イズミル便り

IZMIR'DEN MERHABA

CIFT BASLI KARTAL(チフトバシュルカルタル=双頭の鷲)

2009-10-09 12:44:48 | Weblog




もう1ケ月も前のことになりますが、今年もイズミルが1922年にギリシャ軍から解放された記念日である「9 EYLUL(ドクズエイリュリュ=9月9日)」には、私が一年で一番楽しみにしていると言っても過言ではないTURK YILDIZLARI(トルコの星達)のアクロバット飛行がありました。アパートの屋上からマッハ8の超音速をとらえるのは至難の業、こんなボケボケ写真しか撮れません。

最近になってこのTURK YILDIZLARIのHPを眺めていたところこんなかっこいい写真が…。


写真はTURK YILDIZLARIのHPより拝借しました。

これは飛行機の裏側の写真なのですが、このデザインに注目して下さい。これがタイトルにあるCIFT BASLI KARTAL(双頭の鷲)だったのです。双頭の鷲?そう言えば幼い頃「双頭の鷲の旗の下に」と言うワーグナーのピアノ曲をピアノの発表会で弾かなかったっけ?などと思いながら調べてみると、この曲は「ワーグナーがオーストリア・ハンガリー帝国の軍楽隊長であった時期に作曲したものであり、曲名にある「双頭の鷲」は同国のシンボル」だったのですね。ヨーロッパの国家や、東ローマ帝国のシンボルとしても使用されてきた「双頭の鷲」自体は古来より存在する紋章なのだそうです(Wikipediaより)。


オーストラリア・ハンガリー帝国の国章。


東ローマ帝国の「双頭の鷲」を受け継ぐ、
コンスタンディヌーポリ総主教庁(イスタンブル)の紋章。
写真はWikipediaより拝借。

トルコでは6000年も前のCIFT BASLI KARTALのモチーフがあるそうですが、ヒッタイトからビザンチン帝国そしてセルチュク(セルジューク)朝へ、アナドルに興った多くの文明のシンボルとなりました。


6000年前のものかどうかは調べられませんでしたが、
トルコのボアズカレにあるヒッタイトの遺跡のモチーフ。


その昔中央アジアに住んでいたトルコ民族はCIFT BASLI KARTALを二つの世界の架け橋、都市の守護者として見ていました。そして決して負けることも征服されることもないと言う意味を持たせたそうです。


セルチュク朝のシンボル。写真はWikipediaより拝借。

その為セルジューク朝時代に作られた城壁には守護者としてCIFT BASLI KARTALが描写されました。彼らの旗に描かれたCIFT BASLI KARTALは現在でもセルジューク朝の首都であったKONYA(コンヤ)市の市章はもちろん、大学、サッカークラブなど様々な組織のシンボルとして使われているようです。

     
コンヤ市の市章。             そう言えばトルコ警察のシンボルにもCIFT BASLI KARTALが・・・。

こうやって調べてみると、TURK YILDIZLARIのアクロバット飛行がまた別の意味で生き生きと瞼によみがえってきます。大空と地上を旅するパイロット達を守り付き添い羽ばたくCIFT BASLI KARTALを見る為にも来年の9EYLULが今から楽しみです。






現在使われている国旗にもCIFT BASLI KATALがいっぱい。
上からアルバニア、セルビア、モンテネグロ。



 
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写真はWikipediaより拝借。



☆現在のイズミル☆