蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

五月晴れは何処へ?

2013年05月17日 | 季節の便り・花篇

 八朔の下に佇み、蜂の羽音を聴く。受粉を終えた花びらが一面に散り敷き、今真っ盛りの花時である。
 昨秋の実りは貧弱だった。実も小さく、数も前の年の三分の一にも満たない。もう植えて20年あまりになるが、「甘くて果汁タップリで美味しい!」という評判の我が家の八朔だったのに、初めてのひどい不作だった。入院中の為に出入りの植木屋さんに捥いでもらい、駄賃代わりに好きなだけ持ち帰ってもらった。
 食べてみて愕然!酸味が強く、とても食べられるものではない。1~2個我慢して食べたが、とうとう諦めて生ごみの袋に入れた。
 数日前に消毒に来た植木屋さんに詫びた。「そうやろ!折角のもらいものだから、我慢して砂糖掛けて食べたりしたけど、実は半分捨てた。言い出しきれんかった」
 そして言う。「迷信かもしれんけど、植木は災難ごとの身替りになることが多い。肩の手術がうまくいったのも、八朔のお蔭かも」
 家内の手術の直前にも、庭の沈丁花が突然枯れた。ご近所でも似たような例が多いという。信じてもいいと思った。実は、肩の腱板が切れた一因と思われるものに、この八朔がある。木に登り、枝の間に身体を捩じらせて無理な姿勢で手を伸ばして八朔を採り、手の届かないところは高枝鋏を借りて、慣れない収穫にかなり無理をした。弱っていた左肩に激痛が走り始めたのは、その直後の3月だった。原因をつかむまでの7ヶ月の間、寝返りを打つたびに目覚めるほどの痛みに苛まれた。
 身を恥じた八朔が、申し訳なさに実りを犠牲にしたと思えば、何だかいじらしかった。退院直後に、リハビリ中の左肩を庇いながらタップリ「お礼肥え」を施した。根元から1メートルほど離れたところに、自然薯掘りの鍬の反対にある槍状の部分を地面に突き刺して抉り、30センチほどの穴を幾つも穿つ。そこに、骨粉と油粕の混合肥料をタップリ注ぎ入れる。穴は土を被せず、雨に濡れて自然発酵させることで肥料となる。
 そして迎えた初夏、2階の窓まで伸びた枝が、たくさんの花を咲かせた。薄明の頃から勤勉な蜂が訪れ、頼もしい羽音を聴かせてくれている。朝夕、散り敷いた花びらを掃きながら、秋への期待が次第に膨らんでくる。

 十数年前、かつて次女が8年間住んでいたジョージア州アトランタの市の花・ハナミズキを紅白2本植えた。紅が満開になる頃、突然白が枯れた。身を捨てて、また一つの命を救ったのだろうか?

 山歩きの木漏れ日の樹林の中では快適だったのに、下界に降りた途端に再び目がシバシバ痛み、喉がいがらっぽくなった。今年になって俄かに騒がれ始めたPM2.5、その大気汚染がこのところひどい。
 山に挟まれた谷あいにある地形のせいだろうか、太宰府市は常に県下で1~2位を争う高濃度である。国の基準値は「一日平均35㎍/㎥以上」で警報が出る。先日、太宰府は一時的に70㎍/㎥を超えた。現実にこの不快感があるのに「平均値」でいいのだろうか?瞬間的にしろ「最大値」を、「平均値」という数値の中に埋もれさせてはいないか?国の意図的隠蔽を疑いながら、今日もどんよりと濁った五月晴れを見上げていた。
 失われた皐月の青空。春霞の季節を過ぎても、まだ続く隣国からの招かれざる客。喉元を過ぎたのか、もう春ほどマスクが売れないという。こうして、人は破壊された環境になし崩しで慣らされていく。

 それでも、植物は何も言わずに花を咲かせる。プランターに生い茂ったスミレの間で、ヒメヒオウギが重なるように咲いた。オキエラブユリとキレンゲショウマに小さな蕾が着いた。

 御笠川で、7羽の雛を引き連れたカルガモが泳いでいた。時たま波紋を散らせて、7羽の雛が一斉に水面を四方に走る。ほのぼのする命の営みが此処にもあった。
                   (2013年5月:写真:ヒメヒオウギ)

<追記>今朝の新聞の一面の記事である。

 福岡市の教育委員会が、PM2.5の運動会中止基準を一日平均140μg/㎥と決めたという。大学教授の厳しい批判があった。「国内ではまずありえない濃度で、基準がないに等しい。PM2.5については十分な科学データがなく、一律に基準を決めることが適切か疑問だ。」
 場当たり的な行政の欺瞞が、ここにも垣間見える。