蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

珍蝶…春の出会い

2014年03月31日 | 季節の便り・虫篇
 
 3月が逝く。

 満開の桜を散らして激しい雨が奔った翌日、ようやく取り戻した春の日差しに誘われて散策に出た。変わり映えしないいつもの道だが、四季折々の横顔をさりげなく見せてくれるのが楽しくて、飽きもせずに歩いている。
 300ミリの望遠を嚙ませたカメラがずっしりと肩に重い。望遠でありながら接写機能を兼ね備えた優れもののレンズは、長女からの贈り物である。17~85mmのズームに、クローズアップレンズを嚙ませた60ミリのマクロ、それに接写機能を持った望遠レンズの3本を持って歩くと、結構老いの肩にこたえる。このところ、望遠1本で花や水辺の鳥を追いかけるのが習わしになった。
 
 博物館裏の雨水調整池を巻く木道の散策路は、私の一番のお気に入りの道である。咲き始めたスミレやキランソウを撮り、久し振りに対面したハンミョウに導かれながら歩く目の端に、ふと見慣れない色彩が閃いた。まだ冬枯れの残る斜面に1匹の蝶が翅を休めていた。小さな日溜まりの中で、ゆっくりと翅を開閉させている。タテハチョウの仲間とは知れたが、この紋様は見たことがない。ざわつく胸を抑えながら、急ぎ接写機能に切り替えて立て続けにシャッターを落とした。

 道すがら林立した土筆を見付け、ポケット一杯に摘む。この春はまだ卵とじを味わってない。これという舌の味わいはないのだが、やはりこれを食べないと心に春がやってこない。
 小暗い階段を上り詰めた車道には、早くも紅色の石楠花が咲き誇っていた。脇にそれて山道にはいり、「野うさぎの広場」に向かう小道を辿ったが、小さなスミレが木漏れ日の下で可憐に咲くだけで、まだ期待していたハルリンドウの姿はなかった。
 帰り道の木道脇に、トノサマバッタが日向ぼっこしていた。福島ではイナゴのことを「土手踏ん張り」という。あの踏ん張ったバッタの姿を、言いえて妙である。

 初夏を思わせる19度の日差しに汗まみれになって帰り着き、早速図鑑で調べ、ネットで確かめた結果、「タテハモドキ」と知れた。元々は沖縄など南西諸島にしか生息せず、九州南部の鹿児島と宮崎で見つかる個体は迷蝶とされていた。しかし、最近では温暖化の影響もあって九州南部に土着しているとされる蝶である。
 ネットに、2000年夏に福岡市西区で複数個体が観察・採集され、 食草オギノツメへの産卵も確認されて、9月21日には地元紙・西日本新聞の夕刊のトップに載ったという記事があった。
 以来14年、生息域が既にここまで拡がっているのだろうか、今日見たタテハモドキには傷ひとつなく、迷蝶とは思えない美しい姿だった。昆虫を巡る自分史に書き加えたい珍蝶との出会いだった。
 翅を立てて(閉じて)とまるのがタテハチョウ(立羽蝶)の名前の由来なのだが、この蝶は翅を開いてとまることが多い。だからモドキ(擬き=似て非なるもの)という。

 温暖化が生き物の北進を進めている。2009年9月、我が家の庭でやはり南方系のアカギカメムシを見付けた。(翌年だっただろうか、福岡市油山でアカギカメムシ7匹が発見されたという記事が出た。これまで九州本土ではほとんど観察例がなかったという。私も然るべきところに報告すればよかったと、ふと思った記憶がある。)
 この月、同じ南方系のクロマダラソテツシジミが、玉名の天然記念物の蘇鉄を蚕食しているという記事が出た。
 2013年5月には、かつては南方系だったヨコヅナサシガメを、博物館脇で私のカメラに捉えた。
 南方からだけではなく、中国原産のツマアカスズメバチが、朝鮮半島を経由して対馬に侵入・定着したという記事を見たのは今年のこと。ニホンミツバチを捕食する「侵略的外来種」で、その繁殖力の強さから九州本土への上陸が懸念されている。農薬汚染食品やPM2.5に続く隣国からの侵略は、おそらく時間の問題だろう。
 生態系の乱れが加速する。その元凶が人間であることは紛れもないが、今日は忘れて、貴重な出会いの喜びを素直に噛みしめることにしよう。
                (2014年3月:写真:タテハモドキ)

<追記>2週間後の4月14日、博物館特別展「近衛家の国宝」開会式の日に、再び同じ藪陰でタテハモドキを見た。傷一つない綺麗な翅を、日差しの中でゆっくりと開閉していた。同じ個体とは思えない、やはり此処まで生息圏を広げているようだ。
 何となく、心が弾む午後だった。