのイメージが出来上がってしまったのだが、「バルタザールどこへ行く」もそのイメージから逸脱していない作品である。
そのイメージとは登場人物の感情表現を抑えた作風であり、宗教色をにじませる厳しい作風が見て取れることだ。
リアリズムを追及しているように見えるし、言い換えれば虚飾を排除しているので、僕のような凡人には退屈な映画と思えてしまう。
描かれている崇高な内容に入り込めないでいる僕にとっては忍耐を要する作品でもある。
「バルタザールどこへ行く」の中心にあるのはマリーとジャックの淡い恋物語なのだが、この作品はその恋の行方を追い続けているわけではない。
バルタザールと名付けられた一頭のロバを通して、彼らが住まいする村人々の生活を無垢な目で見続けている。
人々は皆何かしらの小さな歪みを持っていて、日常生活の中で些細な罪を重ねてゆく。
その姿を大胆に省略した映像で紡いでいく。
行為の入り口は映しだされるが、その後に起きること、起きたことを観客に想像させる。
そしてその想像は人によって違うものではなく、誰しもが思い描くものとなっている。
例えばジェラールが車の中でマリーを誘惑する場面だ。
ジェラールとマリーの顔を交互に映しながら、一カットだけマリーのミニスカートからあらわになっている足を写し、その後にジェラールがマリーの肩に手をかける。
それだけで、ジャックの心象風景を見事に映し出すという演出である。
ジェラールに憲兵隊からの呼び出し状が届く場面、マリーが辱めを受ける場面などにおいても同様の描き方だ。
この簡略化した描き方はロベール・ブレッソンの特徴でもあると思う。
出演者は誰もが芝居じみた演技をせず、うまい演技ではないがリアリズムを生み出すことには成功している。
これもまたロベール・ブレッソンの特徴でもあるように思う。

人々は自分たちの欲求を満たすために、他人への妬みのために、そのはけ口をバルタザールに対する哀しい仕打ちに求めている。
バルタザールはムチ打たれ、こき使われるが反抗することが出来ない。
ロバのバルタザールはそんな状況下にありながら、憐れむような眼で人々を見続けている。
その目は人間の行為を静かに批判しながら、すべてを受け止めているような優しさに満ちあふれている。
欧米人はバルタザールにキリストの姿をダブらせているのかもしれないなと思う。
バルタザールは人々の元を離れて歩き始め、羊に囲まれて静かに眠るように死んでゆく。
羊は優しさの象徴であり、天使の象徴でもあり、バルタザールは神に看取られて息絶えたように思えた。
「フランダースの犬」のパトラッシュを連想させる。
でも僕にはちょっとしんどい映画だ。