蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

花、吹雪く

2013年03月30日 | 季節の便り・花篇


 満開の桜に雨が降り注ぎ、花冷えが来た。その花冷えが幸いしたのか、散り急ぐかという心配をよそに絢爛を保った。いつになく早い開花と、いつになく長い花どきに、お花見の賑わいが絶えない。そんな中に、「そろそろ、冬物は片付けていいでしょう」とラジオが報じる。

 14週(98日)目の朝だった。漲るように咲き誇っていた桜が、ふっと吐息を吐くように花びらを散らせ始めた。朝のリハビリに向かう途中、遊ぶ子供の姿を見たことがない小さな児童公園の1本の桜に引き寄せられた。ようやく朝日が届き始めた地面に、一面の花びらが敷き詰められていた。
 受付を済ませて待ち、マイクで呼ばれて3階に上がると、「おはようございます!」という挨拶と笑顔で迎えられ、10分間の肩のホットパットからリハビリが始まり、理学療法士の緻密なマッサージが30分、その後滑車で腕挙げ7分、ゴムバンドを引いて3分、「お大事に、どうぞ!」と声を掛けられて階段を下りるまで、この日差し溢れるリハビリ室は明るい笑顔が絶えることがない。心のリハビリまでさせてもらう毎日だった。

 昼、14週目の術後診断の為にF大学病院でMRIを撮った。執刀医の教授は海外出張中の為、画像診断は月明けた4月1日である。初診の時の6時間待ちが嘘のように、何故か予約時間の13時には、既に撮影を終えていた。
 帰路、日本経済大学の構内を抜ける桜並木で車を停めた。落花が風に舞い、渦巻くような花吹雪となる。車の窓をいっぱいに開けると、風に舞い込む花びらが膝や腕にとまる。花どきの終焉に向かって、俄かに季節の足取りが速く感じられる時節だった。

 午後、嬉野温泉に走った。4か月ぶりの温泉である。(このところ、何をするにも○ヶ月振り!)という言葉が付きまとう。)温めると肩や腕のリハビリ痛が消える。療養と快気祝いと、入院側・留守番側それぞれの慰労を兼ねた1泊の温泉ドライブだった。もう一度桜のトンネルをくぐって、筑紫野ICから高速道に乗った。1時間余りの長崎道の沿線は、いずこも桜の真っ盛り。これほどに待たれ、愛され、惜しまれる花は、やはり桜をおいてはない。春という季節がなせる業でもあろうが、春の日差しを呼び寄せて豪華絢爛と咲き、やがて潔く散っていく姿は、日本人の魂の原点でもあるのだろう。その潔さを失った人種が、あまりにも世間に跋扈し過ぎる時代ではあるが……。

 インターを降りた嬉野の街も、満開の桜に飾り立てられていた。内陸の此処はまだ吹雪くこともなく、今が真っ盛りである。嬉野温泉「ホテル桜」の玄関先に走り込む。…ここまで桜尽くしになると、もう言うことはない。
 「美人の湯」を謳う温泉は肌に滑らかに纏わりつき、男の我が身でも肌触りが楽しくなる。露天風呂の吐口に肩を入れ、打たせ湯でほぐした。ほどほどの熱さが、心地よく肩関節から腕に浸み込んでいく。リハビリ痛が嘘のように消えて、うっとりと眠りを誘う。のぼせそうになると湯船の縁の岩に腰かけて風に弄らせ、また吐口に沈みこむ。珍しく長湯して、指先がふやけてしわしわになるまで浸っていた。

 玄海荒磯懐石の部屋食を摂り、佐賀の辛口冷酒「天山」でほろ酔いながら、名物・温泉湯豆腐や鮑の踊り焼きに舌鼓を打つ。月齢17の月が、遮るものもない快晴の夜空をゆっくりと渡っていった。
 夜更けてもう一度、翌朝目覚めてもう一度…いつものように3度の温泉を楽しんで、花曇りの長崎道を走り戻ってきた。もう何十年もこの季節に帰国したことがないアメリカの娘に、この桜を見せたいなと、ふと思う。
 今年の桜は、もう見尽くした。
                (2013年3月:写真:花、吹雪く)