朝ドラ「ブギウギ」は素晴らしい。
この朝ドラを見て、(歴史の暗部に向き合おうとする)制作スタッフの姿勢に感じ入ったことは、きのうのブログに書いた。こうした冒険的というか、チャレンジングな姿勢がどういうモチーフから出ているかがきょう判って、私はさらに感じ入ったのである。
このモチーフは、(有楽町にたむろする)パンパンたちの親玉「ラクチョウのおミネ」がスズ子に向かって吐き捨てるように投げつける、次の言葉によく表れている。
このセリフはスズ子に向かってというより、直接我々視聴者に向けられているようだ、ーーそう私は感じたのだった。
「戦争で家族をなくし、亭主をなくし、カネもない、食い物もない中で、あたいらはこうまでしなくちゃ生きられなかったんだよ。だれかが勝手に始めて、勝手に敗けた戦争だろ。あたいらをこんな女にしたのは、だれなんだ!
それなのに、街に出れば銀バエを見るような目で見られ、罵られるのは日常茶飯事。石を投げつけられたこともある。」
これは紛れもなく戦争に対する憎悪と呪詛の言葉、憎しみと呪いの言葉である。ラクチョウのおミネはこういう形で、心の底から生の反戦思想を訴えているのだ。
この言葉は重い。劇中のこの言葉は、インテリの評論家センセイが平和憲法を持ち出して、演壇でこともなげに語る平和主義の言葉より、何倍も重い。
1960年代の後半に流行ったフォークソングの、あのかったるい反戦歌より、何倍も迫力がある。
いや〜、きょうの「ブギウギ」は良かった。おミネ役・田中麗奈の演技も秀逸だった。
この朝ドラを見て、(歴史の暗部に向き合おうとする)制作スタッフの姿勢に感じ入ったことは、きのうのブログに書いた。こうした冒険的というか、チャレンジングな姿勢がどういうモチーフから出ているかがきょう判って、私はさらに感じ入ったのである。
このモチーフは、(有楽町にたむろする)パンパンたちの親玉「ラクチョウのおミネ」がスズ子に向かって吐き捨てるように投げつける、次の言葉によく表れている。
このセリフはスズ子に向かってというより、直接我々視聴者に向けられているようだ、ーーそう私は感じたのだった。
「戦争で家族をなくし、亭主をなくし、カネもない、食い物もない中で、あたいらはこうまでしなくちゃ生きられなかったんだよ。だれかが勝手に始めて、勝手に敗けた戦争だろ。あたいらをこんな女にしたのは、だれなんだ!
それなのに、街に出れば銀バエを見るような目で見られ、罵られるのは日常茶飯事。石を投げつけられたこともある。」
これは紛れもなく戦争に対する憎悪と呪詛の言葉、憎しみと呪いの言葉である。ラクチョウのおミネはこういう形で、心の底から生の反戦思想を訴えているのだ。
この言葉は重い。劇中のこの言葉は、インテリの評論家センセイが平和憲法を持ち出して、演壇でこともなげに語る平和主義の言葉より、何倍も重い。
1960年代の後半に流行ったフォークソングの、あのかったるい反戦歌より、何倍も迫力がある。
いや〜、きょうの「ブギウギ」は良かった。おミネ役・田中麗奈の演技も秀逸だった。