蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

戦士の帰還

2019年07月05日 | 季節の便り・虫篇

 豪雨禍を免れた太宰府に、束の間の梅雨の中休みが訪れた。湿気を孕んだ大気が肌に纏わりつき、動くたびに汗が噴き出る。そんな中の32度は、快晴の34度以上に心身を苛む。今年の夏を乗り切れるかな?と、ふと弱気の虫が騒ぐ午後だった。

 最近、起き抜けの30分の下半身ストレッチの後、少し熱くなった身体をクールダウンするために、近くの石穴稲荷に詣でることを習慣にし始めた。一拝して一の鳥居をくぐり、二の鳥居で合掌して一日の息災を祈る。6時過ぎの早朝なのに、いつもウォ—キングのついでに立ち寄る人達がいる。いつしか顔なじみになって「おはようございます!」と声を掛け合うようになった。
 その二つの鳥居の間の道端に、幾本ものウバユリが立った。いつも落ち葉降り積む天満宮裏山の散策路で、スックと立つ枯れた楕円形の果実を見掛けていたが、花を見たことはなかった。
 50センチほど伸びた茎の上部に、横向きの蕾が並んで開花を待っていたが、ようやく今日綻び始めた。緑白色の花が満開になる頃には葉が枯れるから、歯(葉)のない「姥」にたとえて名づけられたという。何となく侘しいネーミングだが、実は「無垢」・「威厳」という立派な花言葉を持つ。
 女偏に老いと書いて「姥」。「姑」もそうだが、なぜか女偏の文字には、差別的なものが多い。男社会が作ってきた日本の文化、その名残りでもあろうか。男は、歳を経ても達観できず、いつまでも煩悩に振り回される生き物だから、「無垢」や「威厳」と縁がないのかもしれない。

 今年はダンゴムシが異常発生し、群れ為して繁殖に励んでいる。触ると丸くなるこの虫が、子供たちには人気の遊び仲間だった。虫が苦手な子供でも、結構ダンゴムシとは平気で遊んでいた記憶がある。
 ダンゴムシが大量に発生すると地震が起きるという民間伝承があるらしいが、落ち葉を食べて微生物が分解しやすいように土壌を改良する。穏やかなき生き物である。足を降ろす場所に迷うほど、ぞろぞろわらわらと歩き回っていた。

 我が家の庭に、戦士が還ってきた。緑色の光沢を輝かせながら大顎を嚙みあわせ、ビロードのような黒とも紫とも見える前翅に白い斑点を散らし、胸と前翅の間に赤い横帯を掛け、腹は金属光沢の青緑色で飾っている。これが我が家の戦士の戦闘服……晴れ着である。
 飛んでは走り、走ってはまた飛びながら、終日庭の蟻などの小さな生き物を貪っている。ダンゴムシまで食べるかどうか、まだ見たことはない。
 散策路の山道では、いつも数匹が歩く先に飛んで、野性溢れる「野うさぎの広場」への道を教えてくれた。ミチシルベあるいはミチオシエと言われているが、本名ハンミョウ(斑猫)は、この戦闘服の鮮やかな飾りに由来している。固い鎧を纏い、身体に似合わないほどの大顎、そしてその俊敏性から最強の昆虫とも言われている。
 昔の土の道は殆ど舗装され、彼らの戦場には似つかわしくなくなってしまった。我が家の土の庭は、狩りをするには格好の戦場なのだろう。数年前から、2~3匹が此処に棲みつくようになった。成虫で越冬することもあるが、この時期の出現は、多分新たにこの庭で誕生したのだろう。
  
 飛び走るハンミョウを目で追っているうちに、ふと睡魔が瞼を引き下ろしにやって来た。暫くうたた寝でもしようか Zzzz……。
               (2019年7月:写真:戦士ハンミョウ)