頑張って生きる。

元気だった主婦がある日突然、障害者になり、余命を宣告された。でも、頑張って生きようと心に決め一日を大切に過ごしてます。

1リットルの涙

2005-11-28 00:23:48 | Weblog
なかなか熱のさがらない次男の病院の待ち時間に、本屋さんに行った。もともと、私は、本が好き。活字中毒っていわれるくらい本が好き。
30分くらいの間に文庫本、2冊も買ってしまった。本は、高いから嫌い!

今、テレビでも放映されてる1リットルの涙の原作本。それと、お母さんの手記。
15才で発病した亜也ちゃんという女の子が、25才で亡くなるまでの闘病の日記だった。だんだん、不自由な場所が増えてきて、歩けなくなって、食事が食べられなくなって、寝たきりになって、最後は命を落とす。と、いうお話だが、その中でも、いつも前向きに、亜也ちゃんらしくいられるよう努力して生きていた様子が胸を打った。お母さんも、自分の娘の病気を冷静に受け止め娘が娘らしくいられるよう、最後まで頑張っておられた。
病気は、違うものの、今、私も、同じ立場。車椅子から左手が不自由に」なってきて、今に、右手も・・・座っていられなくなって・・・寝たきりに・・・・考えたくない事だが、いずれは、向かっていかなければいけない事。私も、亜也ちゃんのように、自分らしく生きていけるのだろうか?
それを、見守るお母さんも、さぞ、つらかっただろう!いつも、自分の娘が娘らしくいられるように考えておられた。私には、出来なかった。

三男が、闘病中、私の思いだけで、ただ、生きていてほしい。それだけで、行動していたように思う。息子がどう考えているか?考えてもみなかった。と、いうより考える余裕がなかったのかも知れない。
植物人間になってもいい。心臓が動いていれば・・・・と、最後、医者に懇願したのは、息子の意思じゃなく渡しの気持ち。
今、私が、その立場になりよくわかる。

私が、私らしく生きて最後が迎えられるよう。それが、なんなのか、考えていかなくてはいけない。
でも、三男には、生きていてほしかった。ただ、それだけの思いで、走った。三男が、どう思っているかなんて考えてもいなかった。

私が、これから、病気が進行していって、不自由な場所が増えてきて、家族に支えてもらいながらでも、私らしく生きる事。考えて行こう。

亜也ちゃんも、お母さんも、家族も、悲しい事、悔しい事で、1リットルの涙をながされたかもしれないが、私も、本を読みながら大声を出して泣いた。もしかしたら、1リットル以上の涙がながれたかも・・・・

風邪の季節到来!

2005-11-25 08:39:29 | Weblog
風邪気味だった次男。普段、元気な人なんで、甘くみていた私が、悪かった。
熱はみるみる上がり、40度5分までに
祭日だった事もあり、救急外来で一般的な薬と解熱剤をもらって帰ってきたようだ。解熱剤で、一時期は下がるものの、また、上がる。
木曜日になるのを待って、小児科以来、お世話になっている個人病院に義姉さんに乗せてってもらって、再度、診察・・・

小さい子供を見ながら、「つい、この前、こんな感じだったのに。」と、思いながら、順番がくるまで待った。
息子が自分で経過説明をし、インフルエンザの検査もしてもらって薬をしっかりもらって帰ってきた。心配していたインフルエンザには、かかっていなかったようなのでとりあえずよかった。

子供が小さい時は、冬場、毎日のようにお世話になった小児科の先生。当時は、総合病院の小児科医をされていたけど、お父さんの後をついで開業医となって、小児科、内科の看板を掲げておられる。
もちろん、亡くなった三男もお世話になった先生。久しぶりに出会って先生も、私も、診察より先に「久しぶりやなあ~」と、声が出た。
本当に、久しぶり。時はたつもので、今は、孫もお世話になっている。

これから、風邪の季節。あまり、お世話にはなりたくないけど、お会いできてよかった。
しんどい思いをした息子には、申し訳ないけど・・・ね。

今日はまだ、起きてこないけど、下がったんかなあ?

来月、19歳になる子やから、診てもらいといでって言ったら自分で行ける年齢だけど、ほんとに、高熱でしんどい時に車椅子でしか動けない私には、どうしてやることも出来ない。情けないなあと思いながらも、義姉さんにを頼む。心良く行ってくださるので、本当に助かる。

みなさん、風邪には気をつけましょうね。

食パン作りに挑戦

2005-11-22 20:47:56 | Weblog
パン作りにはまってるここ、最近、今日は食パン作りに挑戦しました。

先日の甥っ子の結婚式の引き出物でもらった食パン作りの型を使って、作りました。コネコネしていたら汗が出てくるくらい力が入り、少々、疲れましたが、発酵して焼いていると、生地が面白いほど膨らんできて、そのうち、香ばしいいい匂いがしてきました。

もちろん、焼きたてを味見。
ん~、やっぱり、香ばしくてもちもち感があっておいし~い。

いつもなら、真っ先に味見をする次男は、今日は、風邪をひいたか熱を出してそれどころじゃない様子。焼きたておいしいのに残念。

日曜日

2005-11-20 23:10:20 | Weblog
久しぶりにゆっくりした日曜日を過ごした。
いつもは、夫と息子のサッカーの試合にくっついて遠出をするのだけど、今日は、家を片付けたかったのと、なんか、体調が今ひとつ、すっきりしなかったのもあり、留守番をした。

午前中にかたづけは終わったけど、なんか、からだが重い。足が痛い。
そうだ、マラソンが入ってると思い、テレビのスイッチを入れた。高橋 尚子の力走を見ていたら、なんか、感動した。
夢をあきらめない!大事な事なんだなあ。私の夢ねえ~なんかなあ~
夫が定年まで、生きている事かなあ。

そんなこと思いながら、1位でゴールするまで、テレビにくぎづけになっていた。それなのに、ラストスパートかけたところは、寝てたのか見ていなかった。残念。

そうこう、しているうちに、夫と息子が帰ってきた。勝ったよ。と、ニコニコと・・

たまには、こんな、日曜日もいいわ。

嫁と娘

2005-11-16 22:52:57 | Weblog
私は長男の嫁。近所に夫の姉さんが住んでいる。姑にしてみたら、娘。義姉さんは、よく気のつく人で、頭も賢く本当によくしてくれる。私が、手術した時も、付き添ってくれたり出かける時なんかは、自動車を出してくれるので度々、お世話になっている。義姉さんには、なんの不満もなくむしろ、お世話になっているので感謝しているくらい。
でも、姑にしてみたら、やっぱり、嫁より娘が頼りになるみたい。
私が、いくら頑張ってみたところで、姑にしてみたら娘にはかなわないみたい。

先日、夫と次男と電気店に行って、姑がホームこたつがほしいと言っていたので夫がこづかいの中から、買って帰った。その時は、喜んでくれてコタツふとんも買いに行って1日、使っていたようだが、「この、コタツ、大きいし姉ちゃんにやるわ!」って、言われてしまった。夫には、その事をまだ話していないが、それを聞いた私は、複雑な思いがした。
気にいらなくても、大事に使ってほしいというのが、私の本音。

義姉さんの家が近い事もあり、行き来は頻繁にある。私が外出から帰ってくると、義姉さんがいることも、度々。それは、いいのだが、私が帰ってきたからといって、テーブルの上のお菓子を急いでかたづけなくてもいいのではないのか?
「お菓子、食べてたんや。どうや、あんたも。」って、言ってくれたら気持ちもいいのにと、いつも、思う。
私が、元気な時からいつも感じていた。買い物に行くのに、「自動車、一緒に乗って行く?」と、姑に聞いていつも、出かけていたけど、必ず、「いいわ。」って、返事が返ってくる。でも、買い物先で、義姉さんに乗せてきてもらって姑が買い物してる事も、度々、あった。
その度に、嫁がいくら頑張っても娘には勝てないことを痛感してきた。
また、嫌なお正月がやってくる。義姉さん家族と、義妹さん夫婦が帰省する。長男の嫁である私は、なんか、その中に入りづらく皆が楽しそうにしているのをよそ目に、台所で用事をしている事が多い。
食事を食べそびれる事もある。あ~あ、また、嫌なお正月がやってくる。

でも、私も実家に帰ったら娘。普段は、父と母の二人暮らしだけどお正月なんかは、兄家族が帰省している。やっぱり、義姉さんが、私と同じ思いをするのではないかと思い、長居はせずにさっさと帰るようにはしていたが、車椅子で生活するようになってからは、実家は段差があり入れないのを口実にして、ここ、何年かは寄っていない。
母が私の実母でない事も、関係があるかも知れない。とても、よくしてくれる母なので、感謝はしているけど、私が結婚と同時に父が再婚したのでなんか、もひとつ、ぎこちない面があるのは事実。

やっぱり、母親と娘の絆って特別なもんがあるんだろうな。実母が生きていてくれたら、私も、もう少し違う女になってかもしれないと思うときがある。
私には、息子が二人。嫁さんしかいないので、良かったかもしれないわ。

サッカーの試合

2005-11-13 10:52:23 | Weblog
今日は、府民総体というサッカーの試合があって、網野町から弥栄町まで行ってきました。
午前中の大雨で行くのを少しためらいましたが、午後からは網野地方は晴天。暖かい気候になりよかった。
結果は、3対1で負けてしまいましたが、しっかり息子の応援ができました。

その後、舞鶴まで帰ってきて、反省会というか打ち上げというか、居酒屋さんでの飲み会に参加しました。年齢層、20才くらいから上は、51,2歳。そう、うちの旦那あたりが最高齢です。
サッカー談義に花が咲きましたが、親子ほど年の違うこともあり話が合わず、若いっていいなあ?って、つくづく思ってしまいました。

朝、7時半に舞鶴を出発して居酒屋さんを出たのが23時頃。長時間で、私は疲れましたが、居酒屋さんで寝かせてもらったので、なんとか、無事、家までたどり着けました。

でも、真剣、疲れたわ~。

自分のおかれてる立場

2005-11-11 09:45:50 | Weblog
本田 美奈子さんが、亡くなった。あの、小さな体からあれだけの力がどこからわいてくるのだろう?私は、亡くなる前からCDがほしかったが、今は、売り切れのよう。

今、自分のおかれてる立場が辛くしんどいものであっても、他人さんからみれば、うらやましがられることって多いと思う。
隣の芝生は青いって、よく、言いますよね。

私の場合も、思春期に母親を亡くし、我が子も亡くし、自分が病気になり、なんで、わたしだけ!何度、思ったか知れない。
でも、元気でも家族のいない人。手足が不自由でも、目は見えるし、耳は聞こえる。お友達も、たくさんいる。
自分が、幸せなほど、それに、気がつかないように最近思う。

うちの義母。地元で生まれて、地元で結婚し、80年。幼馴染もたくさんいる。つれあいに、13年前に先立たれてはいるが、長男と同居しすぐ、近くに長女も住んでいる。年が年だけに、多少、足が痛い、腰が痛いはあるものの、杖もつかずさっさと歩いている。これといって病気もなく、好きな物食べて好きなところへ行って、毎日、過ごしている。多少、物忘れはあるけど・・・・
そんな、義母でも、私みたいに車椅子で生活してるものにも、うらやましいという。理由を聞けば、若いから。
私も、いずれは年をとる。義母の年まで生きていられればいいけど、それも、難しい。こんな、私でも、義母にとってはうらやましいのだろうか?毎日、足の痛みと格闘しているのに。

夫がいて、息子がいる。友人もたくさんいる。足は不自由だけど、そんな、じぶんが一番好き。そう、思って生きていくことにする。

治療第一回目

2005-11-07 22:37:07 | Weblog
今日は、いよいよ治療開始の日。

朝、8時半に家を出発。
病院に着くとすぐに、採血をしてその後点滴で薬の投与が始まる。

治療といってもたいした薬がはいるわけでもない。
でも、今まで発病以来、なんにも治療法がないと言われ、ただ、対処療法のみで4年間すごしてきた。
熱がでたら、解熱剤。痛みが強いときは痛み止め。
ただ、進行していくのを見てるだけの時間。
それだから、治療という響きが新鮮でうれしい。
なんか、よくなるんじゃないんかな?そんな、気持ちにもなってくる。

今のところ、副作用らしきものもない。
少しでも、効いてくれたらいいのに!次回は、4週後。

私の大好きだった本田 美奈子さんが亡くなった。白血病に負けないように、一生懸命戦っていたんだと思う。
一番当たり前の望み。生きていたい。という、望みさえもかなわなかった。
私も、生きていたい。そのための、治療だと信じてる。本田美奈子さんのように、いつも希望をもって、前向きに頑張って生きていこう。

人とのつながり。

2005-11-06 11:04:25 | Weblog
ちょっと、思うとこあって携帯のアドレスを変えた。その、連絡を何人かの友人にメールした。
「この人は、長い事連絡ないし、いいか。でも、しとこかな?」と、思ってメールした人が何人かあった。

いつもメールしている友人なんかは、すぐ、返信があって当たり前だと思ったけど、何年も連絡がなかった人から、お久しぶりです。と、ながながメールが入った。
あ~あ、なつかしい~。アドレス変更面倒くさいけど、たまにするのもいいものだと、つくづく、感じた。

いよいよ、明日から治療開始です。よくなることを信じて頑張ってきます。

ひさびさの旅行

2005-11-01 10:03:56 | Weblog
一年ぶりの泊がけの観光旅行に行ってきました。いつもディサービスにかよっている施設からの旅行です。京都府に住んでいながら、京都観光なんてしたことなかったわ。て、いうわけで、ディサービス9名に対して、職員13名、総勢22名、自動車4台(バス一台)を連ねての旅でした。移動とか何かと手のかかるため、職員の人数のほうが多いのは、障害者施設の特徴なんだろうね。

一日目は、嵐山。さすが、観光地。ものすごい人。美空ひばり館にも、行った。道路が渋滞していたため、三十三間堂は閉門までに到着することができず、そのまま、ホテルに直行。
二日目は、やつはしの手作り体験。生地をこね、のばして、あんをつつんで出来上がり。一見、お店にならんでるやつはしみたい?でしょ。
その後、ダイヤモンドシティ(ジャスコ)で、お買い物して、旅行は終了。

二日目、朝、起きたときから、体が痛い!ベッドが変ったせいかな?
やつはし作っている時から、なんだか、吐きそう。昨日、食べ過ぎたのかも?
ジャスコに行く時間を皆の半分にして、自動車の中で寝ていた。
そのせいか、後は気分よく、帰路につくことができた。

今回の目的は、三男が入院中にお世話になったお母さんと会うのが、一番の目的だった。同じ苦しみをし、助け合って過ごした病院での闘病生活。24時間、一緒だった事もあり、とても、なつかしく、あっという間に時間は過ぎた。
丸太町から東大路どうりを通る時、あっ、なつかしいお店が・・・
京大病院の近くの喫茶店。気晴らしによく、コーヒー飲みにおいったなあ。
夜中に食べるものを買いにいったローソン。
苦しく、辛い事ばかりあった場所だったが、7年もたつとなつかしく思えた。

私にとって京都は特別な場所。
職員の人にもよくしてもらったし、いい思い出の旅行ができてよかったわ。