蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

風の出会い

2014年03月03日 | つれづれに

 いつもの散策路だった。

 吹く風は冷たいけれども、もう木枯らしの突き刺すような鋭さはない。晴れ上がった空から降り注ぐ日差しには、紛れもなく春の優しさがあった。
 痛めた膝の様子を確かめながらゆっくりと89段の階段を上がり、休館日の九州国立博物館の脇を抜けて、雨水調整池の畔に建つ四阿でひと息を入れる頃には、額に汗がにじむほどに温まっていた。
 辿る木道の下の湿地に数本の土筆を見付けて、小さく心が躍る。その先の山道の傍らにネコヤナギが和毛をキラキラ輝かせていて、更に気持ちが躍り上がる。数日雨が続いて湿った土を踏みしめながら、木漏れ日が煌めく100段あまりの階段を上って行った。

 天神山の遊歩道に向かう途中で、向こうから若い外人のカップルが歩いてきた。すれ違おうとしたとき、男性の方が少したどたどしいけれども綺麗な日本語で問いかけてきた。
 「竈神社に、どう行きますか?」
 うーん、此処から2キロほど離れた竈神社は、言葉では教えにくい。せめて県道まで連れて行ってあげよう。
 「ご案内しましょう、こちらです」
 簡略化された分かりにくい太宰府の観光地図を見ながら、二人がついてくる。確かめてみると、梅園が見たいのだという。地図で見ると確かに竈神社の側に描いてあるが、これは太宰府天満宮の本殿裏の梅園である。道を変えて、そちらに案内することにした。
 聞けば、彼はドイツ人、彼女はバンクーバー出身のカナダ人で、福岡に住んで6年になるという。
 「梅は、何色が好きですか?」と歩きながら彼が訊き、「やっぱり、淡いピンクがいいですね」と私が答える。
 「太宰府は美しいです。此処に住みたいです」と彼女が言い「バンクーバーも綺麗な街でしたよ」と返す。
 「日本語、お上手ですね」と褒めると、「いえ、日本語とても難しいです。」と彼女が答える。
 かつて、バンクーバーからエドモントンに飛び、迎えてくれた日本人ガイドの車で5時間かけて大平原を西にジャスパーに走り、カナディアン・ロッキーを二日がかりでバンフまで駆け下ったことがあった。(因みに、彼ほど行き届いたガイドは、それ以前もその後にもお目にかかったことがない。カナダで牧場をやることを夢に、アメリカで語学を学ぶ奥さんと別居しながらガイドをやってお金を貯めてるという。あれから十数年になるが、彼はその夢を果たしただろうか?)
 その後カルガリーまで走ってガイドと別れナイアガラに飛んだけれども、あの壮大なナイアガラ瀑布を小さいと感じさせたほど、氷河におおわれた8月のカナディアン・ロッキーの山々のスケールは大きかった。
 そんな旅の思い出や、カリフォルニアのヨセミテ国立公園でキャンプしたことなどを二人と語り合いながら歩いた。今を盛りと咲き誇る梅を愛でつつ博物館のエントランスに続くエスカレーターの前まで来たところで、「博物館に行ってみたい」という事になった。
 階段を上れば120段、幸い休館日でもエスカレーターは動いている。上る途中で館長とすれ違った。
 「こんにちは、今日もお仕事ですか?」
 「いや、今日は休館日ですから」……すれ違う会話が面白い。
 
 「ご親切に、ありがとうございました」
 そんな言葉を残して、二人は教えてあげた散策路を四阿の方に抜けていった。

 なんでもない風の中の出会いだったが、感じのいい若いカップルと歩いたひと時は楽しかった。
 「やっぱり、春なんだな」……そんなほのぼのとした思いを温めながら、傾き始めた日差しの中を家路についた。
            (2014年3月:写真:膨らみ始めたネコヤナギ)