気ままな映画生活

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キネマ旬報 ベスト10 第1位映画鑑賞会と授賞式

2015-02-07 21:24:07 | その他
今日は、文京シビックホールにキネマ旬報の1位作品の上映会と授賞式に参加しました。

1位の作品は、
 文化映画 『鳥の道を越えて』
 外国映画 『ジャージー・ボーイズ』
 日本映画 『そこのみにて光輝く』 です。

私は、『ジャージー・ボーイズ』のみを鑑賞していますが、
未見の2作品は楽しみであった。
まずは、『鳥の道を越えて』
 これは楽しめる作品であった。鳥の道とは・・・越境する鳥が通る道であり、
 その道は昔からの猟をする場所なのである。
 しかし、戦後は猟が禁止になり、現代では研究目的のみで行われているとのこと。
 戦前は鳥が襲ってくる感じなくらいの多さであったとの話である。
 10分くらい鳥が大群で飛んできたとのことであるが、戦後はそんな数はいなくなっている。
 そんなことも考えさせられる映画なのである。

2本目の『ジャージー・ボーイズ』は、私の昨年のベスト10にも入っている。
クリント・イーストウッド監督はこの作品で監督賞も受賞している。
興行には結びつかないが、名作であるのは間違いない。

そして3本目は、『そこのみにて光輝く』である。
これも監督賞、主演男優賞、脚本賞とかなりの受賞を収めた。
綾野剛は主演男優賞で、高田亮は脚本賞で、呉美保監督は監督賞に作品賞である。
映画はそこで生きている人に焦点をあてた作品である。
人間落ちるところまで落ちると上がることはできるのか
そこはどこなのか
まだまだそこはありそうな気もするが、力強い作品である。

上映会の後に、授賞式である。

日本映画作品賞 『そこのみにて光輝く』
外国映画作品賞 『ジャージー・ボーイズ』
文化映画作品賞 『鳥の道を越えて』
日本映画監督賞 呉美保
外国映画監督賞 クリント・イーストウッド
日本映画脚本賞 高田亮
主演女優賞 安藤サクラ
主演男優賞 綾野剛
助演女優賞 小林聡美
助演男優賞 池松壮亮
新人女優賞 門脇麦
新人男優賞 東出昌大
キネマ旬報読者賞 細野晴臣

個人賞はイーストウッドを除き全員出席した。
小林聡美が最年長っぽくて司会の笠井信輔アナウンサーにいじられた。
今年の受賞者は若い・・・と。

門脇麦は両親が来ているらしく、親に感謝の言葉を述べていたのが好印象であった。
映画の役では暗かったりするが、ポジティブで明るいらしい。

授賞式を含め楽しめる一日だった。


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2011年5月4日 日テレ 黄金週間 パイレーツの大冒険 

2011-05-04 18:39:47 | その他
今日は、試写会のため、汐留の日テレへ

パイレーツ・オブ・カリビアンのイベントをやっていますので
少し早めに出て見てきました。

以前は5時間待ちとかあったみたいですが、
本日は10分くらいで衣装は見れました

駆け足で見たので、他に何がやっているのか知りません






2011年3月25日 東日本大震災から2週間経過して・・・

2011-03-26 00:23:36 | その他
震災から2週間経過して、本日、管総理からもコメントがありました。

震災当日、東京でも大きな揺れを感じ、立っているのがやっというほどの揺れであった。
それは、今までに経験したことのない揺れであり、関東大震災か・・・と感じたほどであった。
しばし、経過後、インターネットで見たのは震度7という見たことの無い震度であった。
目を疑ったが、東京も震度5強と、私が産まれて記憶している限り、東京でも最大の震度である。
会社にいたのであるが、胸騒ぎを感じ、自宅や関係者に電話をかけてみるが、通じない。。。
何時ころであっただろうか、USTREAMでNHKのニュースを放送してくれている人の映像を見て
市原のタンクが燃えている映像が飛び込んできた。
会社の近くでは特に異常は無い状況であった。
そして、津波が・・・この時の被害状況は覚えていないが、情報も氾濫しているようであった。
そして、九段会館でも影響がということを知り、見てみると九段会館の周りは救急車が囲んでいる
ということであった。
つい1~2週間前に行ったばかりであり不安を覚えた。
そして、会社でも早く帰れる人は帰るようにと・・・勿論電車は止まっていました。
私は17:30過ぎに会社を出て歩いて帰る意を決して出て行きました。
最初はバスに乗ろうと思ったが、バス停へ行き、諦めた。凄い人数が並んでいた。
歩いて帰ることにし、歩きだしたら、歩いている人の多さに驚いた。
歩道いっぱいに歩いて帰る人が居て、なんだか不安ながら心強さを感じたのを覚えている。
そして、1時間ほど歩いて区役所の前に付き、公衆電話を見つけ、電話を掛けた。
(移動中も携帯でチャレンジするもSBは駄目でした。ネットは使えましたのでtwitterは見ていました)
電話はかろうじて実家に繋がり、父と娘(上)の無事は確認できた。
下の娘は学校に残っているので上の子が迎えに行ったとのこと。
こういう時に子供でもお姉さんは頼もしく感じた。
そして、駅に付き、そこで公衆電話から家に電話したら繋がり、
子供2人と話せて晩御飯を食べているとのこと。。。(大丈夫で安心)
約2時間掛り家に着き、私も食事に。
妻は仕事から帰れないかもとのことだった。
子供は暫くして2人で寝ていました。(気疲れ等もあったんでしょう。普段は別々に寝るのですが)
11時過ぎに妻が帰宅してきました。どうやら4時間歩いて帰ってきたらしく疲れ切っていました。
何とか当日に家族全員が揃いほっとしました。
その後は、TVを見て被災の状況を見ていましたが、津波の怖さがしみじみとわかりました。

現在、2週間が経過し、あきらかに今までと違う何かを感じ殆どの方が過ごしています。
私も、そのひとりでありますが、当日のこと、計画停電、津波、火災、原発とさまざまなことが
起こり、現在もまだ対応している方もいます。
そして、被災で亡くなられた方も1万人を超えました。
このことは、風化させてはならないし、強い日本を創っていく礎になります。
この経験は今後の日本に良いことをもたらし、たくましく蘇ると信じています。
自分に何ができるのか考えても答えは見つかりません。
今はできることからと思います。
必ず立ち直る強い意志をみんなで持ち前を向いて進んで行きたいと思います。

今回の震災で日本が一丸となった気がします。
被災された方も希望を持ち明るくよみがえり、世界に力強く復活した日本を見て欲しいと思います。