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イズミル便り

IZMIR'DEN MERHABA

BORNOVA LEVANTEN KOSKLERI(ボルノヴァ異人館)

2011-10-29 11:03:50 | イズミル暮らし・イズミル案内

東京の木枯らし1号のニュースに思わず背中を丸めてしまいました。イズミルは小春日和の過ごしやすい日が続いています。地震のあったVANでは気温が氷点下に下がることもあり、昨日は雪が降り出したそうです。しばらくはテントでの生活を続けなくてはならない人たちには無情の雪です。

19世紀オスマン帝国末期、トルコのエーゲ海、地中海沿岸の港湾都市で貿易商を営むイスラム教徒以外の商人たちはLEVANTEN(レバンテン)と呼ばれていました。彼らが建てた家や教会、公的施設は当時のトルコに見られたオスマン風、またギリシャ風の建築とは少し違う特徴が見られ、イズミルにも30軒ほどのLEVANTEN KOSKLERI(KOSKはお屋敷の意)が残っているそうです。

BORNOVA(ボルノヴァ)地区に残るLEVANTEN KOSKLERIのいくつかは修復され、多くはEGE(エゲ)大学の施設として使われています。我が家からMETRO(地下鉄)で約15分のBORNOVA(ボルノヴァ)でお友達と待ち合わせ、ぶらぶらと異人館散歩に出発しました。駅のすぐ前に広大なエゲ大キャンパスが広がっているので、METROの駅も大学生がいっぱい。そして駅周辺は一応文教都市風に緑の多い公園やおしゃれなカフェが並んでおり、歩いているだけでほっと懐かしい気持ちになる一面があります。一方で一歩道をはずれるとにぎやかなトルコの熱~い活気あふれる商店街もあり、そちらを歩くとエネルギー消耗度が激しくなりますが・・・。

目的地は「MURAT KOSKU(ムラト邸)」、1880年にイギリス人EDWARDS家によって建てられました。元の持ち主EDWARDSさんの息子はイズミルの鉄道を敷いたり、ガス会社を作るなどの功績があった人のようです。もともとはEDWARDS KOSKUと呼ばれていましたが、その娘が嫁いだ人の名前がCONSTANTIN MURATであることから、現在ではMURAT KOSKUと呼ばれているようです。

広大な庭の後ろ側には、小さなHAMAM(ハマム=お風呂)まであります。1980年に国の児童保護局に、2001年には修復がされて2003年にはイズミル県へ移譲され、現在はエゲ大学の施設、カフェテリアなどとして一般にも公開されています。昼間はカフェ、夜は室内で食事もできるそうです。

「WILKINSON KOSKU(ウィルキンソン邸)」、1985年までWILKINSON家のものでしたが、その後持ち主が変わり廃墟となっていたところ、2005年のエゲ大学50周年を記念して修復され現在は「エゲ大学50周年邸芸術ギャラリー」として使われているようです。

「ST.MARY MAGDALENE KILISESI(聖マグダラのマリア聖公会教会」、1857年に建てられたそうです。 

「YESIL KOSK(緑邸)」、貿易商だったPANDISPANYA家によって建てられました。その後持ち主が何度か変わり1955年以降エゲ大学の農学部、迎賓館などとして使われた後、現在は職員や学生の為のカフェテリアとして使われています。このYESIL KOSKの前の歩道脇に、昨年「トルコにおける日本年」を記念して植樹をした日本の桜数本があります。春に花を咲かせてくれたら、そして大きくなって桜並木になったら、きっとこの緑の屋敷に映えるんじゃないかなあと大いに期待しています。

他にも個人所有のものもあるようですし、エゲ大学が民族博物館として公開している建物などもあります。また近いうちに探訪に出かけたいものです。ボルノヴァ異人館散歩第二弾をお楽しみに(気を長く・・・)!

 

 

日本から来てくれた桜

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7.BALKANLILAR HALK DANSLARI FESTIVALI

2011-10-14 08:50:03 | イズミル暮らし・イズミル案内

 セルビア

この写真、昔観た映画のワンシーンを思い出します。何の映画だったかな。自我自賛、とても好きな写真です。いかがでしょう?

いつも雲ひとつない真っ青な空の日が多いイズミルですが、たまにはこんな写真も・・・↓。先週末から雨が続き、涼しいと言うよりも朝晩は少し肌寒くなってきました。寒がりのイズミルっ子、すでに帽子やコート、マフラーまでしている人がいるのにはびっくりです。

そんな雨模様の時にちょうどぶつかってしまったのですが、第7回BALKANLILAR HALK DANSLARI FESTIVALI(バルカンフォークダンスフェスティバル)が10月8日から12日までイズミルで行われました。

この国旗、どこのものだかわかりますか?ARNAVUTLUK(アルバニア)、BOSNA HERSEK(ボスニアヘルツェゴビナ)、BULGARISTAN(ブルガリア)、HIRVATISTAN(クロアチア)、KARADAG(モンテネグロ)、KOSOVA(コソボ)、MAKEDONYA(マケドニア)、ROMANYA(ルーマニア)、SIRBISTAN(セルビア)、SLOVENYA(スロベニア)、TURKIYE(トルコ)、YUNANISTAN(ギリシャ)の11ケ国が参加しました。

アルバニア

イズミルのKONAK(コナック)、BORNOVA(ボルノヴァ)、KARSIYAKA(カルシュヤカ)にある3つのMEYDAN(メイダン=広場)で11ケ国のダンスグループが毎日日替わりで登場、各国の美しい民族衣装と楽しい踊りを披露してくれました。

クロアチア

 

ギリシャ

BALKANLILAR HALK DANSLARI FESTIVALIは、1935年にトルコの初代大統領アタトュルクがバルカン諸国との相互理解の為に始めたもので、1935年、1936年にはイスタンブルで行われたものの、それ以降途切れ、2004年78年ぶりにイズミルが、ホスト県として再開したそうです。

トルコ

この日は前夜から朝にかけて激しい雨が降り、開催されるのかしらと心配でしたが、ちょうどステージが始まる17時ごろにはちょっぴり青空が顔を出しました。私達は我が家から一番近いKONAKの時計塔広場へ。途中ぱらぱらと降る雨にハラハラしながらも、私は衣装に眼がくぎづけ!どの国の衣装も踊りもやっぱり共通点、似たところがありますね。トルコチームはたぶん最年少、中学生位の子供達でした。この衣装美しくて、コレクションしたい位好きなんです。子供達のきらきら輝く瞳の美しさにはかないませんが。

 

 

久しぶりにスカッと晴れた昨日は夕焼けがきれいでした。 

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IZMIR´DE HATAY GUNLERI(イズミルでハタイ週間)

2011-10-09 00:44:02 | イズミル暮らし・イズミル案内

HATAY(ハタイ)県は、トルコ最南に位置し、シリアと国境を有しています。1939年にトルコに編入されたということもあり、アラブ人、アルメニア人、そしてキリスト教徒など他民族が共生しています。10年ほどに旅行者としてHATAYのANTAKYA(アンタキヤ)を訪れた時も、他のトルコの街とはちょっと雰囲気の違う細い路地に異国を感じたものです。街を歩く人々は明るく、行き交う人が普通に「おはよう!」と声をかけてくれるのが嬉しくて、もう一度訪れたい街のひとつでもありました。

日曜日に、イズミルのKULTUR(文化)公園で開かれていたペットショーに出かけたのです。大型犬、特にトルコ固有の牧羊犬カンガル犬が大好きなので、会場でさわったり一緒に写真を写すことができて大満足でした。さてどこかで何か食べようかと公園の中をぶらぶらしていると「IZMIR´DE HATAY GUNLERI(イズミルでハタイの日々)」の看板、別の会場でHATAYの物産展の様なものが開かれている!

展示ホールの外には、日本のデパートの観光物産展の様にたくさんのブースが出ています。HATAYと来れば名物「キュネフェ(カダイフという細い麺の間にチーズを挟んでオーブンで焼きシロップをかけたもの)を食べよう!」と思ったのですが、他にもおいしそうな屋台がずらーっ、ここでお腹がいっぱいになっては他のものが食べられないと、とりあえず写真のみ撮影。

お肉を焼く煙とにおいがあちこちから上がっていますが、まず最初に食べたのは、下のKADAYIF DOLMASI(カダイフドルマス)、当然甘いんですが、とっても上品な甘さで想像以上に美味しかった。揚げたてということもあるのでしょうね。半月型のもの、名前を聞き忘れましたが、中にKAYMAK(カイマク=トルコの生クリーム風)が入っているそうです(TAS KADAYIFI(タシュ=石カダイフ)と言うらしい)。

リング状のものはMUSEBBEK(ミュシェッベク)、イズミルでも同じ外見のものを見たことがありますが、MUSEBBEKという名前はHATAY固有のもの。チュロスに似ていますね。

キュネフェの屋台と同じ位多いのが各種ケバブ(焼肉)の類、店員のお兄さん達が元気で活気があり一番はやっていた「KAGIT KEBABI(紙ケバブ)」を食べてみることに。名前の通り、肉、玉ねぎ、トマト、マイダノス(パセリ)を大きな包丁で刻み、紙の上に乗せてオーブンへ。

焼きあがったものをナン状のパンにはさんでいただきます。辛いのかと思ったら、「残念ながら辛くないんですよ」と言われました。かなりのボリューム。見た目よりも意外にくどくなくソフトな味でした。

さすがにお腹いっぱい、キュネフェが入る場所がない・・・と帰り道につこうとした時に目にはいってしまったこれ!BICIBICI(ビジビジ)!!!HATAYのお隣り、ADANA(アダナ)県で食べられているもののようです。夏に思い出す日本の美味しいものNO.1のカキ氷、トルコでは氷自体を食べることがあまりありませんが(ファストフードの飲み物にもほとんど入っていません(^'^)、ADANAではBICIBICIなるものがあるとうわさで聞いて一度食べてみたいものだと思っていたのです。お腹いっぱいだけど、研究の為には食べなければ…。

とてもキメの細かい氷の下にある杏仁豆腐のような白いもの、これはコーンスターチと砂糖で作ってあるそうです。これが土台、この上に氷を乗せて、シロップ、バラ水、粉砂糖をかけて出来上がり。氷はどうやって削るのか、このお店で見ることはできませんでしたが、以前TVで金物の鰹節削り器の様なもので削っているのを見たことがあります。味は・・・日本のカキ氷が一番かな。

その他にも美味しそうなものがたくさん!職人さん達も元気がよくて皆さんいいお顔をしていらっしゃいます。結局キュネフェは、イズミルでもお店で食べることができるから、と言うことで断念。活気のあるHATAYの風をIZMIRまで届けてくれてありがとう!

 

 

いかにも後から付け足したと言う感じですね、HATAY県。

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TURK JAPON DOSTLUK KONSERI(トルコ日本友情コンサート)

2011-09-19 22:22:04 | イズミル暮らし・イズミル案内

9月16日、イズミルのアフメドアドナンサイグン芸術センターでTURK JAPON DOSTLUK KONSERI(トルコ日本友情コンサート)が開かれました。この日演奏された曲は向山精二さん作の「紀伊の国交響組曲」の第5楽章「友情」。奇しくも121年前の1890年9月16日、オスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が現・和歌山県串本町沖で遭難し650人の乗員のうち500名余りが亡くなるという大惨事がありました。生存者達は村人たちの献身的な介護により無事に母国に戻ります。日本とトルコの友情の始まりともされるこの事故から更に95年後の1985年、今度はイラン・イラク戦争でテヘランに取り残された日本人215人がトルコ航空機により救出されるという出来事がありました。

この二つの出来事に感激した和歌山県在住のアマチュア作曲家向山精二さんは、2つの出来事を音楽で表現、向山さんが10年前から取り組む「紀伊の国交響組曲」の第5楽章「友情」としてまとめられました。

~第5楽章は2つのパートに分かれる。その1『九死に一生』は、テヘランからの救出劇がテーマ。中東の不穏な雰囲気から戦争勃発直前の救出、感謝に至るまでを6曲で、その2『エルトゥールル号の軌跡』は、トルコ出航から日本での拝謁、帰路の台風、遭難、救出を経て友情がめばえるまでを10曲で表現した。この中に、感謝と、両国の人を讃える詞を挿入し、合唱団が日本語、トルコ語で歌い上げる。また、演奏中は向山さん自らがトルコの空港で撮影した映像をはじめ各事件にかかわる映像をバックに流し、実感してもらう考えだ。
 向山さんは「日本とトルコ、両国の人による命と命の助け合い。これこそが真の友情。曲を通じて後世に伝えて行きたい」と目を輝かせている。~
ニュース和歌山2010年9月18日号掲載記事より抜粋。

この着物姿が様になっているトルコ人の司会者は、現在大阪大学博士課程在籍のHALITさん。我楽亭 ハリト(わらってい・はりと)という芸名の落語家でもあるそうです。

コンサートは2部構成、1部の後にサプライズゲストが!テヘランへ日本人救出の為の飛行機を操縦した機長オルハンさんが会場にいらっしゃったのです。86歳ですが矍鑠としていらっしゃいます。

休憩時間に一言お礼を言いたいと、思い切ってオルハンさんの側まで行きました。どのように救出に向かったか、任務を拒否することなど考えもしなかった、その時の日本人の様子、天皇陛下からの勲章を受け取ったことなど、きっともう何回も説明されていると思いますが、しっかりとした口調で休憩時間が終わるまで話して下さいました。恥ずかしながら(?)私も「日本人としてとても感謝しています」と伝えることができました。

そして2部の後にもサプライズ。今度は遭難したエルトゥールル号から生還した69名の一人テヴフィックさんの娘ムザッフェルさんでした。120年前に兵隊だったお父さんの娘さん、一体おいくつなのでしょう。しっかりとした足取りで舞台に上がり「父はどのように助けられたかを生涯話し続けていました」と説明してくださいました。

向山さんの曲と映像で蘇ったトルコと日本の友情物語、お二人のサプライズゲストで更に生き生きと熱く心の中に刻まれました。エルトゥールル号遭難とテヘラン救出、どちらも一人でも多くの日本人とトルコ人に知って欲しい出来事です。

 

 

アダナへ引っ越してしまった日本人嫁仲間まめさんから、

 アダナの街角で売っていたこれ、一体なんでしょう?

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GULE GULE(ギュレギュレ)!

2011-08-22 09:49:04 | イズミル暮らし・イズミル案内

GULE GULEと言うトルコ語は、直訳すると「笑って、笑って」。新しいものを買った人に「GULE GULE使ってください」と言ったり、髪の毛を切った人に「GULE GULE伸ばしなさい」と言ったりします。そして一番よく使うのが訪問を終えて暇をする人、旅立つ人に見送る側が「GULE GULE」と言います。

お土産を買う時間もあまりなかったこの5日間、最後に空港近くの大きなマーケットに寄ってCOSKUNさんのお店の従業員さんにお土産購入。最後にアイスも食べて心残りのないように。

空港でチェックイン手続きをする時も、お茶を飲む間も別れの時間が近づくことを考えないようにしていました。4泊5日、ぎっしり詰まった思い出と笑顔を残してくれたCOSKUN一家、見送る私達「GULE GULE」と言いながらも、胸いっぱい、涙いっぱい。ゲートに消えて行く5人が見えなくなり涙の夫。急に二人ぼっちになってしまって、つい夫にまとわりついている子供達を探してしまいます。

5人ではるばるイズミルまで来てくれて、私達と一緒に過ごしてくれてあ りがとう!

でもやっぱり「我が家が一番」って顔だね。

 

 

仲良しだね~!

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COSKUN一家@男同士

2011-08-17 13:51:43 | イズミル暮らし・イズミル案内

まだCOSKUN一家ブログです。彼らとの日々もこんなにゆっくりと過ぎてくれていたらよかったのに。残りわずかな夏休み、父ちゃんと一緒にリニアモーターカー博物館へ行ったり、母ちゃんと一緒にコロッケ作りをしたりの子供達の様です。

イズミル4日目、朝一でパザルへ出かけました。夕飯の材料を買い込み、偶然配っていたロクマもゲット!その後女組+三男のYALIN君は我が家でゆっくり、男組はイズミル市内乗り物ツアーに出かけました。

イズミルの乗り物は、METRO(地下鉄)、IZBAN(近郊電車)、VAPUR(フェリー)、OTOBUS(バス)があります。日頃公共交通機関を使うことのない夫の案内で果たしてうまく乗換えなどできるのかしらと心配していたら「僕はトルコ人だ」と返事が返ってきました。それが一番心配なのですが・・・。

 

でもやっぱり言葉は通じなくても気の合う男同士、想像以上に色々なことを体験できた様です。イズミルのシンボルSAAT KULESI(時計塔)で鳩に餌をやったり、METROとIZBANを乗り継いで出かけたKARSIYAKA(カルシュヤカ)の街では、食べたかったDONER KEBABI(ドネルケバブ)のサンドや待望のDONDURMAを食べました。

KARSIYAKAからフェりニーに乗ってこちら側に戻ってからは、絞りたてのフルーツジュースを飲んだり、COSKUNと夫はNARGILEと言う水ギセルを嗜んだり、トルココーヒーを飲んだり。その間長男のGOKSEL君は椅子に腰掛けた途端に爆睡!よく歩いてよく寝て、小さい身体にそれなりにエネルギー補充をしていたのでしょう。

たっぷりの予定を予定以上にこなして元気に帰宅。そしてこの日は、夫の誕生日でした。このイズミル訪問が決まった日から4ケ月あまり、サプライズを準備してくれていたCOSKUN一家、GOKSEL君とFURKAN君は紙粘土で作った鍵かけをプレゼントしてくれました。

大感激の夫。この日に合わせて来てくれたことを知って夜になって一人で感動をかみしめていました

 

 

大2個、小2個、お店の人も優しいのです。

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COSKUN一家@DENIZ(海)

2011-08-12 08:49:42 | イズミル暮らし・イズミル案内

COSKUN一家のイズミル3日目は海へ出かけました。車で1時間ほど私たちが毎年行っているALTINKOY(アルトゥンキョイ)というところにある小さな入り江、数年前まではいつもすいていたのに最近は週末になると芋のこ洗いの状態、でも今回は平日でしたから適度な混み具合です。ビルテンと日本人のNさん一家もお誘いして総勢11人でいざALTINKOYへ!

途中でパン購入も済ませました。COSKUNは本業の商品研究?も忘れません。GOKSEL君とFURKAN君が日本から背負ってきたリュックは自分達で必要なものを詰めたそうですが、中には浮き輪やシュノーケルに水鉄砲、海グッズが入っていたそうです。

お兄ちゃんのGOKSEL君は、海へ入ったまま出て来ません。小さい時はおとなしくて控え目という印象がありましたが、トルコでのGOKSEL君は物怖じせずにトルコ人にもはっきり日本語で言いたいことを言い、リラックスしっぱなし。楽しみにしていた海でパワー全開でした。

FURKAN君は、海との相性はあまり・・・それなのにちょっと沖の方まで連れて行かれ・・・こんな表情。でも砂遊びをして少し元気になったかなあ。

三男YALIN君はまだこんな泣きべそ顔でトルコの海デビューは次回かな。

海で過ごして疲れた後は、皆でごはん。YALIN君のかわいい泣き顔をお楽しみ下さい~!

ただいまラマザン(断食月)中、日の出前から日の入りまで一日約16時間ほど飲食ができない1ケ月です。そんな時間はちっとも過ぎないのに、楽しい時間はするする~っと過ぎてしまいますね。

 

 

日焼け止めも忘れずに!

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COSKUN一家@イズミル2日目

2011-08-07 00:38:36 | イズミル暮らし・イズミル案内

友達の名前の響きがトルコ人にとってトルコ語のCOSKUN(ジョシュクン)に似ているらしく、彼のことを夫は最初からCOSKUNと呼んでいました。三兄弟がそれぞれ生まれた時、友達夫婦は私達にトルコ語の名前をつけて欲しいと言ってくれました。生まれるたびにどんな子供になってほしいと言う友達夫婦の願いをもとに、私達が考えた名前リストを提出し、選んでくれた名前は長男・GOKSEL(ギョクセル)、次男・FURKAN(フルカン)、三男・YALIN(ヤルン)です。

彼らがイズミルに来る前に、イズミルでしたいこと、行きたいところ、食べたいものリストを出してもらいました。家族会議の結果は海で遊ぶDONDURMA(アイスクリーム)を食べるイズミルで一番美味しいパン屋に行く地下鉄、電車、フェリー、バスに乗るマンガル(BBQ)をする遺跡に行く、でした。さて滞在期間正味3日間で一体どれだけのことができるかな。

イズミル到着翌日はゆっくり眠りたいかな?と思っていたのですが、長野で「BOULANGERIE VOISIN」と言うパン屋を営んでいる一家にとって朝は早起き!散歩まで済ませて9時にはシャキっと集合でした。

行き先はAYVALIK(アイヴァルク)。海辺で魚を食べたり、街を歩いたり、モスクを見てみたり…そして最後にマンガル!早寝早起きの一家にとって遅すぎる夕飯となってしまいましたが、眠たい目を必死にあけながらたくさん食べてくれましたよ。

GOKSEL君は完全に沈没していましたが、最後には起き出して夫からマンガル奉行の指導を受けていました。お店のオーナーにも「うちで働きなさい!」とスカウトされていましたよ。

 

 

蚊がすごかったねー!左からYALIN,GOKSEL,FURKAN.

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HOS GELDINIZ(ようこそ)!!!

2011-08-02 13:15:08 | イズミル暮らし・イズミル案内

今住んでいるこの家に引っ越したのは2005年3月の末でした。翌4月の5日に初めて日本からのお客様がありました。それから6年、二人だった家族は私が日本へ里帰りするたびに増え、今や5人の素敵な家族となりました。

今年の春に帰った時も、わざわざ私の実家まで新しく生まれた赤ちゃんを見せに来てくれました。そしてその後の家族会議で「イズミルへ行きます!」と決定。

まだまだあると思って待ちに待ったこの3ケ月、そしてイズミル滞在の4泊5日はまさにあっという間、夢の様に過ぎ去っていきました。7月25日21時5分着のイスタンブル発トルコ航空で5歳、3歳、8ケ月の男の子3人を連れて一家は到着しました。

飛行機の中で着たと思われる私たちが「いつかまたトルコへ来る時に着てきてね」とプレゼントしたトルコ国旗柄のTシャツを着た5人の笑顔が見えた時は私達二人とも既にウルウル・・・。自宅を出たのが日本時間の25日3時、イズミル到着が21時。時差6時間があるので丸々24時間の長い旅お疲れ様でした!

男の子3人を連れて来てくれるだけでも十分ありがとうなのに、この救援物資の数々・・・。感謝の言葉をいくら連ねても足りません。ありがとう!

 

 

 

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SELCUK(セルチュク)

2011-07-18 16:59:13 | イズミル暮らし・イズミル案内

 イサベイジャーミー

夕べ12時半頃お風呂にはいっていると電話のベルが鳴っていました。こんな遅くに何事?とドキドキしていたらテイゼ(夫の叔母)からで、「サッカーのワールドカップで日本女子が優勝した」との知らせでした。アメリカと決勝と言うことは知っていたのですが、まさかトルコで生中継をするとは思ってもいなかったので、実は忘れておりました・・・。お風呂からでてすぐにTVをつけたらちょうど表彰式のシーン、外見や動きがまるで少年の様だけれど撫子達の美しい笑顔、泣けました。

 セルチュク様式のおもかげが

ブログ、さぼり気味です。暑くて・・・。日本はいかがですか?節電の夏、きっと通勤大変だろうなあと家の中で暑さに悲鳴を上げているのが申し訳ない。イズミルの日差しは本当に首筋や腕がじりじりと音を立てて焼けるように感じます。買い物やお出かけは午前中にできるだけ済ませるようにしています。

 

聖ヨハネ教会からイサベイジャーミー

大分前になりますが、コウノトリがたくさんいたSELCUK(セルチュク)の街、かつてはギリシャ語で「神学者ヨハネ」をあらわす「アギオス・セオロゴス (Agios Theologos)」と呼ばれたり、オスマン帝国時代には「アヤスルウ(Ayaslug)」、そして1914年にはかつてこの地を支配していたセルチュクトルコにちなんで「SELCUK(セルチュク)」と言う名で呼ばれるようになりました。

セルチュクにあるエフェスの遺跡は10回以上行っていますが、セルチュクの街自体は通り過ぎるばかり。ましてや街のど真ん中にこんなに立派な遺跡が残っているとは・・・。

街には古い水道橋の遺構が残っていたり、緑豊かな公園があって、それほど新しい高層ビルもないせいで落ち着いた古都のたたずまい。ISA BEY CAMII(イサベイモスク)も本当に街の中心に位置しています。アイドゥンの君主によって1375年に建てられました。19世紀にはキャラバンサライ(隊商宿)として使われていたこともあったそうです。

 セルチュクの城壁

このモスクに隣接してSt.Jean Kilisesi(聖ヨハネ教会)があります。聖ヨハネは、晩年にエフェスへやって来てここで福音書を書いたと言われているそうです。セルチュクの街が一望できる教会の北側にある城壁はセルチュクの街のどこからでも見ることができるのですが、現在閉鎖中でした。

 

 

やったー!

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