頑張って生きる。

元気だった主婦がある日突然、障害者になり、余命を宣告された。でも、頑張って生きようと心に決め一日を大切に過ごしてます。

愚痴

2007-06-10 10:31:41 | Weblog
人間は、誰もが自分が一番不幸な人間だと思いがちなのかもしれない。

色々な人と出会い、色々な話を聞いていると、そんな気がする。

障害者同士の中でもいろいろな差別があり、いやな思いをする。私がディサービスをやめたのもそれが原因。
脳梗塞で片麻痺の人。先天性の小児麻痺の人。交通事故の人。難病の人。いろんな患者さんと出会ってきた。
私はその中でも、歩く事は出来ないけど、両手は自由に動くので、比較的、日常生活を送るのには楽なほうだと自分では思っている。
でも、そのなかで、
「あなたは、いいわね。両手が使えるから・・・私なんかより、ずっと、軽いのに施設なんか利用しなくてもいいんじゃない!」
「私は、先天性だから、大変なのよ!あなたより、障害者暦、ずっと、長いんだから・・・」

私は自分自身、足は不自由かもしれないけど、手は動くんだし、目だって見える、耳だって聞こえるんやし、自己主張もしっかりできる。だから、幸せだと思っている。少しは、人の痛みもわかるようになったし、生きてくことの大切さも身にしみて感じることができたと思っている。

私生活にしても、夫の闘病、三男の闘病と他界、長男、次男の精神的な問題、そして、私の病気と、ほんとに息つく間もないほど振り回されてきたように思う。
でも、そのなかで、夫と話し合い助け合いながらけんかをする間もなく過ごしてきた。だから、今、家族とひとつ屋根の下で生活ができる事、家族の食事が作れる事、家族の仕事着の洗濯が出来ることに幸せが感じられる。
お金なんてもちろんない。

それに対して、最近毎日義母の愚痴をよく聞くようになった。年のせいなのか?
60代後半で夫と死別するまでは、ほんとに、なにもなかった義母。
義父は一人っ子だったので、小姑もないし、義父の生まれた土地ではなく義母の生まれ育った土地で80年間暮らしているので、親戚は皆、義母の兄弟ばかり。
「お金の苦労なんかしたことない!」
と、いまだに言う。
母の実家が大地主だったこともあって、義父が亡くなるまでに3軒の家を建てたという。
その、名残なのか、80才になった今でも、高い化粧品を使い洋服を買うのも頻繁。
私の実家はサラリーマンの大家族だったので、そんな、余裕はなかったように思う。

だから、人を見る目もなんか、違う気がしてならない。
私は、人間、生きていることが大事だと思うけど・・・
「あの人、みっともない足、引きずって・・・」とか、
「汚い格好して・・・」とか、
「私やったら、車椅子になってまで生きていたくないわ!」なんて・・・・

自分の長男の嫁が車椅子で生活しているのに、心の底ではみっともないって思っているんだ!障害者の人は皆、努力してリハビリして、苦労して悩んでそれでも、精一杯頑張って明るく生きている人が多いのにって思ったら、涙が出てきた。
自分だって明日はどうなるかわからない!
そう、思うのに・・・・・

いままで、幸せに生きてきた人ほど、愚痴が多い気がする。でも、私だって、いろんな事があったけど、今、幸せ。
元気だったらわからないいろんなことがわかったから・・・
人の優しさ、夫の優しさにも、触れることができたから・・・・

時々は腹の立つ義母の言葉だけど、そういう目でしか見られないことがなんか、かわいそうな気もする。

そう思いながら、年老いていく義母を見守り看取っていくんだろうな?なんて、近頃思う。

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2 コメント

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色々考えます。 (rococo)
2007-06-26 09:43:44
私の母も 周囲と比べて 自分が一番不幸だ...といつも言っています。そんなことも無いと思うのですが...。私もすぐ愚痴ってしまう人です。最近少しだけ 幸せの数を 数えられるようになりました。まだまだ心の修行が必要です。   
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心の修行ね~ (ゆうママ)
2007-06-28 09:42:45
一番難しいですよね。心のことって・・・

そうそう、幸せの数を数えてみたらいいのですね。
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