ささやんの週刊X曜日

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

ウクライナ 暴力と戦うための暴力は

2024-02-24 12:06:23 | 日記
ロシアによるウクライナ侵攻が始まってきょうで2年になる。朝日新聞に興味深い記事が載っていた。


『武器使ってでも、法の支配守る』 ノーベル平和賞、ウクライナ人権団体代表




2022年にノーベル平和賞を受賞したウクライナの人権団体「市民自由センター(CCL)」の代表で、弁護士でもあるオレクサンドラ・マトビチュクさんへのインタビュー記事である。彼女は「占領されている状態は平和とは言えない」と話し、ウクライナが勝利するための支援を国際社会に訴えている。


現在はロシアによる激しい攻勢が続き、ウクライナがロシアに「占領される」状態がすぐ間近に迫っている。そういう緊迫した状況下で、彼女は「武器を使ってでも、法の支配を守らねばならない」と主張し、そのための(武器の)支援を国際社会に訴えるのである。


私はきのうのブログで、「一国も早く停戦を!」と訴えた。私の見解とマトビチュクさんのそれの間には、大きな隔たりがある。マトビチュクさんの見解をじっくり検討してみたいと思ったゆえんである。


さて、マトビチュクさんによれば、ウクライナがロシアに「占領されている状態」は、法と正義が蹂躙された状態である。ロシアが14年にウクライナ南部クリミアの占領作戦を始めてから、これまでにCCLは、約6万4千件のロシアによる戦争犯罪を記録してきた。「それは単なる数字ではなく、約6万4千人の人間の人生、未来、家族の物語だ」とマトビチュクさんは言う。その上で彼女は、そうした不正義を退け、人間の尊厳と自由を守るために、我々は(武器を使ってでも!)今後も戦い続ける必要がある、というのである。


う〜む、たしかに美しい。言葉だけは美しい。侵略者の暴力と圧政を退けるための正義の戦い、武器を手にして行う徹底抗戦の戦いーー。


だが、その内実はどうなのか。それは、戦争の暴力を忌避し、徴兵逃れを企てようとする若者たちを引っとらえ、拘束し、無理やり戦場へと引ったてる、強権的な権力の行為を正当化する言葉ではないのか。その権力=暴力がふるわれる無残な現場の映像を、私はきのう(NHK「クロ現」の録画を通して)まざまざと見せつけられた。軍の徴兵担当兵士に殴られ、血だらけになったウクライナの若者が、「これでは、ロシアのやり方とちっとも変わらない」と訴える映像も流された。


たしかに、国家は徴兵を制度化する法律を定めてそれを行うから、それは違法ではない。むしろそのための暴力行使は、法に従った合法的な行為だと言えるだろう。だが、そういう形の「法の支配」が〈正義〉にかなったことかどうかが、今、問われるべきではないだろうか。

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