ささやんの週刊X曜日

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

盛山不信任決議案 その否決に思う

2024-02-21 12:07:37 | 日記
盛山文科相に対して立憲民主党が提出した不信任決議案が、衆議院本会議で採決された。結果はといえば採決が行われる前から予想された通りで、自民・公明両党や日本維新の会などの「反対多数で否決」と相成った。
どうしようもない茶番が演じられただけである。数の論理だけがまかり通り、内容空疎な茶番劇を見せられて、今更ではあるが、政治というものの馬鹿馬鹿しさを痛感した人が多かったに違いない。


何が馬鹿馬鹿しいといって、ここには理念もへったくれもないからである。総理大臣でも文部科学大臣でも防衛大臣でも何でも良いが、普通そういう重要ポストには「かくあるべし」という理念があり、そういう理念を体現した人物として、「この人こそがふさわしい」、「余人をもって代えがたい」ということがあって然るべきではないか。


ところが今回の不信任決議案の場合、この「余人をもって代えがたい」の論理は全く機能していない。機能しないことが「盛山信任」の実質的な理由だったのだから、お話にならない。


報道によれば、立憲民主党の菊田真紀子氏は趣旨弁明で
「旧統一教会との関係を隠したまま、大臣の座にとどまろうとする人物が文部科学大臣としてふさわしいわけがなく、一刻も早く辞任すべきだ」
と述べたという。


これは真っ当な論理である。旧統一教会と関係を持っている人物、そのことを隠そうとして平気でウソをつく人物、そういう人物が文部科学大臣のあるべき姿にふさわしくないことは明々白々だからである。


問題は、自公の議員がこれに対して何ら反論を行うことなく、全く理由も示さずに「盛山文科相は不信任に値しない」と主張したことである。


これでは、盛山文科相は「余人をもって代えがたい」からではなく、「余人をもって代えられる」、「そんな仕事はどんな人でもできる」という理由で信任されたのと変わらない。


たしかに、(他の国務大臣の場合も同じだが)日本の場合は、行政の実務を担う官僚機構がしっかりしているから、「大臣」などという政治家のシャッポはお飾りみたいなもの、多少見栄えが悪くても、無いよりはマシ、ということなのだろう。


だったらそんな無駄なだけのシャッポ、さっさと放り出してしまえばいいのに、と思わないでもない。ーーあ、そうなると、シャッポの中のシャッポ(総理大臣)も不要ということになるから、そういうわけにもいかないか。う〜む。

コメント
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