おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

破戒

2023-01-02 10:25:43 | 映画
「は」行になりますが、「は」で始まる映画は多いようです。
前回も多数紹介しています。
1回目は2019/12/27の「ハート・ロッカー」から「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」「博士の愛した数式」「博士の異常な愛情/または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」「薄桜記と続き、2020は1/1の「麦秋」から始まり、続いて「ハクソー・リッジ」「奕打ち 総長賭博」「白熱」「薄氷の殺人」「幕末太陽傳」「箱入り息子の恋」「ハスラー」「ハスラー2」「裸の島」「八月の濡れた砂」「8 1/2」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」「バックドラフト」「はつ恋」「初恋のきた道」「ハッシュ!」「パッチギ!」「パットン大戦車軍団」「ハッピーアワー」「ハドソン川の奇跡」「波止場」「華岡青洲の妻」「花とアリス」「HANA-BI」「母なる証明」「バベットの晩餐会」「バリー・リンドン」「春との旅」「晩春」「反撥」まででした。
2回目は2021/8/28の「バーディ」から「ハード・ボイルド/新・男たちの挽歌」「バーバー吉野」「廃市」「馬鹿まるだし」「初恋・地獄篇」「八甲田山」「バッテリー」「花筐/HANAGATAMI」「はなれ瞽女おりん」「バニー・レークは行方不明」「母と暮せば」「バファロー大隊」「バベル」「ハリーとトント」「パリ、テキサス」「巴里の屋根の下」「パリは燃えているか」「(ハル)」「遥か群衆を離れて」「遥かなる山の呼び声」「バルジ大作戦」「パルプ・フィクション」「バンコクナイツ」「半世界」と続きました。
今回は3回目です。

「破戒」 1962年 日本


監督 市川崑
出演 市川雷蔵 長門裕之 船越英二 藤村志保 三国連太郎 中村鴈治郎
   岸田今日子 宮口精二 杉村春子 加藤嘉 浜村純 嵐三右衛門
   浦辺粂子 潮万太郎 見明凡太郎

ストーリー
天の知らせか十年ぶりで父に会おうと信州烏帽子嶽山麓の番小屋にかけつけた、飯山の小学校教員瀬川丑松(市川雷蔵)は、ついに父の死にめに会えなかった。
丑松は父(浜村純)の遺体に、「丑松は誓います。隠せという戒めを決して破りません、たとえ如何なる目をみようと、如何なる人に会おうと、決して身の素性をうちあけません」と呻くように言った。
下宿の鷹匠館に帰り、その思いに沈む丑松を慰めに来たのは同僚の土屋銀之助(長門裕之)であった。
だが、彼すら被差別部落民を蔑視するのを知った丑松は淋しさを感じ、下宿を蓮華寺に変えた。
士族あがりの教員風間敬之進(船越英二)の娘お志保(藤村志保)が住職(中村鴈治郎)の養女となっていたが、好色な住職は彼女を狙っていた。
「部落民解放」を叫ぶ猪子蓮太郎(三國連太郎)に敬事する丑松であったが、猪子から君も一生卑怯者で通すつもりか、と問いつめられるや、「私は部落民でない」と言いきるのだった。
飯山の町会議員高柳(潮万太郎)から自分の妻が被差別部落民だし、お互いに協力しようと申しこまれても丑松はひたすらに身分を隠し通したが、丑松が被差別部落民であるとの噂がどこからともなく流れた。
校長(宮口精二)の耳にも入ったが、銀之助はそれを強く否定した。
校長から退職を迫られ、酒に酔いしれる敬之進は、介抱する丑松にお志保を嫁に貰ってくれと頼むのだった。
町会議員の応援演説に飯山に来た猪子は、高柳派の壮漢の凶刃に倒れた。
師ともいうべき猪子の変り果てた姿に丑松の心は決まった。
丑松は「進退伺」を手に、校長に自分が被差別部落民であると告白し、丑松は職を追われた。
骨を抱いて帰る猪子の妻(岸田今日子)と共に、丑松はふりしきる雪の中を東京に向った。
これを見送る生徒たち、その後に涙にぬれたお志保の顔があった。


寸評
同和問題を扱った作品だが、このような内容の作品がプログラムピクチャとして制作されていたことに驚くとともに、当時の日本映画界の懐の深さに感心する。
同和教育の成果もあって部落民という言葉と存在が無くなりつつあるが、それでもまだまだ一部には差別意識が残っているような気がする。
長い歴史を通じて存在してきた被差別部落及び部落民への差別意識は簡単には無くならないのかもしれない。
「被差別部落」や「被差別部落民」を定義する方法もないのだが、従来の最下層であった農民以下の身分の非人として都合よく存在してきたのだろう。

瀬川丑松は小学校の教員として立派な青年で、生徒たちからも慕われている。
廻りの期待も大きいのだが、丑松自身は自分が部落民であることから今以上の昇進を望んでいない。
彼はひたすら自分の出自を隠し、猪子蓮太郎から一生卑怯者で通すつもりかといわれても明かさない。
被差別者の苦しみを知る猪子はそんな瀬川を責めることはしない。
猪子は自分が部落民であることを宣言して生きている。
彼の妻も「部落民かと問われたら部落民だと答えて自信をもって生きなさい」と諭す。
故人の評価に出自や身分は関係がないのだとの主張である。
部落民解放運動をしている猪子蓮太郎より、猪子の妻である岸田今日子の正面切った説諭が心に響く。

市川雷蔵は生まれながらにして不幸を背負っている青年を演じるとピタリとはまってしまう役者だ。
同監督になる「炎上」における青年僧にも通じるものだ。
猪子は自分たちを理解する人々も存在していると説くが、そのような救いを見せる人物の象徴が長門裕之が演じる土屋の存在である。
かれは瀬川の友人で理解者でありながら当初は被差別部落民を蔑視しているのだが、ついにはその無理解を瀬川に詫び、子供たちを連れて東京へ去っていく彼を見送りに駆けつけてくる。
被差別部落民への理解者が育っていることの象徴である。
親たちは差別意識を持ち、子供たちもその親の影響を受けていただろうが、土屋と共に瀬川を慕って雪道を追いかけてくる。
象徴的なのは、子供の一人が母親から預かってきたというゆで卵を渡す場面だ。
その母親が登場してこないことで、世間を気にしてまだまだ表立っては行動できないが心の内では被差別部落民への理解を生じさせていることを暗に描いているのだと思う。
そのような意識の広がりがない限り被差別部落への差別意識はなくなっていかないだろう。
長い歴史がある問題だから、排除にも長い時間が必要なのかもしれない。

この作品がデビュー作となり、役名をそのまま芸名にした藤村志保はこれまた薄幸な女性がよく似合う風貌で、かよわいながらも強い意志も見せ、この作品のなかでは女神のようにさえ見える。
この作品が時代錯誤的に見える感じもするので、社会的にはいい方向に進んできているということだろう。