蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

天河原(てぃんがーら)

2016年01月15日 | つれづれに


 喪われたものの大きさに、戸惑うことがある。文明は限りない人間の向上心…裏返せば「欲」が、めざましい速さで物質面を豊かにしてきた。しかし、その一方で、どれほど多くの「自然」を喪ったことだろう。

 名嘉睦稔」という木版画家に巡り合ったのは、もう遥か昔。沖縄北部・伊是名島に生まれた彼の個展にたまたま紛れ込んだ。作品集の紹介にある。

 「大自然に育まれた豊かな感性から生み出される、ダイナミックかつ繊細な作品は、生きとし生けるものの魂の声を、時に優しく、時に力強く、私たちに伝えてくれる。……その類稀な才能はとどまることを知らず、彫刻、琉歌、作詩、作曲など、様々な分野で日々旺盛に発揮されている……」

 その作風に圧倒されて、後の沖縄訪問の際に彼の画廊まで訪ねて行ったことがある。鳥や虫たちと語り合えるという、不思議な感性の人である。
 その個展の会場でコラボして流れていたのが、TINGARAの音楽だった。那覇市出身の米盛つぐみ(ボーカル)、グレン大嶋(三線)、ヒデオ・イマジン(キーボード)が醸し出す島唄ボーカルのサウンドに魅せられて、「さきよだ」「太陽の花」「みるやかなや」「うなさか」「風の旋律」と、次々にアルバムを買い漁った。眠りに就くときのヒーリング音楽として、枕元に積み上げるまでに惚れ込んだ。
 天河原(てぃんがーら)とは沖縄の言葉で「天の川」の意味である。

 戦後間もない子供の頃、都会の空は一面の星空に覆われていた。中天を滔滔と天の川が流れ、満月の夜には「影踏み」という遊びに歓声をあげて走り回った。
 今では、この郊外の大宰府でさえ夏の夜空を這い進む巨大な「蠍座」を見ることが叶わず、冬の夜空で辛うじて「オリオン座」や、「おおいぬ座」のシリウス、「こいぬ座」のプロキオン、「オリオン座」のベテルギウスが形作る「冬の大三角」を確かめるのがやっとである。

 20年以上前に訪れて惚れ込み、4度も赤道を越えたインドネシア・バリ島で仰いだ南十字星と、それを包み込む果てしない星空、アメリカ・カリフォルニア州ヨシュアツリー・パークで漆黒の闇の底から仰いだ天球の星々、沖縄・座間味島で昼間のダイビングの火照りを冷ましながら息を呑んだ水平線まで覆う球形の星空。それぞれに深みと厚みを持って、なだれ落ちるような満天の星空だった。あまりの星の数に、憧れの南十字星でさえ、椰子の葉先に置かないと見失うほどだった。
 
 名嘉睦稔が、自らの版画に添えて作詩・作曲した「夜間飛行」という歌がある。

    覚(う)びらぬうちに 星花ぬ咲ちゅさ
    覚びらぬうちに 百花(むむばな)ぬ咲ちゅさ
    天河原(てぃんじゃら) 島横(しまゆく)に 天河原 島横に

    渡る群鳥(むりどぅい)ぬ 河原(かぁーら)なてぃ南(ふぇー)に
    あまからぬ使(ちゅ)い 去年(んちゅなてぃ)ぬ使い
    なまん持(む)ちが居たら なまん持(む)ちが居たら

    風(かじ)や風なとてぃ 雨(あみ)や雨やれば
    雲(くむ)や雲なとてぃ 星(ふし)や星ぶしとぅ
    なまんあたる事(ぐとぅ)に なまんあたる事に

(訳詞)
    思わぬうちに 星の花が咲いた
    思わぬうちに 百花が咲いた
    天の川は島の南天に横たわる
    天の川は島の南天に横たわる

    渡り鳥の群れは 川のように連なって 南へ
    彼方からの便り 去年からの便り
    今も持っているだろうか
    今も持っているだろうか

    風は風として 雨は雨ならば
    雲は雲として 星は星々と
    今もあるがままに
    今もあるがままに         (名嘉睦稔)

 寒風吹きすさぶ深夜、寝る前に必ず庭に立って星空を見上げる。この乏しくなった冬空でさえ、やがては西から襲い掛かる大気汚染に呑みこまれてしまうのだろうか。

 喪われた大自然の佇まいは、もう決して戻ることはない。
            (2016年1月:写真:名嘉睦稔「夜間飛行」)


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