蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

早春散策

2020年03月12日 | 季節の便り・虫篇

 キリッと引き締まった早朝の空気を切るように、ウグイスの初鳴きが耳に届いた。昨年より12日早い!まだ7時前というのに、早起きのウグイスである。それも、舌っ足らずの幼い声ではなく、見事に整った練熟の鳴き声だった。いつものように、寝起きのストレッチの後のクールダウン散策の朝、半ば歩いたのり面の向こうの林の中から届いた春の便りだった。今日は、いいことがありそうな予感がした。

 朝食を済ませ、少し日差しに温もりが兆した頃、庭に降りて伸び始めた雑草を抜き始めたら、葉の上で憩うテントウムシを見つけた。
 「おや?誰か産まれたの?」……「テントウムシのサンバ(産婆)」……そんな馬鹿なオヤジギャグを呟いて、一人クスリとする。それほどに長閑でうららかな日差しだった。
 6日に、モンシロチョウを初見、昨年より6日早い出会いだった。プランターの隙間から、今年初めてのハナニラが開き始めていた。いいことがありそうな予感が、さらに高まる。

 雲一つない青空に誘われて、昼餉を済ませたところで、一眼レフのマクロに接写レンズを噛ませて早春散策に出た。今年初めての、秘密基地「野うさぎの広場」探訪に向かう。お向かいの玄関先にバイモが咲いていた。久し振りの出会いだった。早速、しゃがみこんでカメラを向ける。下を向いて咲く花だから、這い蹲らないと花芯をファインダーに捉えられないのだ。
 九州国立博物館への階段を上がる。例年、この土手で見付けるカマキリの卵塊を、この冬はとうとう見付けられないままに春が来てしまった。
 スッと日差しを切ったのは、アカタテハだった。成虫で冬を越すから、冬場でも晴れた日には庭先をかすめることがある。西洋では、Red Admiral「紅の提督」という異名を持つ。颯爽と躊躇いなく飛び過ぎる姿は、その名に相応しい。

 休館が続く博物館周辺は人っ子一人見えず、マスクもしないで早春の日差しを独り占めして歩くのは快感だった。雨水調整池を巡る散策路を元気なカエルの声に導かれながら辿る先に、お馴染みのネコヤナギが立つ。この暖かさに、見ている方が恥ずかしくなるほど、花芯をおっぴろげて花開いていた。イノシシの狼藉は相変わらずだが、今日は猪除けの鈴を着けていない。ポーンと打った柏手に、竹林を揺する風が応える。

 急な階段を息を弾ませながら車道に上がり、すぐに山道に折れる。珍しく枯れ枝が見事に払われていて、ちょっとびっくり!いつもの木陰に置いたマ・イストックの枯れ枝がそのまま残っていた。
 緩やかなアップダウンをゆっくり辿りながら、さまざまな新芽にワクワクして何度もカメラを向けた。ピントを合わせてシャッターを落とす間は息を止めるから、山道での撮影は結構胸が苦しくなる。
 途中の道端で、しっかりした形の良い枯れ枝を見付け、2年ぶりで杖を新調した。

 「野うさぎの広場」は、木漏れ日の静寂だった。さすがに、ハルリンドウには早すぎる。
 木漏れ日に立つ……木立に背中を預けて目を閉じると、瞼の裏にオレンジ色の春が弾けた。風が過ぎる。下の鬼すべ堂の辺りから、微かに人声が聞こえる。
 
 コロナを忘れ、マスクを忘れた一日だった。明日も、きっといい日になるだろう。こんな長閑な日々が、いつまでも続いてほしい。
                           (2020年3月:写真;葉末に憩うテントウムシ)