ささやんの週刊X曜日

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

アソー失言の意図は何か

2024-02-02 16:14:57 | 日記
あの麻生太郎がやらかした。またしても、やらかした。自民党副総裁の相変わらずの失言である。麻生太郎の新たな失言が、物議をかもしているという。物議が大好きな私は、さっそくこれに飛びついた。


飛びついたものの、いざこれをブログのネタにしようとすると、これがなかなか難しい。「いつかはネタに・・・」と思いながら、いまだに実現できないでいる。


何が難しいのか。なぜ難しいのか。ーー今回の麻生氏の失言は、面白くないからである。当たり前すぎて、ちっとも面白くないのだ。


そんなに美しい方とは言わんけれども、堂々と話をして、英語できちんと話をし、外交官の手を借りずに自分でどんどん、会うべき人に予約を取っちゃう。


上川外相についての発言である。外務大臣の職とは何の関係もないのに、相手が女性というだけで「美しい/美しくない」と容貌を問題にする。これはごくごく初歩的なセクハラ発言であり、会社の役職者になったら、だれもがまず最初にレクチャーを受ける、基本のキだろう。


この報道に接して、私は「あのアソーさんなら、さもありなん、だな」とは思わなかった。曲がりなりにも派閥の領袖である。一癖も二癖もあるあのひねくれ者の爺さんが、これほど初歩的なミスをおかすとは考えにくい。


アソー爺は、意図的にこんな失言をしたに違いない。私はそう睨んだ。それでは、彼がわざと失言したのはなぜか。ーーその意図は、はっきりしている。世論の耳目を集め、その矛先を変えようとする「目くらまし」の思惑である。


世論は今、こぞって自民党の派閥を「諸悪の根源」とみなし、岸田首相が自分の派閥「宏池会」(岸田派)の解散を口にしてからは、大多数が「派閥なんかクソ喰らえだ。全部解体しちまえ」と息巻いている。その中でアソー爺だけは「わが『麻生派』だけは解体しない」と頑張っているのが現状なのだ。
猫も杓子も「派閥解体!」の声になびく世論の流れを、アソー爺はなんとか食い止めようとし、そのために「目くらまし」の作戦に打って出たのだろう。


このように考えてくると、私には、アソー爺の言動は極めて不自然・不可解なものに思えてくる。アソー爺といえば、常々「大宏池会」構想を唱える人物としても知られている。麻生派と岸田派を糾合して、大派閥「大宏池会」を結成しようともくろむアソー爺にとっては、派閥解体の流れが大きなうねりになり、派閥の垣根が低くなることは、むしろもっけの幸いであるはずだ。それなのになぜ、アソー爺はこの流れを阻もうとするのか。


アソー爺が派閥解体に大反対の意向であることは、(派閥解体を唱える)岸田首相の隣で、仏頂面をしてみせたアソー爺の態度に端的に表れている。私はそう思っていた。


ところが、アソー爺のこの仏頂面は実は「演技」なのだ、という声(高橋洋一氏)を聞いた。「目くらまし」という高等戦術ができるアソー爺である。それほど芸達者な曲者なら、さもありなんだが、とすると、次にはこんな疑問が出てくる。アソー爺はなぜそんな「演技」をしたのか。派閥解体の流れに異を唱えるようなフリをしたのか。


おそらくアソー爺は、自派(麻生派)だけを解体せずに残し、これを核にして、旧岸田派やその他無派閥の面々を糾合し、「大麻生派」を形成しようとしているのではないか。


だがそれは、一体何のためなのか。キングメーカーになるためなのか。アソー爺は、自分を駆り立てる欲望が何か、自分でも解っていないに違いない。この生臭坊主が「力への意志」(ニーチェ)にとらわれていることは確かである。

コメント
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