ささやんの週刊X曜日

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

朝ドラと黒歴史

2024-02-09 16:44:08 | 日記
けさはいつものように朝食のテーブルでNHKの朝ドラ「ブギウギ」を見た。とても懐かしい気がした。「靴磨き」の少年が登場したからである。


私もその昔、「靴磨き」の少年ーーならぬ靴磨きのオジサンーーを実際に見たことがある。何度も見たことがある。


こう書くと、「え?ウソだろ?」という声が返ってくるに違いない。きょうの朝ドラの舞台は、記念すべき名曲「東京ブギウギ」が発表された頃、つまり昭和23年頃のことである。私が生まれたのは、昭和25年だから、その当時、私は生まれていなかったことになる。


だが、私はたしかにそれを見たのだ。昭和46年頃、上野駅の構内で、私は何人もの「靴磨きのオジサン」を、何度も見た。その当時、私は茨城県のI市から、上野の近郊にある某大学に常磐線で通学していた。終点の上野駅で電車を降り、上野の山を越えて、不忍池の畔を大学まで歩いていく。私は怠け者だったから、毎週とはいかなかったが、通学途中の上野駅構内で、何度も「靴磨きのオジサン」を見かけたのだった。


私は敗戦直後の「靴磨きの少年」の存在を知っていたから、上野駅構内で「靴磨きのオジサン」を見るたび、「ああ、敗戦のかけらがまだ廃墟のように残っているのだなあ」と思ったものだ。


敗戦のかけら、敗戦の遺物といえば、私は一度だけ「傷痍軍人」の無残な姿を見かけたこともある。小学校の遠足で、上野動物園に行ったときのことである。動物園に近い小高い丘の上に白衣姿で松葉杖をつき、アコーデオンやハモニカを吹く哀れな敗残兵の姿だった。立たずに地べたに座り込んでいる白装束の姿も見たように思う。


こうした「敗戦の遺物」は、いわば日本の黒歴史に属するものとして、「公にするのは不適切」な代物なのだろう。
話が飛んで恐縮だが、その昔、何かの本にその思い出を書いたところ、編集者からその部分の削除を要求されたことがある。(同様、「屠殺場」などの表現も削除を要求された。)


「公にするのは適切か/不適切か」の観点から、公にしないように要求する無言の圧力は、今の日本にもきっとあるのではないか。「国民の皆さまの放送局」たるNHKの現場が、そうした圧力をひしひしと感じているに違いない。


それを考えると、NHKの朝ドラがきょう「靴磨きの少年」を登場させた意義は大きいのではないか。ーーそう思って思い出してみると、この朝ドラ「ブギウギ」には「敗戦の遺物」が顔を出すシーンが何カ所かあったように思う。現場の人間は、さぞ勇気が要ったことだろう。


コメント
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