蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

明日への飛翔

2014年03月27日 | つれづれに

 昨年より3日遅れて、御笠川添いの桜並木が明日満開となる。コンビニでお握りを2個ずつに浅漬けの漬物パックを添えて買い、家内と桜探訪の散策に出た。
 三日前に歩いた時には、まだ三分咲きにも及ばなかった桜が、昨日の暖かい雨を浴びて一気に花開いた。その川を遡行して一羽の白鷺が飛んだ。300ミリの望遠レンズを嚙ませたカメラを構え、ピントをカメラ任せでシャッターを切った。立ち姿は見飽きるほどに見ていたが、この一瞬のショットは我ながら……と自画自賛の一枚である。

 6年間続けた九州国立博物館環境ボランティアの作業が、とうとう一昨日で終了した。第2期ボランティアの3年間、そして毎年更新する登録ボランティアとして3年間、それ以上の更新は認められないルールである。文字通り雨の日も風の日も、片道10分のボランティア室に通った日々が終わると思うと、それなりの感慨がある。
 そして、町内の組長の任務も今月末で終わる。61歳でリタイアして6年間区長(自治会長)を務めると、太宰府天満宮伝統文化振興会役員の任務に自動的に就く。その合間に、太宰府市男女共同参画審議員、社会教育委員、小学校の同窓会副会長などいくつかの役職も務めたが、70歳を機に全て退いた。老醜・老害を否とする自分なりのけじめだった。地域に、ささやかながら何かを残したという自負はある。
 その傍ら、何か新しいことへのチャレンジとして、68歳の冬にカリフォルニアの水温16度の海でスキューバダイビングのライセンスを取った。カリフォルニア・カタリナ島、メキシコ・ロスカボス、沖縄・座間味島の20メートルの海底の静寂に漂い、美しい珊瑚やジャイアントケルプの林、群れ泳ぐ様々な魚影、海亀やシーライオン(カリフォルニアアシカ)などと戯れながら、新しい癒しの世界を知った。

 75歳、生活のリズムになっていたボランティアを終わり、「さあ明日から何をしよう?」と、ふと考える。半分本気のスカイダイビングや谷底に飛ぶバンジージャンプの夢は、耐用年数が切れ始めた膝や肩を思えば、もう「年寄りの冷や水」でしかないのだろう。
 続いているのは、14年目の町内広報紙「湯の谷西便り」の編集だけになった。パソコンで作るカラー刷りの新聞が、この4月号で159号を迎えた。町内行事全てのカメラ取材と記事書きと編集・印刷は、それなりの束縛があるが、度々の長期アメリカ滞在の時も欠号せずに続けていた。しかし、昨年から長期入院や湯治で、やむなく3号を途絶えさせてしまった悔いが残る。後継者を探しているが、今のところその見通しもなく、自治会長の要請のままに作り続けている。

 御笠川沿いの散策路で見た白鷺の飛翔が、何となく明日への心の高揚を感じさせる。河原の砂洲で、モズが1メートルほどの蛇をつつきまわして草むらに追い払っていた。雨上がりの水面でカイツブリがしきりに潜って魚を追っていた。その息の長さを計りながら、いつの間にか息を止めている自分がいた。セキレイが複雑に身をくねらせながら縦に飛んで捕食を繰り返していた……咲き誇る桜並木のトンネルを潜りながら、そんな躍動する自然の営みに魅せられていた。

 大宰府政庁跡で春風に吹かれながらお握りを食べ、観世音寺前の喫茶店でコーヒーブレイクして帰り着いた我が家の庭も、眩しいほどに春真っ盛りである。キブシが無数の房を提げ、庭のあちこちに勲章のようなハナニラが100輪を越す花を咲かせている。母校・修猷館高校の徽章・六光星に似た薄紫の六弁花は、蔓延るままに年々花の数を増やしている。クサボケのオレンジの花も咲き始めた。ベニバナアセビと沈丁花はそろそろ花時を終える。乙女椿が咲く。ユキヤナギが白い滝を流す。ムスカリが紫の炎を立てる。八朔の繁りの陰で、少し侘しいコブシが風に揺れる。鉢の中で咲き始めたエイザンスミレ、シボリスミレ、ハワサビ、ヒメイカリソウ、そしてチャルメルソウが日毎に蕾を伸ばし始めている。冬の間広縁に避寒させていた4鉢の月下美人を、庭の日当たりに出した。

 春は新しい季節の始まりである。白鷺の飛翔に自分を重ね、また新たな「明日の夢」を探してみよう。
                  (2014年3月:写真:白鷺の飛翔)