ささやんの週刊X曜日

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

男と女のアパッシオナート

2024-02-01 08:50:13 | 日記
私はテレビドラマをよく見る。好きな作品は色々あるが、NHK大河ドラマの後で放送されるTBSの日曜劇場「さよならマエストロ〜父と私のアパッシオナート〜」もその一つである。


このドラマは、タイトルが示すように、マエストロ(指揮者)である父と、私(その娘)の間に(何かが原因で)生じた激しい感情的な確執(アパッシオナート)と、(たぶん)そのわだかまりが徐々に解消していく物語である。
主演は西島秀俊と芦田愛菜。その他にも、バイプレーヤー・西田敏行の味のある演技が印象深い。


西田が演じる小村二朗は、つぶれかかったオーケストラ(晴見フィル)の古くからの支援者で、自らも楽器をたしなんだことがある。彼が店主をしている「うたカフェ二朗」には、様々な楽器が雑然とおかれた一角があり、彼が言うには、それは「楽器の墓場」だった。年老いた二朗がつぶやく次の言葉が心に残った。


楽器というものはね、昔私が惚れた女みたいにね、どうにもこうにもままならないものなのだよ


おそらく彼は、若かった頃、いくつもの楽器に心惹かれ、演奏に挑戦しては悪戦苦闘の結果、そのいずれも「ままならない」まま、上達の道を諦めたのだろう。「うたカフェ二朗」の一角におかれているのは、二朗が手を出しては熟達をあきらめた楽器たちの、その残骸に違いない。


そのセリフを聞きながら、私は考えた。二朗に「吹いてみたい/弾いてみたい」と思わせたのは、その楽器が出す音色の美しさだったのか、それとも、その楽器を演奏する技術の難しさだったのか。


たぶんその両方だったのだろう。その楽器の出す美しい音色に心惹かれ、二朗はそれを「吹いてみたい/弾いてみたい」と思ったに違いない。美しい音色を出す楽器は、当然、その演奏技術も難しい。だから二朗には、その演奏の習熟が「ままならなかった」のだろう。


興味深かったのは、年老いた二朗が(昔、自分が心惹かれた)楽器たちを、(昔、自分が好きになった)女たちになぞらえていることである。
おそらく若かった頃の二朗は、魅力的だと感じた女を、我が物にしようと猛烈なアタックを繰り返したに違いない。だが、手をかえ品をかえアプローチを試みても、「どうにもこうにも」ままならず、諦めるしかなかった・・・。


ここにあるのは、「(男が)追いかけるから、(女が)逃げだしたくなる」という、人間心理の機微にほかならない。かといって、(男が)追いかけなければ、(女に)なびいてもらえないし・・・。


いや〜、男と女の仲って、悲しいものだねぇ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする