頑張って生きる。

元気だった主婦がある日突然、障害者になり、余命を宣告された。でも、頑張って生きようと心に決め一日を大切に過ごしてます。

人間として大事なもの。

2006-01-31 09:36:55 | Weblog
トンビが鷹を産むってよく言うけど、どういうわけか身内に優秀な医者がいる。もちろん、金持ちの息子なんかではなく、医者の息子でもない。サラリーマンの息子。
中学、高校でも、とびぬけて成績がよかったわけでもなく、がり勉でもなかった。ただ、いえる事は父親が病弱だったので、助けたいと努力したのは確かだと思う。父親が他界してからは、母親思いのやさしい青年だったと私は記憶していた。
今は、結婚して一児のお父さんになっている。

その彼と、久しぶりに出合った。講演に忙しいとの事。真っ赤なベンツに乗って、あ~、さすが。って思った。
お互い、子供の話になり、私は、彼と奥さんの言葉にショックを受けた。
「幼稚園のPTAのお付き合いで、私達のグループにいれてほしいっていうお母さんがいるの。サラリーマンや、公務員のの家の人と私達がお付き合いできると思う。?。常識だよね!」
小さい時は、そんな事いう子じゃなかったのに!優しくていい子だったのに!
収入は私達には想像もつかないくらいあるらしいけど、彼がそういう考え方の大人になってしまっていたことが、すごくショックだった。

私は、小さい時親から、職業に段階はない。どんな、職業の人もあって世の中成り立っているんだと、聞かされて育った。彼も、そうだったと思う。でも、自分が、裕福になり名誉というものを手に入れたら、そんなことは忘れてしまうのだろうか?
医者として、名誉も地位も高いかもしれないけど、そんな、人に診てもらいたくないって、思った。

人間、何が大事なのかと言う事を、つくづく、感じた。
よかったわ!普通のサラリーマンの奥さんで・・・いつも、家計は火の車。
でも、人の暖かさ、やさしさを、私は知っている。


でも・・・でも・・・いっぺん、ベンツっていう自動車に乗ってみたいな。

バースディケーキ

2006-01-27 21:30:35 | Weblog
今日は姑の誕生日。
久しぶりに、ケーキを作ってみた。よく、ふくらんでスポンジが上手に焼けた。生クリームで、トッピングして、見栄えはまずまず。
姑が、
「こんな年寄りを手作りのケーキで、お祝いしてくれるなんて・・
って、喜んでくれた。なんか、とっても、姑が可愛く見えた。
味も、ばっちり
「生クリーム、残った?」
次男は、さっそく、ウインナーコーヒーを作っていた。

くつしたが編めた。

2006-01-25 12:10:02 | Weblog
去年の夏ごろから編み始めてたくつしたが、やっと、やっと、編めた。
何度も、何度も、編みなおしようやく出来た。

今頃、毛糸のくつしたなんてはくひとないって、夫はいうけど、私は、それでもいい。
見てほしい人がいるから、てぶくろが出来たら、送るつもり。

さあ、今度は、てぶくろに挑戦!

子供の成長

2006-01-22 10:49:37 | Weblog
19歳の次男。
父親と同じ社会人のサッカーチームに入っている。父親は、高校生の時からサッカー部に入っていて、インターハイに出たり府代表になったり、それなりの過去がある。
息子にも、サッカーをしてほしかったらしく、自分がコーチをしていた少年団に半ば、無理やり入れたが、高学年になり、行こうとしなくなった。
それが、また、高校生になった頃から、サッカーに興味を持ち出し、父親と同じチームにキーパーとして入った。
「なんで、キーパー?」と、聞くと
「おやじみたいに技術はないし、走るのもおそいし、今、キーパー、おらへんやん。僕が、試合に出られるんキーパーぐらいや。」
ん~、なるほどな~
「でも、キーパーもむずかしいでえ~。カーンみたいなかっこいいキーパーめざしたら・・・」
とか、言って今まで雪が降ろうと雨が降ろうと、親父が休んでも、練習に行ってたのに、急に、行かなくなった。
「なんで、行かへんの?」
「おもしろないようになった。」
現に、父親はもう、52歳。父親の全盛期を知っているクラブ員はもう、いない。若い子が多くなってきた。(あたりまえだけど・・・)
息子は、小さい時から父親にサッカー談義を聞かされて育ったから、今の、若いチームの考え方に納得行かないという。

はたして、母親である私はどう、ホローをすればいいのか?今日は、試合の日。人数が足りないので、息子も連れて行くという。
息子は、自分の子供だけど、一人の人間としての人格やら気持ちもあると思う。親の気持ちをそのままぶつけるのはどうなのか・・・
だまって、見ていたら、2,3度朝、声かけても起きてこない。息子は、行く気がないのかもしれない。
「あのね、人数足らんのやって。昨日の夜、皆から電話があったんよ。あんたにきてほしいって。」
私は、そう言うしかなかった。
「しゃーないなー。」
といって、父親の自動車に乗り込んで出かけたが、息子の気持ちをもう少し考えてやらなければ・・と、反省する母親でした。

痛みと仲良し

2006-01-20 08:15:38 | Weblog
最近、右足が痛い。
病院で先生に聞いたら、坐骨神経痛ではないかと言う。坐骨神経痛を経験した友人に症状を言ってみても、そうじゃないかな?って、言うから多分、そうだと思う
。病気とは関係なく、たいしたことじゃないので、安心はしたけど、痛い。 午前中はまだ、我慢できるけど、午後になるとだんだん痛みが強くなり、ベッドにもぐりこむ時間が多くなってしまう。 半年もすれば楽になるよって、簡単に病院で言われたけど、痛いよ~
他人の痛みとか、辛さってなかなか、分からないからね。私の、病気もいつも、痛さが伴う病気やけど、また、違う痛さがあってすっごく、憂鬱だわ~。
ありがたいことに、今日は、ヘルパーさんがお風呂に入れにきてくれる日。ゆっくり、お湯に使ってみよう。 病気のせいか、年のせいか、神経痛なんて聞くとゾッとする。あ~あ、ヤダ。

障害者自立支援法

2006-01-19 10:38:36 | Weblog
4月から、障害者自立支援法っていうのが始まるみたい。今まで、人事のようにへ~ってな調子でテレビを見てたけど、年が変わるとだんだん具体的に説明が入ってきた。
説明聞く度に、え~、なんで~って、言う事が多い。
ディサービスに行く金額もかなり上がる。実費がかかるのは仕方ないと思うけど、問題は食費。700円くらいの負担になるという。
家で昼食すましたら、700円もかからへんよ。
夕べの残りとか、パンで済ませたり、主婦が毎日昼食に700円もかけてたら、経済もたへんわ~。
一回、入浴サービスに行くのに、1,200円~1,300円かかる計算になる。週2回で、2,400円。月にしたら、9,600円にもなる。家のお風呂は、家族がいるので同じように光熱費はかかる。
ヘルパーさんの負担金もかなり、上がるらしい。中には、おむつなんか替えてもらってる人なんかは、上がったらオムツ替えてもらう回数減らさんと・・・・とか、言っている人もある。
健常者なら、トイレ行くのにも、家で食事を食べるのにもお金なんかいらないのに、障害者は、トイレの介助も食事の介助も、多額のお金がいるようになる。
そりゃ、自分で出来ない分、人様にお世話になるのだから、お金がいるのは仕方ない事だとは思うけど、今まで以上にかかるのは、なんか、納得いかない。

それだけじゃなく、病院に行くのにも、買い物に行くのにも、タクシーを使う事が多い。それだけでも、多額のお金がいるのになと思う。

お年寄りになるのは、皆、いずれはなること。毎年、毎年、年はとっていくのだから。でも、障害者っていうのは、皆がなるわけじゃない。
多少の年金はいただけるけど、生活はころっと変わる。私でも、共働きしていたのを止め、家の改修、毎月のタクシー代、ヘルパーさん、ディサービスと、今まで考えもしなかったお金がいるようになった。
私は、偶然に子供も成長し、学費なんかにはお金かからないし、家のローンもないし、一家の大黒柱の夫の収入があるから、なんとか、生活はできる。
でも、障害者になるなんて思ってもみなかったので、自動車のローンは私の収入で払っていた。だから、最初は火の車だった。

それが、学生さんがいたり、ご主人が障害者になられたりしたおうちは、ほんとに、大変だと思う。

だから、多少の負担は仕方ないかもしれないけど、今まで以上の負担はどうかと思う。
金銭的な負担以上に、精神的な負担を皆、抱えて生きているんやから、せめて、必要最低限の生活の保障はあってもいいのでは・・と、思う。

自由に行きたいときに、トイレの介助、3度の食事の介助なんか、生活する上で絶対必要なこと。それに、多額のお金を払うのは・・・・・・

払うのに、上限はあるみたいやけど、その、上限も今までよりも多い気がするんやけど。
4月からのことやのに、今、まだ、はっきり金額などの提示がないのも、私は不満だあ~

病院がなくなる?

2006-01-16 23:05:03 | Weblog
私が赤ちゃんの頃から通ってて、結婚して出産も3人ともそこでして、子供達も風邪や怪我でしょっちゅうお世話になって、祖祖父も舅もその病院で最後を向かえ、父も大手術を受けて元気になったその、病院が事実上なくなる。
介護長期療養病院に春から変わるらしい。
おととし、内科の総辞職でたちまち、有名になり私もその時に病む終えず転院をした。
でも、整形外科とリハビリにはまだ通院していたけど、ついに、春から外来診療は中止になるらしい。
なにか、大きな理由があるのだろうとは思うけど、一番困るのは命あづけてる私達、患者。
長い間のお付き合いで、カルテには書いてないことまで分かってもらえた部分は、たくさんある。医者が変わると、説明してもわかってもらえない部分っておおいと思う。
でも、なくなるのだから仕方ないこと。

新しい出会いを求めていい医者をさがすしかないのかなあ?

大きな病気を抱えている者にとっては、すっごく、不安!

涙のメール

2006-01-12 10:03:55 | Weblog
色々訳あって、お休みしているディサービスの職員さんからメールがあった。同じ、職員でも私はその人には、全てを許している。
ほんとに、心の奥底まで気がつき考えてくれて力になってくれる職員さん。
長々と、メールをもらった。
読んでいるうちに、涙が溢れてきた。あ~、あの人は全てをお見通しだわ!そんな、気がした。
私とそんなに違わない年齢で、独身。話が合うのも、年が近いから?一生懸命になれるのも、独身だからかな?なんて、思ったりもしたけど、やっぱり、心があるからだと思う。
いろんな障害の人と接しておられていろんな経験もされたと思う。私なんか、まだ、4年目の新米障害者。そして、自分の事しか知らない。
そんな、私が悩んでいる事なんか全て分かって当たり前なのかも知れない。

でも、そうして、心からのメールをもらって家族には見せられない涙が流せた。

すこし、前に進めたような気がする。そういえば、雪も少し、少なくなってきた。私の心の雪解けももうすぐかな?

あった!あった!

2006-01-10 21:56:12 | Weblog
いつ頃からか探していた私と夫との結婚指輪。
病気して手術ばかりして、いつの間にかはずしてた。
途中ではめてみたけど、指が太くなっててきつかったので、また、はずした。
ここならわかるだろうと思って置いたはずなのに、長い間、ほっておいたせいかわからなくなってしまってた。
夫の手を見るたび、気になっていたのと、申し訳ない気持ちで胸が痛んでいた。

それが、何かを探していたときに、目の前にその大事な指輪がぽろっと落ちた。
うっそ!これやん、これや!私がさがしてたの。
すぐ、左手に戻した。
何年ぶりだろう、私の左手に戻ったのは・・・・・

でも、私は、いったい何をさがしてて指輪を見つけたんだったっけ。
でも、いいや、もっと、大事な物がみつかったから。

くつした

2006-01-09 09:25:09 | Weblog
再びくつしたに挑戦。
それも、毛糸のくつした。
いまどき、毛糸のくつしたなんて編んでもはく人なんかいないだろう。
でも、また、編んでいるよ。前にも編んだけど、納得いかなかったので、また、挑戦。
履いてもらわなくてもいい。
リハビリのつもり。
だから、お世話になったリハビリの先生に贈るの。
くつした、編めるようになったよ。って。
私は、もともと、編み物大好きで、結婚する前は夫に手編みのセーターなんかせっせと編んで、ラブコールした。
でも、今は、信じられないくらい時間がかかる。
だから、頑張って編む。

そんな、自由な時間もできた。
出来た頃には、毛糸のくつしたなんかいらんのとちゃうか?
って、夫に言われたけど、夏になっても編み上げる。

でも、夏に毛糸の靴下なんか、もらっても迷惑かな?