頑張って生きる。

元気だった主婦がある日突然、障害者になり、余命を宣告された。でも、頑張って生きようと心に決め一日を大切に過ごしてます。

大事なこと

2012-08-27 11:46:12 | Weblog
私にとって大事なもの。

お金?お金も、もちろん、大事ですよ。なけりゃ生活できない。
名誉?プライド?見栄?少しは持って生きていかなければいけないのかも知れないけど、なくても生きていける。

この年になって、気がつくのって遅いかなあ?

私にとって大事なもの。旦那様であり、息子たち。
そして、私の事を見守っていてくれる友達。

口を出すでもなく、いつでも、見守ってくれている。
押し入れに、眠ってたわ!と、夏糸や毛糸を届けてくれた友達。
その、夏糸でカーディガンが編めて、その、友達にお嫁入りしました。

愚痴こぼしや、買い物に付き合ってくれる友達。私が、ホッとできるひととき。
手作りのお昼ごはんをごちそうになり、いろいろな相談や、愚痴聞きもしてくれる。
編み物も、上手なので!話もはずむ。

そんな、たくさんの人に支えられて私は生きていられるをだと思う。

恩返しは、出来ないから、私が元気でいることが一番の恩返しなのだと思う。

だから、頑張れる!
頑張らなければいけないんだと思う。

皆のためにも私のためにも!

長い夏休み

2012-08-21 08:24:42 | Weblog
旦那さまのなが~い夏休みが終りました。

原子力発電所で働いていた旦那さまは、原発事故後、再稼動が出来なかったため、多くの人が仕事がなく退職あるいは、自宅待機をされていた。
旦那さまみたいに、定年間際のおじさまにはただでさえ、厳しい就職状況のうえに事故だったから、すんなり、仕事があるはずもない!
でも、生活しなくてはいけない!雇用保険と預貯金を崩しながら、生活してきた。

お金より、何より、時間が不規則になっていかん!
オリンピックもあったせいもあるけど、夜中にテレビをみて朝、暑くなって目がさめる。毎日かかさず、見ていた梅ちゃん先生も見逃す。
すぐ、昼になり、夕方が来る。

今日から、出勤。
5ヶ月半の長い夏休みは終った。

朝、5時に目覚ましが鳴り、久しぶりのお弁当つくりが始まる。

5ヶ月半、家にいて、旦那さまはずいぶん成長したように思う。今まで、全く無頓着だった近所とのお付き合いも気軽にするようになったし、家のこともこまめに手伝ってくれるようになった。

今まで、義母がいたから、義母に任せていたのか、自分が手を出すことじゃないと思ったのか、仏さんの事とか、家のこと、全くかまわなかったけど、義母が施設に入所してから、自分がしなくてはと思ったのか、進んでしてくれるようになった。

仕事は休みだったけど、一番、成長したのは旦那さまだったような気がする。

いい休みだったんじゃないかな?

ほんとに定年退職を迎え、ゆっくりできるまでもう少し。その日が来るまで元気で、それからは、夫婦二人で仲良く年をとりましょう!

お盆

2012-08-15 12:37:57 | Weblog
今年も猛暑の中、お盆がやってきた。

義母のいないお盆!自分のペースで出来る分、楽にできたように思う。
墓掃除も、おふくろを当てにできない!と、実感した我、旦那さまは、私が言うまでもなく、墓掃除に行ってくれた。仏壇の掃除も、せっせせっせと、してくれた。

今まで、お尻が重たかったのは「おふくろ」の存在だったんだと、嫁は思いました。

自分のペースで仏さんをお迎えする準備が出来、お花を花屋さんに取りに行くのも、親戚の墓にお参りに行くのも、旦那さまが着々と動いてくれたので楽でした。

おふくろがいるから、任しておいたらいい!と思ったのか、おふくろがいるから、好きなようにさせよう!と思ったのかそれは私にはわからないけど、いないと自分で動くんだ!と、思ったお盆です。

その、お盆の来客やお参りにも行かなくてはいけない時間の合間を縫って、NHKの方が取材にこられた。2~3日前に取材の依頼の電話があり、14日の午後・・・一番忙しい日なので、どうしようかと悩んでいましたが、私が伝えられることは伝えるきっかけがあるのなら、伝えていくべきではないかと、長男をはじめいろんな方の意見もあり、時間の調整をつけていただき取材を受けることにしました。

難病に対する法律が少し変わるようで、難病の中でも難病指定に認可されない難病について、いろいろと思いを聞かせてほしいと言われました。
患者数が少なくて認可されない難病って、かなり、たくさんあります。患者数が少なくても、痛み、苦しみ、しんどさ、辛さ、不安は一緒です。
かえって、患者さんが少ない分、同じ思いを共用したり相談したりするきっかけが少ないのが現実です。
私の病気も、そういう、希少難病の一つです。

だから、私がこうして伝えられるきっかけを頂いた以上は、伝えていかなければいけないのかなと、思います。お盆の真っ只中で忙しいのが現実でしたが、大事なことだったと今では思います。
どんなふうに放映されるのか、不安ですが、今では、取材を受けてよかったと思います。

何年も、何十年も前に、障害者の方がいろんなことを伝えていってくださったお陰で今、ディサービスを受けられたり、いろんな援助を受けることが出来たりしているのだと思います。そう、思ったら、輪つぃに出来る事は頑張らなくっちゃね!って、思います。

お盆も、明日は送る日です。友人の初盆のお参りに行ったら長男さんが挨拶に出てきてくれました。ゆうくんと同級生です。亡くなったときは7才で小さかったゆうくんも、もう、こんなに大きくなったんやなあ~と、その友人の子供さんを眺めてしまいました。

また、来年ね!って、しっかり送ってやろうと思います。

もう、ゆうくんって呼ぶのはおかしいかも?あの世でも、年はとるのでしょうか?

孫の入院

2012-08-06 22:07:54 | Weblog
我が家の紅一点のお姫様。一番下の孫娘が肺炎で入院してしまいました。

産まれ立ちも少し小さく産まれ、今もちょっと小粒。成長も、ちょっと、ゆっくりぎみなのかも?って、思う。肺炎も度々、繰り返し、ママは心配で仕方ないのが現実だと思う。

小児科も知り合いの職員さんが多く、入院という緊張感も不安もないのが助かる。

おばばがただ、願うのは早く元気になってまた、あの笑顔を見せてほしい!ただ、それだけ・・

勝ち、負け!

2012-08-02 10:43:34 | Weblog
今、オリンピックの真っ最中。勝つ者もいれば、負ける者もいる。それは、スポーツ、勝負の世界なら当たり前の事。

でも、私は今まで生きてきた人生を振り返るに、厳格だった父の口癖というか、人生の行き方にも勝ち負けを意識してきたように思う。知らず知らずのうちに・・・・

父は、苦労をして若い時から家族を養って来た人だった。学歴がなかった分、努力して学歴のある人に負けまいと頑張ってきた人でもあった。
そんな父に育てられた私は自然に、勝ちの生き方というのを違う意味で叩き込まれた気がする。

父の勝ちの生き方というのは、いいところに就職をし、エリートになって、高収入を得ることだったように思う。貧乏な生活をし、苦労した父が生きていくために一生懸命になった結果なのかも知れない。

私は、そんな父の生き方に反感を持ちながら生きてきたのは確かだったけど、心の奥どこかに父と同じ考えがあったと思う。親戚を見渡せば、公務員、警察官、税理士、教師という職業の人たちの中で育った私は、職業に関しても勝ち、負けのランク付けをしてしまっていたように思う。

自分が結婚する時、旦那さまはプー太郎。父が最もイヤな人物だったと思う。兄が教職の身だったこともあり、いつも、比べられていたのは確かだった。

父の考え方から行くと私の人生は、負けの人生。
今までの4ヶ月、旦那さまは仕事がお休みだった。8月からは、普通の勤務に戻るらしいけど、原発が調子よく稼動しない限りもとのようにはいかないみたい。
長男は、いろいろ苦労しながら今、障害者の授産施設で働いている。次男は、今まで勤めていたところを止め、飲食業のお店でアルバイトから始めることを決めた。
私自身も、障害者でなかなか、自分の思うように動けない。
老後も、年金がしっかりあるわけでなく、どうなることか・・・・・・

でも、古いけど家はある。

父からみたら、負けの人生を私は歩いているかもしれないけど、家族みんなで一生懸命、生きていることには間違いない。お金があっても、いい肩書きがあっても、心が貧しい人ってたくさんいると思う。
私がそういうう人生を送るよう、神様が決めたのは私にそういう、気持ちを持て!と、教えてくれているんだと思う。

人間の価値が、学歴でもなけりゃ、エリートになることでもない!お金持ちになることでもない!

どれだけ、人のことを思う優しい気持ちがあるかだと思う。正直、生活は決して裕福だとは言えない我、家庭ですが、皆、仲良く、一生懸命生きていることは事実。

父が亡くなる前に言った言葉。「人間、年とったら負けや!若いものには、勝たれへん!」
最後まで、勝ち、負けにこだわった父だったけど、そういう、強い気持ちも大切かな?と、思える私は、少し、成長したのかな?

オリンピックの選手も、負けた人でもその試合で得たものは、大きいものがあるのではないかと思う。