おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

汚れなき悪戯

2021-02-02 06:26:22 | 映画
「汚れなき悪戯」 1955年 スペイン


監督 ラディスラオ・ヴァホダ
出演 パブリート・カルヴォ
   ラファエル・リベリュス
   アントニオ・ビコ
   アドリアーノ・ドミンゲス

ストーリー
聖マルセリーノ祭を迎えたスペインのある小さな村。
楽しげに丘の上の教会へ村人達が向う頃、貧しい家で病床に伏す少女を訪れた一人の僧侶は、この日にまつわる、今は忘れられた美しい奇蹟の物語を話して聞かせる……。
かつて戦争で荒れ果てたこの村が平和をとり戻し始めた頃、三人の老いた僧侶が訪れて来て丘の上の廃墟に僧院を建てたいと村長に頼んだ。
農夫たちの協力で僧院が建立された十年後、僧侶らはある朝、門前に幼い捨子を発見。
彼等は赤児の両親が今は亡いと知ると、マルセリーノと名付け世話を始めた。
五年の後、マルセリーノは天使のように無垢な悪戯っ子になっていた。
少年は、天国にいると思われる母親のことを想う日が多くなった。
ある日、野原で出逢った農家の若妻に母の姿を見た少年は、同じ年頃のマヌエルという男の子がいると知って、彼を空想の友達と考えて、一人ぼっちの遊びも楽しいものにした。
祭の日、村に行った少年の僅かな悪戯は思いがけぬ混乱に発展、負傷者まで出た。
村長の後を継いでいた鍛冶屋は、これを僧侶らに対する口実とし、一ヵ月以内に僧院退去を命じた。
何も知らぬ少年は一人、空想のマヌエルと遊ぶ中、納屋で十字架のキリスト像を発見、飢えと寒さで悩むように思われるキリストの許へパンや酒を運ぶ。
ある嵐の晩、やって来た少年にキリストは好意に報いようとその願いを尋ねた。
少年は天国のお母さんに会いたいと答え、古椅子に寄ったまま永遠の眠りに就いた。
そのまわりには、どこからともなく光が輝く。
奇蹟は村中に伝わり、葬式には鍛冶屋を始め総ての村人が参加した。


寸評
少年と修道士たちのかかわりが微笑ましい映画であるが、一方で悲しい物語でもある。
物語は一人の修道士が病気で祭りに行けない少女に聞かせる形で始まる。
マルセリーノは捨て子だったが修道士たちに可愛がられ、台所さんと呼ぶ修道士を初め、共に暮らす修道士たちを12人のお父さんと思っている。
マルセリーノは母親の味を知らず、友達は名前を聞いただけの空想の世界にいる。
孤独に思える境遇だが、修道士たちから受ける愛情によって不幸には思えない。
しかしそれでも、やっぱりお母さんに会いたいと思う気持ちがあり、そこが泣かせる。

マルセリーノが修道士たちに行う悪戯や、初めて町に出た時にやらかす騒動などは愉快なものであり、それだけを見ているとよくある子供を主人公にした微笑ましい映画に見えるが、実はそうではない。
キーとなるのは冒頭で登場する少女だ。
少女は病気で寝ているのだが何の病気でどういう状態なのかははっきりしない。
神父は医者としての知識を持っているのかもしれず、母親に様子を聞くと容体は変わらないと言う。
どう変わらないのか分からないが、雰囲気的には相変わらずよくないように思えた。
聖マルセリーノの話をしてあげようと言う神父に、「今日でなければいけませんか」と聞く父親に神父はちょっと考えてから「そうだ」と答える。
母親はハッとしたような表情で夫を見ると、神父は半分は親のためでもあると言う。
この少女は冒頭のシーン以外には登場せず、映画は神父の話の締めくくりと共に終わってしまうが、僕はこの少女は亡くなったのだと思う。
可愛いマルセリーノが死んでしまうことは理不尽な気がするし、この少女が病気で死ぬのも理不尽である。
少女の両親の嘆きと悲しみは想像できると言うものだ。
それがわかるから神父はマルセリーノの話をしたのだと思う。
少女に対しては、天国へ召されることは悲しいことでも怖いことでもないということ、両親に対しては、子供はとてもいいところへ行くのだということが言いたかったのではないか。
話し終えた神父が去っていくが、僕はこのシーンを見て少女は安らかな眠りについたのかもしれないと思った。

半ば愉快に繰り広げられてきた物語だが、一気に緊張をもたらすのが大きなキリスト像の手が動くシーンだ。
マルセリーノはファンタジーの世界へ、神と一体化した世界へと入っていく。
神はマルセリーノの願いを聞き入れる。
台所さんはマルセリーノの死という結果だけを見たのだろうか。
いや多分、マルセリーノがキリストとの会話する姿を目撃し、そしてマルセリーノが天国に召される姿を目撃したのだと思う。
子供を使えば自然と楽しい映画になるという典型的な作品の様に思えていたが、ここに至って極めて宗教的な作品なのだと分かった。
僕はこの映画のテーマ曲をどこで聞き覚えたのだろう。
初めて見た時には、すでにそのメロディは僕の頭の中にあったのだ。