イズミル便り

IZMIR'DEN MERHABA

右前

2008-05-25 01:30:57 | Weblog


先日、9日に亡くなったトルコの歌姫「LEYLA GENCER」のことを書きましたが、「蝶々夫人」を演じた際の写真でLEYLA GENCERが着物を左前に着ているのが皆さんに見つかってしまいました。

「蝶々夫人」を演じるならそのくらい知っておけとまでは、私は言わないけれどやっぱり衣装担当者は注意するべきでしょうかね。「蝶々夫人」を演じる際の注意書きなんてものはないのでしょうか、と思っていたら発見しました!この写真はオペラ「蝶々夫人」の初演時衣装・小道具デザインの原画だそうです。京都のある古本屋さんの目録にありました。
1903年頃の水彩図(25.5×33cm)で1904年にプッチーニがスカラ座においてオペラ「蝶々夫人」を上演するにあたり、高名なフランスの舞台デザイナーLucien Jusseaumeに描かせたものだそうです。ちゃんとあったんですね~、右前に着物を着ています。LEYLA GENCERとそのスタッフはこの絵を知らなかったのでしょうか…。

私がちゃんと着物を着たのは子供の頃、最近は旅行へ行った時にホテルや旅館の浴衣もどきを着るくらいです。それでも「左前」にならないように、なんて一応気をつけているつもりですが、このLEYLA GENCERの写真を見て「あ、左前」なんてことには気がつかない程度でした。そこで一応自分の為にインターネットで検索してみたことをまとめて貼り付けておくことにしました。

通常日本で和服を着る時は「右前」と言って左身頃を上にして、襟のあきが右にくるように着ます。反対に着物の襟のあきを左にもって着ることを左前といい、死んだ人に着せる死装束は左前にします。

日本で和服をなぜ右前にするのか、またいつから右前にするようになったのかについては、諸説があるようですが、大昔の日本では、騎馬民族の影響から「左前」だったそう。騎馬民族は弓を使うため、左前の方が弓矢が引っかからず都合が良かったのですね。それが後に中国(隋や唐)の影響で右前に統一されました。『続日本紀』(しょくにほんぎ)によると、719年に、全ての人が右前に着るという命令が発せられたのです。武士は刀を腰に固定させて携帯していたことと、多くの日本人の利き手が右手だった、という2つのことが最初の原因として考えられるそうです。右前のほうが懐のものを右手で取り出すのに便利だったということもあります。左手の人はさぞや不便だったことでしょう。

と言うことで日本の着物は男女共「右前」で着ますが、洋服の場合は通常男性は右前、女性は左前になっていますよね。これは、西洋で男は左側に帯剣するため剣が抜きやすいように、でも高貴な女性は自分で服を着ず、召使に着せて貰っていたために左前になったとか…。

着るものの合わせ方に人間の利き手が大いに影響しているということにはびっくりしましたが、アフリカのガーナの民族衣装は、利き手に合わせて右前左前を変えるのだそうで、これにもまたびっくり。ずいぶん合理的ではありませんか?そういう柔軟な考え方ができるっていいなあと思います。





今年我が家二度目のクムル雛は二羽とも元気に育っています。
             






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