芦原妃名子さんが死亡した。自殺の可能性があるという。ーーこんなことを書いても、「え?その人、だれ?」と言う人がほとんどだろう。
「あ、ご存知ありませんか。漫画の『セクシー田中さん』を描いた人ですよ」
そう答えると、
「ああ、テレビドラマの『セクシー田中さん』ですね。あのドラマの原作者だった人が、なんでまた自殺なんか・・・」
そういう反応を示す人が若干いる程度だろう。
私が芦原さん死亡のニュースを知って驚いたのは、テレビドラマの『セクシー田中さん』を、私も長らく好んで見ていたからである。
主演は木南晴夏。地味なアラフォー事務員と、セクシーなベリーダンサーのニ役をこなすこの女優は、俳優・玉木宏の奥さんらしい。意外な取り合わせのこの二役を演じ分けるその技量は抜群だった。
「凛としてるけど繊細で、強くて弱くて大人で少女の様な多面的な田中さんを、きっと木南さんならより魅力的に演じてくださるはず。音楽とダンスと素敵なキャストの皆さんとのコラボ、楽しみにしています!」
これは、番組HPに掲載されている原作者・芦原さんのコメントだが、この文章が視聴者向けに無理して書いた単なるリップサービスとは思えない。このテレビドラマに寄せる原作者の期待感をうかがわせて余りある文章だ。
それだけに、私はわからないのである。芦原さんはなぜ死を選ばなければならなかったのか。
報道によれば、この作品をめぐっては、ドラマ化の脚本に関して、制作サイドと芦原さんとの間でトラブルが起きていたという。このトラブルが原因で、芦原さんは死を選んだのだろうか。
私は素人なのでよくわからないのだが、漫画の制作にも、テレビドラマの制作にも、いくつもの工程があり、それぞれの工程には何人ものスタッフが関わっているに違いない。そういう大まかな構図の中で、漫画の原作者がどういう位置を占めているか、少なくともこれだけは言えるだろう。
漫画の制作に関しては、原作者はこのフィクション世界の主であり、王であり、神であり、絶対者に等しい。
ところがドラマ制作の現場では、原作漫画も漫画の原作者も制作の全工程の1個の歯車に過ぎない。いくつもの歯車の内の1個の歯車に過ぎない。
絶対的な王と、一介の歯車、ーーその間のギャップはあまりにも大きいが、自分の作品のテレビドラマ化を受け入れた以上、芦原さんはそうしたギャップに直面することをも受け入れたに違いない。受け入れた以上、それについてぐだぐだ文句を言ったり、ぐずぐず悩んだりすることが許されないことを、芦原さんはよく知っていたはずだ。
考えてみれば、この愚図ぶりは、この作品のヒロインである「田中さん」の、その性格の一端だった。そしてそれは、この作品の原作者である芦原さんの、その性格の一端でもあったのだろう。
わかっちゃいるけど、やめられない。そう、わかってはいても、芦原さんはそれを止めることができなかったに違いない。
「あ、ご存知ありませんか。漫画の『セクシー田中さん』を描いた人ですよ」
そう答えると、
「ああ、テレビドラマの『セクシー田中さん』ですね。あのドラマの原作者だった人が、なんでまた自殺なんか・・・」
そういう反応を示す人が若干いる程度だろう。
私が芦原さん死亡のニュースを知って驚いたのは、テレビドラマの『セクシー田中さん』を、私も長らく好んで見ていたからである。
主演は木南晴夏。地味なアラフォー事務員と、セクシーなベリーダンサーのニ役をこなすこの女優は、俳優・玉木宏の奥さんらしい。意外な取り合わせのこの二役を演じ分けるその技量は抜群だった。
「凛としてるけど繊細で、強くて弱くて大人で少女の様な多面的な田中さんを、きっと木南さんならより魅力的に演じてくださるはず。音楽とダンスと素敵なキャストの皆さんとのコラボ、楽しみにしています!」
これは、番組HPに掲載されている原作者・芦原さんのコメントだが、この文章が視聴者向けに無理して書いた単なるリップサービスとは思えない。このテレビドラマに寄せる原作者の期待感をうかがわせて余りある文章だ。
それだけに、私はわからないのである。芦原さんはなぜ死を選ばなければならなかったのか。
報道によれば、この作品をめぐっては、ドラマ化の脚本に関して、制作サイドと芦原さんとの間でトラブルが起きていたという。このトラブルが原因で、芦原さんは死を選んだのだろうか。
私は素人なのでよくわからないのだが、漫画の制作にも、テレビドラマの制作にも、いくつもの工程があり、それぞれの工程には何人ものスタッフが関わっているに違いない。そういう大まかな構図の中で、漫画の原作者がどういう位置を占めているか、少なくともこれだけは言えるだろう。
漫画の制作に関しては、原作者はこのフィクション世界の主であり、王であり、神であり、絶対者に等しい。
ところがドラマ制作の現場では、原作漫画も漫画の原作者も制作の全工程の1個の歯車に過ぎない。いくつもの歯車の内の1個の歯車に過ぎない。
絶対的な王と、一介の歯車、ーーその間のギャップはあまりにも大きいが、自分の作品のテレビドラマ化を受け入れた以上、芦原さんはそうしたギャップに直面することをも受け入れたに違いない。受け入れた以上、それについてぐだぐだ文句を言ったり、ぐずぐず悩んだりすることが許されないことを、芦原さんはよく知っていたはずだ。
考えてみれば、この愚図ぶりは、この作品のヒロインである「田中さん」の、その性格の一端だった。そしてそれは、この作品の原作者である芦原さんの、その性格の一端でもあったのだろう。
わかっちゃいるけど、やめられない。そう、わかってはいても、芦原さんはそれを止めることができなかったに違いない。