頑張って生きる。

元気だった主婦がある日突然、障害者になり、余命を宣告された。でも、頑張って生きようと心に決め一日を大切に過ごしてます。

夫の誕生日

2005-05-29 22:44:52 | Weblog
先日51回目の夫の誕生日を迎えた。
いつも、給料日前なんでたいしたお祝いはできない。子供の時からそうだったみたい。
でも、長男が結婚してからは、立派な心のこもったお祝いがしてあげられるようになった。
去年は、長男と私でベッカムが着てるユニホームをプレゼントしたし、今年は、サッカーパンツ。そう、夫はサッカーきちがい。51歳にもなったのに、まだ、現役のサッカー選手。

結婚したのは、夫、26歳、私、21歳。兄の同級生ということもあって、幼いころからよく知っている人だったので、彼というよりも兄みたいな存在だった。それが、実母が亡くなったころから、仲良くしてもらって結婚した。
若い頃から、病弱だった私は、皆に心配かけたが、どうにか、こうにか、結婚して25年たった。

途中、夫の癌闘病、長男の病気、流産、死産、三男の病気と他界、それに続き私の病気等、等、数えだしたらきりがない。
でも、夫がいたから乗り越えられたんだと思う。
今、こうして、家族みんなで、夫の誕生日をお祝いできる事が、本当に幸せなんだと心から思う。

これこらも、夫とふたり、白髪が生えるまで(私はもう、白髪染めしてますが・・)、生活を共にできたらありがたいと思ってます。

52歳、53歳、~60歳、70歳、80歳と、誕生日が向かえられたら最高!
これこらも、山あり谷ありの人生だろうけど、がんばらなくっちゃね。

友達

2005-05-28 12:28:46 | Weblog
私には仲のいい友達が一人いる。一緒の行動するわけでもなく、毎日、連絡するわけでもない。でも、お互い、相手の気持ちはよく、わかっている。
双方とも、家庭があるので、あまり、深入りはしない。
それだから、続いてきたのかな?
今、やかましく言われているプライバシー保護って言うのかな?どんなに、仲のいい友人でも、家庭にまで入り込んだらやっぱり、いけないと思う。

2~3年前、私が、危篤状態から復活して気がついた時、一番初めに目に飛び込んできたのは、その友人だった。主人が連絡したのかな?
涙で顔をグシャグシャにして私の横に立っていた。

家が近い事もあって、それからは、家でしんどくなって救急車呼ぶ時は、私の家にも電話してよ、すぐ、行くし・・・って、言ってくれる。

心底気の許せる友人はその人ひとりだけだが、私は、いっぱいの人に見守られて生きているんだろうな?って、最近、思えるようになってきた。

それだけ、心が落ち着いてきたのか?気持ちが落ち着いてきたのか?そんなふうに感じられる事は幸せ?なのかな?

本音

2005-05-26 21:28:52 | Weblog
前のブログに亡くなった友人のことを書いた。あれからいろいろと頭の中をめぐるのは、一緒に闘病した時の事、残っているメールを見たりしていたら、悲しい気持ちより、自分もいつかは、その、状態になるのではないかと不安になった。

私は、人からよく、強いねって言われる。でも、全く、強くなんかない!死ぬのは怖い。病気が進んでいくのも怖い。家族から、離れるのも怖い。怖いことだらけ。
大きな声で誰かに、助けて~って叫びたい。
でも、自分のことだからと思ってじっと我慢してるだけ・・・・

ただ、命を粗末にはしたくない。生きてる事に喜びを感じたい。たとえ、病気が進んで寝たきりの状態になっても生きてる事に感謝したい。

なぜなら、大学の小児科病棟で、自分の息子も含め、生きたくても生きられなかった子供たちをたくさん見てきたから、命を粗末にしたらその子達に申し訳がない。

だから、命ある限り精一杯一生懸命生きたい。

どうか、どうか、私の病気がこれ以上進みませんように!一日でも長く生きられますように!
心から、願った。

頑張って生きた人。

2005-05-24 08:32:43 | Weblog
今朝の朝刊。ローカル版の訃報の欄に見覚えのある名前が・・・・・まさか?
私と同じ部屋で一緒に闘病した私よりも、7歳も若い人。
その人こそ、頑張って生きた、見本みたいな人だった。
最期にあったのは、今年の初め。大きな病院に治療のため、転院するときだった。顔は、真っ黒にかわり、やせ細り、死期が近いことは私にもわかった。
かける言葉がみつからず戸惑っていたら、彼女のほうから声かけてくれた。体調どう?って、私に、聞いてくれた。
彼女はニコニコ笑いながら、治療しにいってくるね。子供が小さいから、絶対、元気になってかえってくるからね!また、会いましょう!・・・・と。

苦しい治療を何度も何度も受け、元気になるんだの一念でいつも、明るく、前向きに頑張って生きた人だったと思う。

新聞を見た時は、ショックだったけど、私が悲しんでいたら、彼女は喜ばないはず。

長い間、ご苦労様でした。ゆっくり休んでください。私も、あなたに、負けないよう頑張って生きていきます。

診察日

2005-05-23 23:39:47 | Weblog
今日は、2週間に1度の内科診察日。待たされて待たされて、診察は5分。疲れたわ~。
調子の悪いとこいっぱいなのに、それが、病気だから仕方ないって、片付けられた。
ん、でも、事実、そうかも知れない。
こうして、自宅療養できてて、パソコンに向かうことが出来て、家族と一緒に生活できているのだから、いいかって、思うことにした。

せまい町の大きな総合病院。だから、知り合いにはいっぱい出会う。久しぶりに仲の良かった同級生にも会った。夫の元彼女にもあった。(なんでか、私とも仲がいい)
皆、それぞれ、年を重ねると病院にかかる回数は増えるみたい。
車椅子で病院の中をうろうろする私は、やっぱり目立つのかなあ?たくさんの人から、声をかけられた。
主人が仕事から帰ってきてからは、ショッピングセンターの中にある歯科医に通うのについていった。久しぶりに主人とうろうろ、ウィンドショッピング。たまには、いいか!今度も、ついていこっ。

病院に、歯医者さん。それで、一日終わった。

幸せ~って、なんだろう!

2005-05-19 10:05:14 | Weblog
昨日は週1のリハビリの日。歩く事はもちろん、立つことすらできない私のリハビリは、今より、機能が落ちないように、現状維持のためのリハビリ。
手についても、握力のなくなった左手の訓練と、これも、現状維持のためのリハビリ。
でも、それだけじゃなく、心のリハビリもそこで、教わった。

病気になってすぐは、不自由のことが受け入れられずに、ずいぶん、悩んだりしたけど、リハビリにこられる患者さんは、年齢関係なく私よりも不自由な患者さんが多い。
中学校の時の先生も、私と一緒にリハビリに励んでおられます。脳欠陥障害のため、16-8=とか、財布から1,497円出しましょうとか、教鞭をとっていらしたときとは、想像もつかない。
病気になったら皆、同じ。
そう思ったら、私自身、障害を持った事を受け入れられる気持ちになったのかも知れないって思う。
私だけじゃないんだ。ってね。

ディサービスでお風呂に行くのも、最初はいややった。自分で、入れないし、着替えも出来ないから仕方ないといったら、そうだけど、一応、まだ、はじらいのある?45才の女性が、人に、服脱がせてもらって、洗ってもらって、時には、男の人に抱っこしてもらったり・・・
でも、それも、私だけじゃない。施設の職員の人も仕事だしね。って、思えるようになったら、最近は、お風呂の日が待ちどうしくなってきた。

これが、受け入れるってことかな?って、思う。それに、リハビリの先生にしても、施設の職員さんにしても、本当に良くしてくださる。精神面のフォローも、考えてもらえるのが、私にはうれしい。

なのに、家に帰ると、義母が、もう、年はとりたくないね。死んだほうがましやわ!とか、みっともない格好になってまで、生きていても仕方ないわ!とか。ぐちぐち・・・
自分の足で歩けるんやし、生きたいとこどこでもいけるんやし、お風呂もトイレも一人で行けるのに、なにが、文句あるんやあ~って、思う。健常者やと、わからんのかなあ!みっともない格好になっても生きていても仕方ないって、それ、私の事?

私、車椅子でしか動けへんし、一人では外にもトイレにも、お風呂にもいかれへんけど、十分、幸せやで~。

頑張って生きるって?

2005-05-17 09:34:42 | Weblog
頑張って生きるって事が、どういう事なのか?自分を、殺して穏やかに生きていく事なのかな?
就職し、結婚し、妻であり、母であり、嫁であり、それはそれで、一生懸命生きてきた。

今、病気になってからは、一生懸命生きるっていう意味が、前とは違う気がする。

ただ、ただ、今は、残された自分の人生を、後悔のないように生きて行くことが、頑張っていきるって事なのかな?

頑張らず、あせらず、ゆっくり、一歩づつ、進む事も、時には、大事なのかも?

心にもない事を言ってしまった!

2005-05-14 20:48:51 | Weblog
自分の気持ちとは、違う気持ちを言ってしまいました。仕方なかったと言えば、仕方なかったのだけど、心の中には、すっきりしないものが・・・・・

私には、今、二人の息子がいる。長男が、24歳、次男が18歳。

長男には、軽い精神障害があってときどき、鬱にはいる。その、状態を知って去年、縁あって優しい彼女と結婚し、1歳の息子がいる。しんどいながらも、彼女と協力しながら、生活してきたが、最近、疲れがでたのか、私の実家の家に、泊まりこんでいる。
私の、実家というのは、実母が亡くなり、その後、再婚した父と母が住んでいる。
母は、子供を出産した経験がなく、私の息子(特に、長男)は、自分の子供のように可愛がってくれる。
私が、病気になり、不自由になり、親らしい事をしてやれないのを、不憫に思ってかどうか、長男に関しては、親がわりをしてくれる。

でも、私も、頼りないけど、一応親。長男達が引越しをしたのも、鬱状態に入ってしまっているのも、私には、なんにも、言ってくれない。私に、心配かけまいとして、黙っているのかもしれないけれど、話してほしかった。

次男が、実家に遊びにいった時に、私に、話してくれた。
その夜、実家に電話して、息子夫婦が世話になっている事のお礼と、私が、何もしてやれないのでこれからも、よろしくって、心にもないことを言ってしまった。

でも、それは、仕方ないのかも。精神的に落ち込んでいる今の長男には障害者である私の存在は、ストレスになるかもしれない。我慢しよう。

でも、私の子供。心配で仕方ない。時々は、孫の笑う顔もみたい。

もし、病気なんかになっていなかったら。
もし、障害者になっていなかったら。
私の、人生かわっていただろう。でも、なってしまったもの、今からどうしようもないと夫は言う。
その中で、一番いい人生をさがしだせればって・・・・・

生きるために!

2005-05-13 08:36:08 | Weblog
朝、本田 美奈子さんの、白血病の闘病がテレビにでてました。
大変ですよね。あの人も、突然ですものね。
でも、新たな挑戦をして、前向きにって、手紙に書いてあったのを見て、なんか、私なんか、全く他人なのに、安心しました。
突然、自分が、命にかかわるような病気だっていわれても、すぐには、受けとめられないものですよ。
私は、わりと、パニックにならない方だったかもしれませんが、でも、でも、大変でした。
自分は、病気にはならないって、思ってましたから。

私も、楽しく生きていこう!って、心から思いました。

発病した時、お医者さんから、もしかしたら、余命半年かも?って、言われました。それを、聞いた私の、家族、憎まれ者世にはばかるっていうから、母さんだいじょうぶだわ!って。

そのとおり、あれから、4年が経ちました。やっぱ、この世にいるっていうことは、憎まれ者?ののかなあ?

はじめまして。

2005-05-12 10:51:24 | Weblog
冬はスキーに行き、夏はもぐりに海に行き、バレーボールやバスケなど、健康優良児だった主婦が、突然、微熱が続くと病院に行ったら、即、入院。
手術すること、5回、突然、車椅子での生活になってしまいました。
自分が、不自由なことがなかなか、受け入れる事が出来ず、落ち込む日もありましたが、ようやく、夫や、子供達に支えられながら、明るく、頑張って生きてく希望がでてきました。
不自由なため、家にいる事が多いので、ブログで、皆さんと、おはなしできたらな?って、思います、どうぞ、よろしく。