おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

コールガール

2021-02-14 11:40:51 | 映画
「コールガール」 1971年 アメリカ


監督 アラン・J・パクラ
出演 ジェーン・フォンダ
   ドナルド・サザーランド
   ロイ・シャイダー
   チャールズ・シオッフィ
   ドロシー・トリスタン
   リタ・ガム

ストーリー
ペンシルベニア、タスカローラ研究所の科学者トム・グルンマンが消息を絶って数か月。
ニューヨーク市警の刑事トラスクを中心にグルンマン夫人ホリー、グルンマンの親友で警官のジョン・クルート、グルンマンが勤務している工場の重役ケーブルが集まり、グルンマン捜索の対策を講じたが、手掛かりはただ一つ、グルンマンがニューヨークにいるコールガールに宛てた猥褻な内容の手紙だけだった。
偶然、トラスクが売春容疑で逮捕した売れっ子のコールガール、ブリー・ダニエルスへの尋問に期待を抱いたが、彼女は最近になって起こった気味の悪い事件への不安を訴えるばかりであった。
重役のケーブルに雇われ、秘密の捜査を依頼されたクルートはニューヨークに飛び、ブリーに捜査の協力を求めたが、警察に逮捕された怨みをもつ彼女は冷たく追いかえした。
クルートはブリーと同じアパートの1室を借り、ブリーの部屋に盗聴装置を施し、ブリーを監視した。
商売から戻ったブリーを捕まえたクルートが、自分の部屋に招き入れ盗聴装置を示すと、ブリーは激しく怒り、クルートを責めたてたが、ひるまぬクルートの厳しい質問攻めに、やがてブリーは、自分の受け取った猥褻な手紙の主は、マゾヒスティックな客ダンバーかもしれないと打ち明けた。
クルートは人の気配を感じ、瞬間身を翻して屋上へ駆け登ったが、見失ってしまった。
恐怖にかられたブリーは、ダンバーを仲介したのは昔の情人フランク・リグランだと告げた。
しかし、リグランにダンバーを紹介したのはジェーン・マッケンナという娼婦で、すでに自殺していた。
翌日、クルートはリグランの女アーリン・ページと情人バーガーを訪ね、グルンマンとダンバーが別人であることを聞き出し、ケーブルに報告すると、ケーブルは捜査打ち切りを命じた。
捜査の継続を主張するクルートは、そのあと、曳き舟にのせられたアーリンの水死体を見た。
ショックを受けたブリーはクルートにすがり、クルートもしだいにブリーを愛しはじめていた。


寸評
邦題の「コールガール」とはジェーン・フォンダ演じるブリーのことなのだが、原題はドナルド・サザーランドが演じる私立探偵の名前である「クルート」となっている。
日本ではジェーン・フォンダの方がネームバリューがあるのでそうしたのだろうが、邦題は「コールガール」でも「ブリ―」でも、もちろん「クルート」でも良かったと思わせるジェーン・フォンダとドナルド・サザーランドの良さである。
この二人の醸し出す雰囲気で保たれている作品だ。
逆に言えばサスペンスとしてのパンチ力には欠ける作品でもあるのだが、見終ると、どうも描きたかったのはサスペンスではなかったのだろうと思うに至る。

オープニングでペンシルベニアの研究所のトム・グルネマン家の幸せそうな食事風景が描かれ、そこにはトムの友人であるジョン・クルートの姿もある。
トムの幸せな家庭生活が描かれた次の場面でトムが猥褻な手紙を残して失踪している事が描かれるという急展開で、このオープニングを見る限りにおいてはサスペンス性が十分すぎるくらいだった。
しかし、トムやクルートがペンシルベニアに住んでいると言うことが重要なファクターだと感じてくる頃から映画の趣は大きく変わってくる。
ペンシルバニアはフィラデルフィアを擁する古い州で、東部にある田舎というイメージの州なのだろう。
日本でいえば大阪の隣の奈良県といったところかな。
ブリ―が暮らすのは文字通りの大都会ニューヨークである。
二人が生活している土地と環境が二人の性格付けをしていて、その二人が微妙に絡み合う姿が主演の二人の好演もあって魅力的に見える。

独りで大都会ニューヨークに住むブリーは自らの感情を感じないようにしてアイデンティティを保っている。
オーディションを受けても上手くいかないが、売春では自分のペースで男を操れることに快感を感じている。
彼女は部屋に独りなのが不安だとか言ってクルートの部屋に泊めてもらい、クルートの心理を操ってクルートに自分を抱かせて、終わると彼を翻弄するような言葉を残して去っていくという態度がそれを物語っている。
クルートは裏工作をせずに正攻法ともいえる誠実さでブリーに迫っていく。
都会人にある猜疑心を持たず、先天的に人を信じてしまう田舎人のような男だ。
麻薬中毒の女の言うことなど信じられないと言われても、クルートは彼女を信じている。
ビリーは無意識の中でクルートの誠実さを受け入れたくない気持ちもあって理解できないのだが、徐々に閉ざしていた女としての感情面が刺激されるようになっていくという描き方が物静かで好感が持てる。
ブリーとクルートの市場での買い物シーンなどは実に微笑ましいものがあり、映画の大半を占める雰囲気とは全く違う二人の関係を上手い具合に挟む演出の妙だ。
ブリーは客との録音テープを聞かされて、そこに男の性的妄想を翻弄する女としての自分のあり方や男の弱さを知って涙するシーンは、ブリーの心の浄化を示すこの映画の中で一番秀逸なシーンとなっている。
しかし彼女には夫の為に食事を作る生活は似合わないし、刺激のない田舎で生きることも出来ず、結局また大都会ニューヨークに舞い戻ってくるのだろう。
僕だって都会の喧騒から逃げたい気持ちを持ちながら都会を離れられない習性が身についてしまっているのだ。