きょうの朝日新聞は、次の見出しが第1面のトップだった。
「再エネ、45万世帯分無駄に 発電制御が急増、21年比3倍超」
(朝日新聞2月10日)
太陽光や風力発電によって得られる再エネ(再生可能エネルギー)が、「余分だ」ということで「出力制御」の対象になり、どんどん削られているという。これは、「電気は発電量と使用量をそろえないと周波数が乱れて大停電になるおそれがある」からで、やむを得ない措置ではあるのだが、再エネの「45万世帯分が無駄に」なっていると聞くと、「もったいないなあ、何とかならないものか」と思わないでもない。
これでは再エネ事業者も商売上がったり、「政府にはしごを外された」と音を上げている。こんな現状では、原発依存の傾向はますます強まるばかり。「危険な原発なんか、そっちを先に操業停止にすればいいのではないか」と言いたくもなるが、原発は「出力を簡単に調整できない」のだという。だから「国のルールでは、まず二酸化炭素(CO2)の排出量が多く、出力を上げ下げしやすい火力を減らし、余った電気を他の地域に送る。次にバイオマス、太陽光・風力の順で再エネを抑える。出力を簡単に調整できないとされる原発は最後となる」のだという(同前)。
ノータリンの頭で考えた。エネルギーが余っているのなら、余った分を蓄えれば良いのではないか。そう、蓄電池の出番である。政府は全国の各家庭に(それ相当の容量を持った)蓄電池を配るのだ。余った電力はその蓄電池に蓄え、寒い夜の暖房や、暑い夏の冷房にそれを活用できるようにすれば、物価高に悩む庶民の家庭にとっては御の字も御の字、ナントカ給付金などよりもよほど有難い。愚策続きで支持率を落としている岸田内閣にとっても、これは救いの水になるのではないだろうか。
え? カネはどうする、ですって? そんなのは、原発の保守点検費とか、政党助成金とか、国家予算の無駄遣いを見直せば、財源は簡単に見つかると思いますぜ。
「再エネ、45万世帯分無駄に 発電制御が急増、21年比3倍超」
(朝日新聞2月10日)
太陽光や風力発電によって得られる再エネ(再生可能エネルギー)が、「余分だ」ということで「出力制御」の対象になり、どんどん削られているという。これは、「電気は発電量と使用量をそろえないと周波数が乱れて大停電になるおそれがある」からで、やむを得ない措置ではあるのだが、再エネの「45万世帯分が無駄に」なっていると聞くと、「もったいないなあ、何とかならないものか」と思わないでもない。
これでは再エネ事業者も商売上がったり、「政府にはしごを外された」と音を上げている。こんな現状では、原発依存の傾向はますます強まるばかり。「危険な原発なんか、そっちを先に操業停止にすればいいのではないか」と言いたくもなるが、原発は「出力を簡単に調整できない」のだという。だから「国のルールでは、まず二酸化炭素(CO2)の排出量が多く、出力を上げ下げしやすい火力を減らし、余った電気を他の地域に送る。次にバイオマス、太陽光・風力の順で再エネを抑える。出力を簡単に調整できないとされる原発は最後となる」のだという(同前)。
ノータリンの頭で考えた。エネルギーが余っているのなら、余った分を蓄えれば良いのではないか。そう、蓄電池の出番である。政府は全国の各家庭に(それ相当の容量を持った)蓄電池を配るのだ。余った電力はその蓄電池に蓄え、寒い夜の暖房や、暑い夏の冷房にそれを活用できるようにすれば、物価高に悩む庶民の家庭にとっては御の字も御の字、ナントカ給付金などよりもよほど有難い。愚策続きで支持率を落としている岸田内閣にとっても、これは救いの水になるのではないだろうか。
え? カネはどうする、ですって? そんなのは、原発の保守点検費とか、政党助成金とか、国家予算の無駄遣いを見直せば、財源は簡単に見つかると思いますぜ。