「はじまりのみち」 2013年 日本
監督 原恵一
出演 加瀬亮 田中裕子 ユースケ・サンタマリア 濱田岳 斉木しげる
光石研 濱田マリ 藤村聖子 松岡茉優 大杉漣 宮崎あおい
ストーリー
太平洋戦争下の日本。
政府から戦意高揚の国策映画づくりを映画界に要求されていた時代。
木下惠介(加瀬亮)が昭和19年に監督した「陸軍」は、内容が女々しいと当局の不興を買い、次回作の製作が中止になってしまう。
夢を失った木下は松竹に辞表を提出し、失意のうちに郷里である浜松市の気賀に向かった。
最愛の母(田中裕子)は病気で倒れ、療養を続けていた。
失意の中、惠介はたまに「これからは木下惠介から本名の木下正吉に戻る」と告げる。
しかし、戦局はいよいよ悪化の一途をたどり、気賀も安心の場所ではなくなってくる。
惠介は戦局が悪化する中、母をより安全な山間の村へと疎開させることを決意する。
その夏、一台のリヤカーに寝たままの母を、もう一台には身の回り品を乗せ、恵介は兄・敏三(ユースケ・サンタマリア)と、雇った“便利屋さん”(濱田岳)の3人で、夜中の12時に気賀を出発し山越えをする。
途中の休憩時に「惠介が前は映画監督をしていた」と言いかけた敏三を惠介は遮ったが、便利屋はそれを「映画館で働いていた」と勘違いする。
激しい雨の中、17時間歩き続け、ようやく見つけた宿で母の顔の泥をぬぐう惠介。
疎開先に落ち着いて数日後、たまは不自由な体で惠介に手紙を書く。
そこにはたどたどしい字で「また、木下惠介の映画が観たい」と書かれていた……。
寸評
木下恵介の母への愛、映画への愛を描いた映画。
便利屋の濱田岳が狂言回し役になって木下の思いを代弁させているところが、メッセージ性を強調することなく木下の人となりを浮き出させて得な役回りで、彼の存在がこの作品を映画らしくしていた。
でもまあこれは映画ファンへのプレゼント作品だったと思う。
「陸軍」は、田中絹代演じる母親が戦地へと向かう息子を延々と追う姿が女々しいとされ、当局に睨まれたいわく付きの作品だが、「陸軍」は母親の子供への愛情だけではなく、東野英治郎演じる桜木常三郎に息子の安否を何回も聞かせて、父親の息子への愛情も同時に描いていた。
当局の要望を満たしながらも反戦的なメッセージを盛り込んでいる苦心が良く判る映画だ。
便利屋さんではないが、やはりラストシーンは泣けたなあ。
便利屋は、また映画館で働けたら『陸軍』を見ることを薦め、あのラストシーンはよかった、いい映画だった、親の気持ちがよく伝わってきたと述べる。
惠介は「息子に立派に死んでこいという母親はいない」と語るのだが、「陸軍」を見る機会のあった僕はあの映画のラストシーンを思い起こしていた。
宮崎あおいの先生の場面などは「二十四の瞳」の構想を暗示していたように思うし、最後には木下作品が当時のフィルムとともに次々と紹介される。
紹介される作品は全部で15作品なのだが、これだけ多く紹介されると、何故この15作品が選ばれたのかとの疑問がわいてしまう。
でも、見た記憶を次々呼び起こしながらそれらの作品を眺めていた時に、映画を見て来て良かったなと改めて思ったりもした。
木下恵介という監督は日本初のカラー作品である「カルメン故郷に帰る」だったり、「野菊の如き君なりき」の縁取り画面とか、「楢山節考」の歌舞伎調セットによる画面切り替えなど、斬新な手法を好んで使った監督さんだったのかなと思う。
しかしこの作品を「木下惠介生誕100年記念映画」と銘打つならば、もう少し監督木下恵介が描かれても良かったのではないか。 たんなる母子物語になっていたのはちょっと寂しい気がする。
撮影と映像は手抜きが所々に見受けられる。
山越えでは夏の暑さの表現としては物足りないし、踏破する苦労も少し弱い気がする
時代を感じさせる風景も少なく、背景に映り込む人物の動きもぎこちない。
「陸軍」のラストシーンに見られるような映画的高揚感に欠けていると思う。
木下作品を見てきた者、木下恵介を知る人には懐古的な意味も付加されて見ることが出来るのだろうが、一本の映画として見た場合、映画が持っている独特の映画的映像を用いた表現には劣っている作品だったと思う。
役柄上、セリフの少ない田中裕子は流石の存在感で、その母の顔を濡れ手ぬぐいで拭いてやるシーンに代表される母への愛情も切々と伝わってきたが、見終わって先ず第一に思ったことは木下恵介と言う監督への再評価と感謝の気持ちだった。