蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

観世音寺の春

2020年03月21日 | 季節の便り・花篇

 閉じた瞼に、一段と濃いオレンジが弾けた。コンビニお握りと浅漬けで飽食してシートに横たわり、ふっと睡魔に襲われる。まだ3月なのに、照り付ける日差しはもう5月だった。
 
 ……新型ウィルスの感染拡大を防ぐため、政府は「要請」の名の下に日常生活や企業活動にかかわるさまざまな自粛を国民に促している。本来は法的根拠のない「お願い」にすぎないが、自治体が全国ほぼ横並びで一斉休校に応じるなど、政府の「要請」は強制措置と同様の効果を発揮する。しかも、過剰自粛で社会的影響が生じれば、政府は「強制していない」と逃げられる。都合のいい「要請」は根拠も責任もないまま、長期化の様相を帯びる……
 
 朝の西日本新聞の記事である。「又か!」「やっぱり!」と思う。これが、無責任な安倍政権の実態である。
 やがて、桜の開花を迎えようとしている。しかし、「モリ・カケ・サクラ」のお蔭で、今年の桜は薄汚れて見えることだろう。
 
 そんな鬱陶しいことを忘れたくて、カミさんと散策に出た。昨日、観世音寺の参道で待ちかねていたハルリンドウの群生を見付けた。先週訪れたときは、誰かが掘り起こした痕跡だけで、毎年のように繰り返される心無い花盗人に情けない思いをしたものだった。
 暖かすぎる日差しに、きっと花たちも咲き急いでいるだろうと再訪し、ようやく巡り合ったハルリンドウだった。いつものように、蹲り腹這いになってカメラを向けた。
 私だけ独り占めにしては申し訳ないから、今日はカミさんへのお披露目である。
 コンビニでお昼を用意し、観世音寺の駐車場に車を置けば、もう目の前が春竜胆の群生地である。

 「春竜胆」と漢字で書いてみて、ふと「なぜ、竜の胆?」という疑問が沸いた。こんな時は、ネットに尋ねるに限る。
 ……和名のリンドウは、中国植物名の竜胆/龍胆(りゅうたん)の音読みで、中国では代表的な苦味で古くから知られる熊胆(くまのい)よりも、さらに苦いという意味で「竜胆」と名付けられたものである。リンドウの全草は苦く、特に根は大変苦くて薬用になる……
 なるほど、こんなかわいい花の名前にも、そんな謂れがあったのか。此処まで長く生きても、まだまだ学ぶべきことがある。

 キンポウゲ(ウマノアシガタ)、サギゴケ(変換したら、「詐欺後家」と出て苦笑い)、ホトケノザ、オオイヌノフグリ(これは、漢字では書きたくない!)……さまざまな野草の花をカメラにおさめて、太宰府政庁跡まで歩いた。
 広場は、折からの三連休で家族連れや学生たち、老夫婦など、コロナ騒ぎで遠出を避けた人たちで、そこそこ賑わっていた。草地にシートを敷いて、お握りの包みを剥いた。サクッとした海苔の歯ごたえに、南高梅の優しい酸味が口に溢れる。
 日差しの季節外れの容赦なさが心地よかった。後ろの土手の木立の中で、ヒヨドリが姦しく鳴く。先年、星野道夫写真展で買った鳥呼び笛をキュルキュルと鳴らして、ヒヨドリと戯れた。

 「隗より始めよ」という言葉がある。中国の戦国時代、郭隗が燕の昭王に賢者の求め方を問われて、賢者を招きたければ、まず凡庸な私を重く用いよ、そうすれば自分よりすぐれた人物が自然に集まってくる、と答えたという(「戦国策」燕策の故事から)大事業をするには、まず身近なことから始めよ。また、物事は「言い出した者から始めよ」ということ。

 無責任な誰かに聞かせたい言葉である。しかし、隗から始めても、隗ばかりを集めると、こんなざまになる。「任命責任は私にあります!」と言いながら一度も責任を取らない総理だから、下の大臣や議員たちも、支離滅裂な回答をしようと、おバカなことをやろうと、誰も責任を取らず、大臣や議員に居座り続ける。
 愚者のもとには、愚者しか集まらないのだ。
                              (2020年3月:写真:ハルリンドウ)