おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

コーラス

2021-02-13 09:20:10 | 映画
「コーラス」 2004年 フランス


監督 クリストフ・バラティエ
出演 ジェラール・ジュニョ
   ジャン=バティスト・モニエ
   ジャック・ペラン
   フランソワ・ベルレアン
   マリー・ビュネル
   カド・メラッド

ストーリー
1949年、フランスの片田舎。
失業中の音楽教師クレマン・マチューは、「池の底」という名の寄宿舎に赴任する。
この学校には、親をなくした子供や、素行に問題があり親元を離れた子供たちが集団生活していた。
赴任当日、校門の前でマチューが目にしたのは、「土曜日に迎えに来る」という言葉を残して去っていった両親を待つ幼い少年ペピノだった。
今日が何曜日か分からないほど幼いペピノは、決して迎えに来ない両親をひたすらに待ち続け、毎日のように校門の外をじっと眺めているのだった。
複雑な思いを抱いたまま学校内に足を踏み入れたマチューは早速、過激ないたずらで用務員に大ケガを負わせた子供たちと遭遇する。
さらに驚いたことに、「淋しさ」ゆえに心のすさんだ子供たちに、容赦ない体罰を繰り返す校長先生がいた。
学校全体が、温かさのかけらもない殺伐とした雰囲気で溢れかえっていた。
もちろん、マチューも早々に子供たちのいたずらに手を焼くことになり、まともに授業もできない。
しかしそんな子供たちの心を理解したマチューは、決して彼らを叱らず、体罰も加えないと決意する。
子供たちに本来の純粋さや素直さを取り戻そうと、マチューは彼らに「あること」を教えることを思いつく。
それは「合唱団」を結成し、歌う喜びを教えることだった。
最初は面白半分だった子供たちも、徐々に歌うことの素晴らしさ、楽しさに目覚めていく。
そんなある日、マチューは誰もいないはずの教室から“奇跡の歌声”を耳にする・・・。


寸評
「池の底」という名の寄宿舎に入っている問題児の少年たちを、音楽を通じて矯正していく音楽映画であるが配置されている人物はお決まりの人々である。
高圧的で強権をふるう校長が居て、反抗する子供たちを力で押さえつけようとしている。
校長に同調する教師たちが存在し、子供たちに理解を示す用務員のようなマクサンスという老人が登場する。
子供たちに理解を示して、彼らをかばいながらが合唱団を組織して指導していく善良な教師が音楽教師のクレマン・マチューである。
自分たちをかばってくれていることが分かっていても、反抗期の子供たちはマチューに対しても従わない。
図式だけを見ればよくある学校物語のパターンである。
反抗的だった子供たちが立ち直っていくきっかけがスポーツだったりすることも多いが、この作品ではそれが音楽、更に言えば合唱団である。

マチューは生徒たちをそれぞれのパートに分けるが、唄うことができない幼いペピノを自分の助手に任命する。
また音痴でどうしようもない子は譜面台として楽譜を持たせて自分の前に立たせる。
兎に角全員参加で合唱団の稽古にいそしむのだが、その様子は微笑ましいものがある。
マチューはモランジュという少年が天使の歌声を持っている事を発見し、彼をソリストとした指導を開始する。
物語にアクセントをつけているのが、矯正施設から送られてきた協調性が少なく狂暴性が強い性格のモンダンという少年の存在と、モランジュの母であるヴィオレットの存在である。
モンダンは矯正が難しい不良少年で、寄宿舎にとんでもないことを仕出かす。
ヴィオレットは未婚のうつくしい女性で、マチューは彼女に行為を抱く。
その事に対するマチューの行動が可笑しいし、モランジュの反抗的態度には理解できるものがある。

モランジュにはソリストとしての自惚れがあったのだろう。
マチューはそれを見て取って、モランジュが居なくても合唱は出来ると突き放す。
そして伯爵夫人の前で披露される合唱のシーンは、やはり音楽映画として感動的場面となっている。
紙ヒコーキを飛ばしたり、サッカーボールをぶつけられてもはしゃいで見せるなど、心変わりがしたかのように描かれ始めた校長だが、やはり本質は変わっていなくてマチューは解雇されてしまう。
生徒たちと心を通わせていたと思っていたマチューは、見送りに出てくれないことにがっかりするが、そこで再び感動的な場面が用意されている。
しかし、マチューはすべての手紙を拾って去っていない。
普通の人ならすべての手紙を拾い集めて去っていくのではないかと思う。
冒頭で大人になったペピンがモランジュを訪ねてきて、マチューの日記を手渡しているのだが、なぜペピンがマチューの日記を持っていたのか疑問に思っていたのだが、最後のエピソードで納得させられた。
冒頭で大人になったペピンとモランジュが描かれたのだから、最後はやはりこの二人のシーンが登場しないと映画として成り立たない。
そしてその後のことがペピンによって語られるが、それぞれが納得の出来事である。
目新しくはないが良心的な作品だ。