おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

白蛇抄

2023-01-03 10:29:33 | 映画
「白蛇抄」 1983年 日本


監督 伊藤俊也
出演 小柳ルミ子 杉本哲太 仙道敦子 鈴木光枝 宮口精二 辻萬長
   北林谷栄 岡田奈々 夏木勲 若山富三郎

ストーリー
石立うた(小柳ルミ子)は二年前に京都で火事にあい、夫を失って絶望のあまり若狭の心中滝に身を投じた時、華蔵寺の住職懐海(若山富三郎)に助けられ、そのまま後妻として寺に住みついていた。
懐海にはひとり息子の昌夫(杉本哲太)がおり、出家の身で来年高校を卒業すると本山に行くことになっている。
ある日、華蔵寺にうたの遠い親戚に当るという十五歳の少女鵜藤まつの(仙道敦子)が引きとられてきた。
この寺での初めての夜、まつのは異様な女の呻き声を耳にした。
夜ごとうたの体に執着する懐海と、それを覗き見する昌夫。
彼はうたに惹かれていた。
もうひとり村井警部補(夏八木勲)もうたが身を投げ救助された時に立ち会って以来、彼女に魅せられていた。
投身の時、うたが抱いていた石骨の中味に疑問を抱いた村井は、石骨を取り戻そうとするうたに力づくで情交を迫った。
その石骨はうたの死んだ赤ん坊であった。
かけつけた昌夫は村井の後頭部に石を投げつけうたと共に逃げた。
雨が降り出し、山小屋へ駆け込んだ二人はいつのまにか抱き合っていた。
その日から昌夫は大胆になり、うたも日ごと昌夫の体に溺れていった。
そうしたある日、懐海はうたと昌夫が密会している場所に動ける筈のない体を引きずっていって殺された。
昌夫は本山に修業に出た。
懐海の死に不信を抱いた村井は、まつのに死んだときの様子を問いただし、うたと昌夫が愛し合っていることを知った。
うたは昌夫に会うべく京都に向ったが、昌夫もうたに会いたいために寺を飛び出していた。
若狭に戻り、心中滝に立つうたの背後に村井が近づいて懐海を殺したのではないかと詰め寄った…。


寸評
小柳ルミ子は「わたしの城下町」で歌手デビューして160万枚の大ヒットを飛ばした清純派歌手だった。
旅情歌手のレッテルを貼られてその後、「お祭りの夜」、「雪あかりの町」、「瀬戸の花嫁」とヒットを飛ばした。
当人は清純派と呼ばれることに抵抗があったようだが、天地真理・南沙織らとともに1970年代前半を代表するアイドル歌手であった。
日本歌謡史に名前を刻む歌手の一人であることは疑う余地がない。
宝塚音楽学校首席卒業だけあって、演技力もそれなりにあって1982年の「誘拐報道」では立派に女優業を務めていたと思う。
翌年に同じく伊藤俊也監督が小柳ルミ子を主演にメガホンをとったのがこの「白蛇抄」で、小柳ルミ子は見事な脱ぎっぷりを披露している。
これだけの体当たり演技を見せれば女優としてシリアスなドラマにお声がかかっても良かったと思うが、その後の作品は数本しかなく見るべき作品もないのは残念な気がする。

僕の子供の頃、田舎の家の天井に青大将だと思われる蛇が夜中にネズミを捕らえてバタンバタンと大きな音を立てていたのだが、それが白蛇だと神様の使いだと母や祖母が言っているうちにどこかへ行ってしまった。
祖母は蛇の抜け殻は縁起がいいとも言っていたのだが、タイトルのバックに流れていたのは蛇の抜け殻だったと思うので、映画を見終ると、それは石立うたの抜け殻となった最後の姿でもあると感じられた。

小柳ルミ子は魔性の女で、男たちは彼女の虜になっていく。
住職の懐海は病気の為に体は不自由だが性欲だけは旺盛な老人である。
自殺未遂の小柳ルミ子を介抱したのが村井刑事の夏八木勲で、中年男の彼は小柳に恋慕してしまう。
後妻となった小柳ルミ子の身体を夜な夜なまさぐる住職の行為をのぞき見しているのが、住職の息子で高校生の杉本哲太で、小柳ルミ子の体を求める男三人は三世代の男たちである。
老人の住職はうたとの交わりだけを生命力としている。
中年の村井は独り身の淋しさからうたを求めている。
思春期の昌夫は性に目覚めた若者で、うたへの愛よりもうたの体への欲求が強いと思える。
愛欲渦巻くエロスの世界が描かれるが、その奥にある女の情念のようなものはあまり感じ取れない。
ただただ小柳ルミ子のヌードシーンが目に焼き付く。
石立うたが小柳ルミ子でなかったら、僕は興味半減していたかもしれない。
うたは昌夫にのぞき見されているのを知っているし、まつのもその事を知っているのだから、ここに登場する女たちも愛と性に関しては異常な精神の持ち主たちである。
うたは夫と子供を亡くして自殺未遂を起こし懐海に助けられたのだが、村の人からは色仕掛けで住職の後妻になったと噂されていることは、あながち噂とも思えない。
住職を看病し体を提供する姿は、うたの色欲の果ての姿のように思えてくる。
昌夫とも関係を持つのだが、それは単に若い肉体に魅かれたからなのだろうか。
どうしようもない女の性(さが)を描いていたのかもしれないが、どうもそこには行きついていない。
小柳ルミ子が脱ぎ過ぎたことによるのではないかと僕は思っている。