頑張って生きる。

元気だった主婦がある日突然、障害者になり、余命を宣告された。でも、頑張って生きようと心に決め一日を大切に過ごしてます。

人間の気持ち

2012-09-08 10:29:17 | Weblog
最近、人間関係の難しさを感じることが多くなってきました。

私達が活動している趣味の場で、一生懸命ボランティアとして頑張ってくれている方がおられる。私達、不自由なものの足となり、手となり、時には耳となり目となり、本当によくしていただいていることには感謝している。

でも、最近、その人のペースについていけなくて、精神的にしんどくなり辞めたいという人が続出してきた。私も、その仲のひとり・・
なんでなんだろう?と、考えてみたら、私達中心じゃなくその人中心に何でもが回っているからではないかと感じた。私達が、いろいろなことを決めてそれにその、ボランティアが協力してくれるという最初の目的がいつの間にか崩れてしまったためだと思う。
その、元気な健常者の人について行くのが必死なら、当然、どこかでしんどくなるのは当たり前。それに、気がつかず今まできたのだと思う。

その人を傷つけずに、みんなが楽しく趣味に没頭できるにはどうしたらいいのか?現在、考え中?????

もうひとつは、ディサービス。
私は、週1回、入浴も兼ねて障害者施設のディサービスを利用している。
今までは、お互いの障害を理解し、どこが不自由でも、皆、大変なんだという思いで仲良くしていただいていた方がいたから、楽しかった。でも、そんな方が相次いで家庭の事情で入所された。
後の残った利用者の中で、自分が世の中で一番大変な障害を背負ってると思っている人がいる。
だから、口癖のように「私は、大変なの、あなたは、軽くていいわね!」と、誰とはなしに声をかける。
どこが、不自由でも、皆、大変で頑張ってるのよ!と、私は言いたいが、多分、言っても受け入れてはくれないだろう。

皆、障害者になって10年やの、20年たの、中には40年と言う人がいる中で、「そんなに長い間なら、死んだほうがまし!」とも、言われた。
その人は、まだ、障害者初心者だし、事故で突然、不自由になられたから、受入ができないでいるのかも知れない。

そう、思って黙って聞いているのは、周りのひとの優しさだと思う。

出来ないことばかり並べていくのではなく、出来る事を並べていったら結構、ある事に気がつくのに・・・と、思うが、それに気がつくのはやっぱり、年月が必要なのかもしれない。

最後は、姑さんのこと。認知症で施設でお世話になるようになってもうすぐ、半年がたつ。
そろそろ、他を探すが、在宅かが迫られる。
認知症だけで、足、腰は元気・・だから、大変なとこがある。
本当ならば、家に連れて帰って介護をしてあげたいのが本音だが、障害者の私ではおっかけることも出来ず、無理。
きつい言葉の一つ、一つも、病気が言わせてると思えばいいのだろうけど、私にそれだけのゆとりがないのか、やっぱり、腹が立つ!
まして、自分がヘルパーさんに手伝ってもらい、お風呂はディサービスでお世話になる身で、姑の介護なんてできるはずがない!
連れて帰っても、自分が認知症だという間隔もなく、(あれば、認知症でないわけで・・)、まして、プライドは人一倍高いひとなので、二度と施設もディサービスも利用しないだろう。

と、なると、私自身のため、旦那の姉妹のため、親戚のため、近所のため(近所の人にも、憎まれ口を言っていたようだ。)、姑にしたら考えてもみないことだろうけど、もう一度、どこか施設を探すのが無難なのか?

旦那さんと血のつながった人なだけに悩むところです。旦那さんと、義姉さんともう一度、良く相談して決めていかねばと思います。

人のことを心配している場合ではないけど!と、思いつつ、やっぱり、自分のことは後回しです。


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