蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

初めての入院・手術(その4)

2013年03月04日 | つれづれに

 一閃、翡翠色の光が対岸に飛んだ。数年ぶりに見たカワセミの飛翔だった。
 御笠川沿いの遊歩道、太宰府市中央公民館の裏を緩く曲がりながら流れ下る川沿いは、あと一か月もすると豪華絢爛の桜並木の散策路となる。お天気のいい日は、外出届を出してリハビリ・ウォーキングに出た。吹く風の冷たさも、日差しを浴びて歩くうちに身体の内側からポカポカと暖かくなる。 
 川底の白砂に小さな魚影が群れ、マガモの番いや、カルガモの家族が波紋を引く。大型のアオサギがギャギャッ!と鳴きながら舞い降り、セグロセキレイが岸辺で尾を振り立てる。ゴイサギが蹲り、ダイサギが抜き足で浅瀬を歩く。珍しい一瞬を見た。まだ頭の後ろに飾り羽を残したコサギが、岸辺の草叢の近くの水を右足でシャカシャカとかき混ぜる。慌てて隠れ家から飛び出した小魚を嘴で一閃、目にも止まらない早業で捕えた。初めて見た野鳥の智慧に感心しながら、まだ固い桜の蕾の下を歩き続けた。

 朱雀大路を右折して、遠の都・太宰府政庁跡の広大な広場に入る。四王寺山を借景に、母と子の姿や、散策するお年寄りがちらほら。入り口の脇に立つ1本のシナマンサクが錦糸卵のような花びらをいっぱいに広げて、真っ青な空をバックに早春の日差しに輝いていた。
 紅梅が美しく咲き、白梅が少し遅れて開き始めた史跡の右脇を抜け、人家の間の田舎道を緩やかに登りあがると、そこは「市民の森」。梅や桜、馬酔木などを中心とした「春の森」を登り詰めて小さな峠を右に下ると、楓を主役にした「秋の森」が斜面に広がる。
 梅がちらほら咲くほかは、まだ一面冬枯れの木立だった。イノシシが掘り返した跡がいたる所に広がっている。葉を落としたメタセコイアの小枝が青空を刺し、馬酔木の蕾も日当たりのいい数輪が膨らみかけているだけで、まだまだ固い。途中のベンチで風を聴きながらミカンを食べた。
 「秋の森」へ抜ける分岐点近くで、バードウォッチャーがカメラを構えていた。そっと近づいて問いかけると、指差しながら「ルリビタキ」と教えてくれた。木立の外れ、陽だまりの枯れ枝の先に、美しい小鳥が遊んでいた。普段は藪の中にいてなかなか姿を見せてくれないのに、人影を恐れることもなく暫く檜舞台の踊り子のように枝先で遊んで、ツイと瑠璃色の光を引いて藪の中に消えていった。

 「秋の森」から畑の脇を抜け、観世音寺に下る。毎年「ゆく年、來る年」で、決まったように除夜の鐘を響かせる古刹の辺りは、様々な歴史を語る史跡地である。周囲の畑は、殆どイノシシ除けの鉄柵で囲まれつつあった。 野生の生き物たちによる被害が広がっているから仕方ないのだが、景観を損ねる無粋さは否めない。そもそもは人間が生き物たちの生活圏を奪っていったのが発端である。今徐々に、人間の手から生活圏を生き物たちが奪い返し始めている。密かにそれを応援している自分がいる。

 始めのうちは三角巾で左腕を吊り、やがて解放されて腕を振りながら歩くのが嬉しくて、8000歩1時間余りの散策を繰り返しながら、リハビリの日々が進んだ。病室の壁に5センチ刻みで貼ってくれた目盛を、指で歩きながら腕を上げていく「指梯子」というリハビリも、やっとの思いで届かせていた150センチから、やがて175センチまで届くようになった。マッサージを受け、忘れてしまった複数の筋肉の相乗運動を少しずつ身体に覚え直していく。滑車で引き上げる左腕も、耳までしか届かなかったものが、肘近くまで頭の上に出るようになった。

 2月13日、術後検診にF大学病院に行く。レントゲンの画像を見て、執刀医のOKが出た。「ビスも正しい位置に収まっています。左手の外旋の力も強くなり、腱板は問題なく修復出来ています。念の為に3月28日にMRIを撮って確認しましょう」
 診断書を受け取って再びK整形外科の病室に戻りながら、退院への期待が俄かに膨らんできた。
 翌日のバレンタインデーに、院長夫人からチョコレートが届いた。少し照れながら婦長から受け取り、照れ隠しのように左腕の振り子運動でその日のリハビリの仕上げとした。
                  (2013年3月:写真:満開のシナマンサク)