蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

咲き急ぐ

2013年03月20日 | つれづれに

 ほどほどに、躊躇いながら冬が逝き、遠慮がちに春が戸を叩く……時に暖かく、また寒くなり、三寒四温を繰り返しながら、気が付いたら「あ、もう春!」……そんな境目のない季節の移ろいを待っていた。
 今年の春は、あまりにも急ぎ過ぎる。8度も10度も、乱高下の中に早々と春が座り込んでしまっていた。急き立てられるように咲いた花が、あっという間に盛りを過ぎて萎れていく。梅が終わり、蝋梅が輝きを失い、乙女椿が一気に咲き揃ったかと思うと、もう茶色に色を失って零れ落ちていく。猩猩袴(ショウジョウバカマ)も短命で終わった。晩秋から花房を育て始めたキブシが、ようやく満開になったばかりなのに、春三番が吹いて、早くも鈴のような花を散らし始めている。全国に先駆けて開花を迎えた桜が太宰府でも咲き始め、三分咲きが一晩で五分咲きとなり、春分の日の雨が気になるほどに絢爛の花時を迎えようとしていた。
 庭の隅の紅花馬酔木(ベニバナアセビ)も、もう盛りを過ぎた。ムスカリが立ち、叡山菫(エイザンスミレ)が鉢から零れるように咲いた。雨樋の陰に、慌て者の紫華鬘(ムラサキケマン)と花韮(ハナニラ)を見付けた。

 彼岸の中日「春分の日」の雨の予報を聞き、前日に福岡に走って一気に墓参りを済ませた。三つの寺で、二つの墓石と四つの納骨堂に手を合わせた。家内が「三社詣でならぬ、三寺参り」と戯れる。みんな気持ちは同じなのだろう、二寺が既に駐車待ちの混雑だった。
 家内の母方の菩提寺・西教寺、父方の萬行寺、我が家の大長寺……家内が言う。いろいろと事が多かったこの一年だった。そして、いろいろ事が予想されるこれからの一年、せめて先祖の供養をして、密かな見守りを願う気持ちがあると。
 まだ痛む左肩を庇いながら水を汲み、萬行寺の墓石を洗う。雑草を抜き、銀杏の朽ち葉を払い、亀の子たわしで墓石の苔を擦り、花立の水を清めて買い求めた花を挿した。一段と黄砂が激しい春日に、青空は霞んで見えない。視界7キロとテレビが報じていた。季節の味わいを語感に漂わせる「春霞」という言葉も、黄砂に加えPM2.5という耳慣れない言葉に毒されて、今年は風情がない。
 大長寺。父と母が眠る納骨堂は広島の兄が守っている。母方の一族は、七年間行方を絶った最後の叔父が失踪宣告後の死亡認定を受けて葬儀を行い、七回忌を終えたところで永代供養して寺に委ねた。最後まで面倒見たことで、寺の厚意によりその納骨堂を無償で私の名義に変えてくれた。やがて此処に私達は眠るが、まだその日は遠い。(と思いたい。)
 本殿でお線香を立て、手を合わせてこの日の三寺参りを終えた。住職にお布施を渡して出た門の傍らに、早くもシャガが咲いていた。記憶の中では初夏の花という意識がある。この日、福岡は26度を超えた。まさしく初夏の陽気だった。
 
 
 昼時だった。大長寺のすぐ近くで見付けた店「うみの華」に飛び込みで入ってランチを食べた。店の前の小さな広場で、見事な桜が霞に和らげられた日差しを浴びて輝いていた。
 店の勧めるままに「海鮮あふれ丼」を注文する。文字通り、丼から大きな刺身が溢れて垂れ下がっている。魚のあらで出しを取った味噌汁の大きな碗が添えられ、これで980円!更にFacebookにチェックインすると、茶碗蒸しがサービスされ、その中に鯛の切り身が入っていたら50円引きという、何とも楽しいメニューである。家内がブログでのアップを約束したら、先取りで茶碗蒸しをサービスしてくれた。(残念ながら、鯛の切り身は入っていなかった。世の中、そんなに甘くはない。)
 天神の裏通りは若者の街。そして競争が厳しいから、こんなアイデアあふれるサービスが生み出されている。すっかり満腹して都市高速を突っ走り、30分で太宰府の田舎町に帰り着いた。
 ―――リハビリが待っていた。
                   (2013年3月:写真:「海鮮あふれ丼」)