イズミル便り

IZMIR'DEN MERHABA

SARDES(サルデス)へ続く王の道

2008-06-03 11:17:35 | 

緑の線がスーサからサルデスへ続く「王の道」

アケメネス朝ペルシア帝国の大王ダレイオス1世は紀元前5世紀に王都スーサからサルデスにいたる公道「王の道」を広大な帝国の迅速な交通と通信を容易にするために建造しました。



スーサから帝国遠隔の地のサルデスまでの 2,699キロメートル(1,677マイル)を7日間で旅することができたそうですから一日約385キロ、紀元前5世紀では高速道路も真っ青なまさに「王の道」だったことが伺えます。古代ギリシアの歴史家であるヘロドトスも「この公道を利用したペルシアの旅行以上に速い旅は、世界のなかでも他にはない」と記したそうです。



そのサルデスの遺跡が、このトルコエーゲ地方、イズミルのお隣マニサ県サルトにあります。「王の道」が出来る前、紀元前7世紀に興ったリィディア王国の中心がサルデスでした。アケメネス朝ペルシャのキュロス王に占領され紀元前547年にはペルシャ領になってしまうわけですが、世界で初めての鋳造貨幣「エレクトロン貨」を導入したことでも知られています。





壮大な歴史の舞台となったサルデスですが現在の姿はいたってのんびりとした綿畑が広がるエーゲの田舎…。まさに「兵どもの夢の跡」です。



  

ここを訪れたのは4年余りも前の暑い夏の日、まだブログも始めていなかったのでブログ魂(!)なんてものもなくぼーっとしていたのか写真も余りありません。遺跡は道路を隔てて二つに分かれており、一つはローマ時代に建てられたアルテミス神殿、もう一つはギムナシウムと3世紀に建てられたというシナゴーグ(ユダヤ教会)、復元されたモザイクや大浴場、商店街跡等が見られます。


山に囲まれた神殿跡、かつてはどんな光景が繰り広げられていたのでしょう。


かなり大きなショッピングセンターだったようですね。

肝心のリィディア王国の遺跡はどこに?と思われるかもしれませんが最後にサルディス遺跡の北西方面へ車で2時間余り綿畑の中を走ると道の左右にぽこぽこと巨大なモグラの穴のようなものが見えてきます。これが「BINTEPE(ビンテペ=千の頂)」と呼ばれているリディア王国の墳墓郡です。



360度さえぎるもののない(電線以外)台地に本当に1000個くらいあるんじゃないかと思われる墳墓郡が続きます。こんな写真ではその壮大さを感じていただけないのが残念ですが2000年以上も昔の王国の一体どんな人がこの墳墓の下で眠っているかと思うと、アルテミス神殿やきれいなモザイク跡よりももっと悠久の歴史を感じてしまいませんか?





最後に「サルデス」で検索をしていると「KAMRAN INCE」という作曲家による「交響曲第4番サルデス」というものがありました。このKAMRAN INCEはトルコ人とアメリカ人の両親を持つ1960年生れの作曲家で歴史を題材にした交響曲を数多く手がけているそうです。彼はアメリカ籍のようですがここにもまた世界で活躍するトルコ人がいました。KAMRAN INCEのHPから「交響曲サルデス」も視聴することができますので興味のある方はこちらからどうぞ。

  写真をクリックするとHPが開きます。



  




サルデスで綿摘みをする人々。
               






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