おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

孤高のメス

2021-02-20 11:51:02 | 映画
「孤高のメス」 2010年 日本


監督 成島出
出演 堤真一 夏川結衣 吉沢悠 中越典子
   松重豊 成宮寛貴 矢島健一 平田満
   余貴美子 生瀬勝久 柄本明

ストーリー
現役の看護師でありながら、病院内で適切な処理を受けることが出来ずに急死した母・浪子の葬式を終えた新米医師の息子・弘平は、整理していた母の遺品から一冊の古い日記帳を見つける。
そこには生前看護師を天職と語っていたとは思えない泣き言が綴られていた……。
1989年。浪子が勤めるさざなみ市民病院は、大学病院に依存し、外科手術ひとつまともにできない地方病院だったが、そこに、ピッツバーグ大学で肝臓移植も手掛けた当麻鉄彦が、第二外科医長として赴任してくる。
着任早々の緊急オペにも、正確かつ鮮やかな手際で淡々と対応する。
患者のことだけを考えて行動する当麻の姿勢は、第一外科医長・野本らの反発を招く一方、慣例でがんじがらめになった病院に風穴を開けていく。
特に、オペ担当のナースとして当麻と身近に接していた浪子は、彼の情熱に打たれ、仕事に対するやる気とプライドを取り戻していった。
ある日、第一外科で、一年前のオペが原因で患者が亡くなる事態が発生。
デタラメなオペをしながらそれを隠蔽、責任を回避する野本と対立して病院を去る青木に、当麻はピッツバーグへの紹介状を渡す。
そんな中、大川が末期の肝硬変で病院に搬送されるが、大川を助ける方法は生体肝移植のみだった。
だが、成人から成人への生体肝移植は世界でもまだ前例のない困難を極めるものだった。
当麻が、翔子ら家族に対して移植のリスクを説明する中、浪子の隣家に暮らす小学校教師・静の息子・誠が交通事故で搬送されてくる。
数日後、脳死と診断された誠の臓器提供を涙ながらに訴える静の想いに打たれた当麻は決断する…。


寸評
1989年の出来事を回想形式で描くが、描かれるのは脳死肝移植である。
当時は脳死移植が認めておらず、1997年に脳死臓器移植法が成立して脳死肝移植も可能となったようだ。
医療ドラマはテレビでも形を変えて色々と制作されるようになっているので、映画化にあたっての最低条件として手術シーンのリアルさが求められる。
その点においては医師の堤真一、ナースの夏川結衣の嘘っぽさを全く感じない演技と、リアルな臓器の映像とで及第点だった。

腕利きの新任医師と、権力欲のある病院を牛耳る医師との対立と言う構図はテレビドラマを含めて数多くある。
本作も例外ではない。
その権力の背景として、個人的名誉欲の他に大学病院の存在をあげているのが目新しいところで、大学病院の医師と医療に頼る地方病院の姿が描かれている。
僕だっていつ地方病院に運び込まれるか分からないが、実際に生瀬勝久のような医者に不幸にも当たったら嫌だなと思う。
どこかの大学病院で技術不足の医師によって多くの命が失われていた報道もあったので、生瀬勝久が演じた野本医師のような人はいるのかもしれない。
しかし医学のことなど全く分からない僕たちは担当医師を信じるしかない。
そうなった時にはいい先生に当たりたいなあ。
「そんなやつホントにいるのか?」と思われるスーパードクターである。

当麻医師は院内の旧態依然とした慣例に囚われず、患者のことだけを考えて正確かつ鮮やかに処置を行う。
看護師の中村は初めて医療らしい医療に出合い、失いつつあったやる気を呼び起こす。
物語は亡くなった中村の日記を回想する形で進んでいくが、社会派映画としての暗さはない。
むしろエンタメ性を盛り込んだ明るいものとなっている。
まず肝移植を受けることになる大川市長(柄本明)のキャラが際立っている。
当麻と対極の医師として野本という悪役を登場させ、観客が当麻に感情移入しやすいようにしている。
そして、当麻は「手術はセーターを編み上げていくような緻密なもの」と言い、手術中に都はるみの演歌を流すと調子が出るといった設定などである。

後半の命をつなぐ脳死肝移植の話は、特に譲る側の家族の姿が涙を誘う。
臓器移植手術は難しい手術なのだろうと思うが、脳死判定はさらに難しい判断が求められるのではなかろうか。
今はその基準が徐々に整備されて行ってるようなのだが、命の判定は慎重にしてほしい。
命のリレーとして、亡くなった人とその家族の願いが引き継がれるのはよくわかるのだが…。

医療ものとしてフィクションと現実のバランスがとれた、見やすいエンタメ作品となっているので、多くの人が退屈せず楽しめる作品になっていると思う。