蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

花を呼ぶ

2022年03月20日 | 季節の便り・花篇

 6日前、いきなり25度の夏日が、強引に初夏を手繰り込んだ。そして今日、2ヶ月も走り戻って13度の肌寒い早春の風が身も心も縮こまらせる。こんな激しい気候変動に易々とついていけるほどタフではない。何となく不調が続いて、掛かり付けの病院に駆け込んで点滴を受ける羽目になった。毎年繰り返す季節の変わり目の変調ではあるのだが、今年はあまりにも早過ぎる。

 コロナ、オミクロン、ロシア、プーチン、習近平、金正恩―――拒否反応を起こす言葉が日ごと増えていく。加えて、自然災害の殆どの原因が人災と思うと、この国は勿論、人類の行く末にも絶望的な暗雲が見えてしまう。戦後のどん底から築き上げてきた人生だから、一層戦(いくさ)に対する忌避感は強い。戦をゲームとしてしか知らない世代が、本物の戦争をどう受け止めていくのか、予想するすべを知らない。ニュースが始まると、チャンネルを変えることが多くなった。目を背けてはいけないとわかっていても、なすすべを持たない身には、実に重い日々が続く。

 乱調子ながら、季節が走っていく。一昨日、全国に先駆けて桜開花を宣言した福岡だが、我が住まいに近い児童公園は、まだ数輪が綻んだばかりである。御笠川沿いの桜並木にも、まだソメイヨシノの華やかな染まりはない。
 たどたどしく切れ切れに鳴いていた石穴稲荷のウグイスが、ようやく見事な囀りを聴かせ始めた。鳥居脇の叢に立っていた土筆も、そろそろスギナ林に替わりつつある。沈丁花が咲き、庭にムスカリが立ち、ハナニラが六光星の花を並べ始めた。キブシも黄金色の藤棚の様相を見せ、ユキヤナギが溢れるように枝垂れる。花が花を呼ぶ季節である。

 春の彼岸を迎えた。休日の、しかも連休は車を出さないという高齢ドライバーの我が家のルールを破って、菩提寺のお参りに出掛けた。福岡県の「感染再拡大防止対策期間」はまだ続いているし、それほどの混雑はないだろうという判断だった。感染者の減少速度が鈍い。この小さな大宰府でさえ、第5次では一桁だったのに、今回は多い日は60人を超え、少なくても30人ほどの感染が続いている。少ないとはいうものの、亡くなる人は殆んどが70歳以上の高齢者である。わが身と思えば、気持ちが萎縮するのは仕方あるまい。
 
 往路は混雑なく走った。しかし、下り車線は予想外の混雑である。自粛の気配は全く感じられないような車の列が続いていた。

 納骨堂に新しい位牌があった。昨秋亡くなった兄の位牌が、電話連絡を受けた住職により院号が与えられ、位牌が祀られていた。三十五日も四十九日も過ぎたの>に、お骨はまだ広島の嫂が手放さないでいる。この納骨堂は兄が管理し、まだ元気な頃に位牌も広島に持って行った。兄の息子が後を引き継ぐことになっている。だから、我が家に仏壇はない。
 母方の叔父叔母の納骨堂を長い間我が家でお守りをしてきたお返しに、親族が絶え永代供養をしてお寺に返す際、住職がその納骨堂の名義を無償で私に替えてくれた。男の子がいないから、分家として一代限りの納骨堂である。我が家の二人の三回忌が過ぎたら、永代供養してお寺に返すよう、娘に言い残してある。
 生き物は死ねば大地に帰る。形あるものは残す必要はない。残された人の記憶の中に生きてさえいればそれでいい。やがて、それも失われていくだろう。それでいいのだと思う。だから、三回忌以上の忌を重ねる必要はないと思っている。法事だけは仏教徒という、日本人は変な人種である。

 都市高速に乗って半ば過ぎたところで、渋滞が始まった。しかし、完全に停まることはないから、横浜の娘に言わせると、「こんなの、渋滞と言わない!」と。しかし、通常なら30分で帰る道が1時間半かかると、太宰府原住民的に言うと、「これは、渋滞である!」。

 3年放置していたイトラッキョウの鉢が、髭根でいっぱいになってしまった。髭根を切ってほぐし、2鉢を4鉢に株分けして秋の花時に備えた。八朔の根方にも、油粕と骨粉のお礼肥を施す時期である。縮こまった我が身もほぐしながら、少しずつ季節を追っかけることにしよう。
 ハナニラ(花韮)の花言葉に、「悲しい別れ」、「耐える愛」とある。そう、春は別れの季節でもあるのだ。
                     (2022年3月:写真:六光星のハナニラ)

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