頑張って生きる。

元気だった主婦がある日突然、障害者になり、余命を宣告された。でも、頑張って生きようと心に決め一日を大切に過ごしてます。

決断!

2015-08-28 08:38:09 | Weblog
今日は、施設にディサービスに行く日です。

たくさんの人が集まる中、いろいろな性格の方がおられ、いつも楽しく参加させてもらえるとは限りません。でも、それは、お互いさまなので、障害を理解しあい、出来るだけ楽しく過ごす事が出来るようにみなさん、努力しておられます。

でも、その中で、どうしても、私にとって許せない言動を言われるおばさんがおられます。普通の方なら、話してもいいことと、いけないことは区別がつくはずですが、その方は、人が傷つく言葉も平気で言われます。それも、私を目の敵のように・・・・

私も、大人なので、病気がそういう言葉を言わせているんだと言い聞かせ、我慢してきました。一度、施設の方に相談をしましたが、進展せず・・・・・
我慢すること、1年余り・・・・・

精神的にもおかしくなり、体重も20㌔近く痩せてしまいました。他に、仲良く、楽しく過ごせるかたがおられるので今まで通うことが出来ました。

旦那さまに相談をすると最初は、「小さな子供じゃあるまいし、言ったやの言わなかったやの、やかましく言わないで知らん顔しといたら・・・」と、言っていましたが、私の悩む様子を見ていて、もう一度、施設の方に相談してみたら・・・と言うようになりました。
言われながらも、もう少し、もう少し、と、思いながら今日まで来ました。

よく、考えたら1ヶ月、1万円近い利用料を払いながら辛い思いをするのも、おかしいですよね。

出かける前の忙しい中、こうしてブログを更新しているのは、今日こそ、相談しよう!と思う決意からです。

利用したくないのが本音ですが、入浴サービスを受けているので、家で湯船にゆっくり浸かれない私は、そういうサービスを利用するしかありませんし、そこで知り合ったほかの方とは、楽しいですし、いい人間関係が出来ています。

少しでもいい方向に行くよう、今日、思い切って話してみます。

肉体的にしんどいのより、精神的にしんどいって、ほんとにしんどいものですね。

頑張ってきます!

大事な事

2015-08-19 20:43:27 | Weblog
いつものようにあわただしくお盆も終わり、一応、長男の嫁の役目は無事、果たせました。

今年のお盆はいろんなことを考えさせられました。ここ、2、3年は、回りであっけなく他界してしまった方が多く、命の尊さ、はかなさを感じた年でした。
戦争で多くの方の命がなくなったことや、他国の爆発事故やテロの爆発で多くの方の命が一瞬で亡くなった現実も、脳裏から離れませんでした。

友人の家にお参りに行ったときのこと。私が今の生活に満足してる。幸せだと言ったら、下見て生活してる。もっと、上を見て生活しないと・・・って、言われました。
人それぞれ、考え方があるので、その場では上手につくろって於きましたが、上を見る生活ってなんだろうって思いました。
上に目標をもつのであれば、良い事だとは思いますか、いい暮らしをすることが上を見ることなら、それは、違うのではないかと思いました。

お金があっていい暮らしが出来る事が、幸せではないと私は、感じてます。生活するうえでお金は大切ですが、家族みんなが仲良く、信じあえて、暖かく生活できて行く事が大切なんではないかな?と、思います。

我が家は、周りから見たら、いろいろ難題を抱える家庭かも知れません。だからこそ。幸せの大切さを身にしみて感じられるのかも知れません。今もまた、10ヶ月近く悩んでいた大きな出来事を家族皆で、乗り越えられそうな気がします。

相変わらず、いろいろ大変なことはありますが、今の私は充分、幸せです。

宅急便

2015-08-10 09:42:29 | Weblog
実家の母方の祖母は若い年令で他界した。

昔の事なので、子沢山で私の母が一番上で、5人兄弟。母と一番下のおばとは、21才、離れている。話によると、母が結婚したすぐ後におばが産まれたとのこと。おばの、子育て等、母がずいぶん手伝ったとよく聞かされた。

そのおばが、10才くらいの時に、祖母は他界したと聞いている。
父が優しい人だったので、そのおばを引き取り、一緒に暮らしていた。母もあまりからだが丈夫ではなかったので、兄が産まれるまで4年、あった。
私達、二人は産まれる前からおばがいたわけで、おばちゃんと言うのには抵抗があり、自然に「ねえちゃん」と呼んでいた。私達が小学生になり、作文なんかで「おねえちゃんと遊びました。」なんて、書くと、担任の先生から両親に電話があり、「おねえさん、いらしたんですか?」と、言われたとよく笑い話になりました。

兄とは4才、私とは、10才しか離れておらず、まして、産まれたときからず~と一緒に生活していたので「ねえちゃん」と呼ぶのが自然だった。
今、おばは、65才、私は56才、いまだにおばちゃんではなく、「ねえちゃん」と呼ぶ。

付き合いの仕方も、兄弟、姉妹のようにお付き合いをさせてもらっている。私は、兄もいて、姉もいて、ふたりともに大事にされて今まで育ってきたことは、感謝です。

その、ねえちゃんも、就職と同時に独立し、優しい旦那さまに巡り合うことが出来、大阪で幸せな家庭を持った。

私からは、舞鶴のおいしい魚をを送ったり、ねえちゃんからは洋服を送ってもらったり、お互い、遊びに行き来したれいと、家族ぐるみでのお付き合いをしてます。

そんなねえちゃんから、宅急便で荷物を送ったと電話がありました。翌日の朝、届きました。
宅急便を開けるときのワクワク感って、いくつになっても変わらないものですね。前置きが長くなりましたが、その、ワクワク感を伝えたいと思いました。

二箱に分けて入ってました。ガムテープをビリビリとゆっくりはがすと、孫の洋服が入ってました。ねえちゃんの孫が私の孫より、少し年上なので洋服が丁度、間に合います。中をゴソゴソすると、私の洋服が入ってました。私の服は新しいのでした。
後は、私の好きなカステラや何種類かのお菓子が入ってました。
あくる日、お盆の棚経にお寺さんが来られるので、お供えが出来ます。

いつもの事ですが、旦那さまが「わしの、何かない?」って、いつも聞きます。時折、旦那さまのものも入っているときがありますが、今回はなかったです。

本来なら、おばと姪の関係ですが、私が小学生まで一緒に暮らしていたこともあり、姉妹です。私の母の事をねえちゃんは、「ねえちゃん」と呼んでいたのが不思議なくらいです。

いつまでも、元気でいてほしいと心から思います。