蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

忘れられた記念日

2013年05月24日 | 季節の便り・虫篇

 昼間の濁った大気が払われたのか、中天を飾る満月が煌々と輝いていた。夕刻のPM2.5の値は80㎍/㎥。そして。今年初めて大台に乗って30.9度の真夏日となった。徐々に暑さに慣れる余裕も持たせず、猛々しく初夏の日差しが苛烈さを増していく。そこにPM2.5の追い打ちが、こめかみに錐を打ち込む。過敏に反応する目の不快感は、既に慢性化しつつある。

 そんな日の朝、 汗まみれになりながら物置を片付けていると、裏口の側に珍客がいた。ヨコヅナサシガメ(横綱刺亀、学名:Agriosphodrus dohrni)カメムシ目(半翅目)サシガメ科に分類されるカメムシの一種である。元々は中国から東南アジアにかけて分布するカメムシだが、1928年に九州で初めて発見され、既に1990年代には関東にまで拡がっていた。桜、榎、欅などに生息し、他の昆虫を捕えて細長い口を突き刺して体液を吸う。カメムシ特有の臭いはないものの、迂闊に触れると刺される大型のカメムシである。体側の白黒のフリルが横綱の化粧まわしにも見えて、虫キチには何とも凄味のある魅力的な姿である。

 気象が荒れると、生き物にも異常が現れる。先日庭木の消毒に来た植木屋さんが、「山茶花や椿にチャドクガが異常発生しているから」と警告して行った。葉裏に頭を並べて数十匹の幼虫が群棲する姿は、さすがに怖気をふるうし、刺されると、これは痛い。毛虫1匹にある毒針毛は50万本から600万本というから凄まじい。樹の下を通るだけでも、或いは風下にいるだけでも毒針を浴びてひどい目に遭う。それを承知で、昆虫少年として好奇心旺盛だった中学生の頃、暫く飼育したことがあった。
 イラガと並ぶ非常に厄介な蛾だが、実はイラガの幼虫は目を見張るほどに美しい。今も博物館ボランティアに出かけるときのバッグの中には、いつもその写真が入っている。自然の造形美の白眉ともいえる見事な毛虫である。但し、所詮は人に嫌われる毛虫である。だから、よほど虫が好きな人にしか披露はしない。虫キチと言われる所以である。

 前の日の朝、知人からのメールを読んでいた家内が、突然叫んだ。「ねえねえ、今日は何の日だかわかる?」考えたが、思い当たることがない。
 「今日は結婚記念日だよ!」
 結婚47周年、その日を二人ともすっかり忘れてしまっていた。知人からメールで「オメデトウ!」と言われて、ハッと思い出したという。どちらかが覚えていれば、相手をそれとなくなじることも出来ようが、二人ともすっかり忘れていたとは…もう笑うしかない。
 「バラの花束も来ないよね」と笑い合いながら、いずれ改めて呼子の「イカの活き作り」でも食べに行こうと諦めて、この日は映画を観に出かけた。観終わったランチは、PM2.5で体調芳しくなく、泣く泣く讃岐うどん…。
 「金婚式まで、あと3年。何とか生き延びそうだね」という会話で、忘れられていた記念日が暮れた。
 翌日、枯れてしまったハナミズキを切りに植木屋さんがやってきた。彼が言う。「昨日は結婚記念日やったね」…苦笑いの追い打ちだった。

 午後、町内の「井戸端サロン」に出かけた。10年前に区長だった私が始めたサロンである。「今日も一日誰とも話さなかった…」そんな日をなくして、月に一度気ままに公民館に集まり、お菓子をつまみながらお茶を飲み、時間を忘れて語らい、楽しく笑う会である。
 その頃、新聞で103歳の高橋千代という女性の歌を読んだ。
     一日中 言葉なき身の淋しさよ
        君知りたまえ われも人の子
 心に沁みる哀しさだった。その思いが、この「井戸端サロン」を続けさせている原点である。

 明日も暑い一日が待っている。
             (2013年5月:写真:ヨコヅナサシガメ)

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