山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

我が街中歩(様々な事柄が、我が脳裏を過る)

2021年01月04日 | 我が街中歩
2020年11月14日の治水緑地東方のメタセコイア並木

2020年12月28日(月)
『我が街中歩』
<様々な事柄が、我が脳裏を過る>
成田山不動尊の奥の院(開)にお参りし、本堂にもお参りして、いつもの道を行く。
打上川治水緑地には東方より入り、直線路のみを歩いて西方より、緑地を離れ、上観音橋を渡り、いつもの道で帰路につく。
今の季節、陽が昇って来るのは7時頃。僕が毎朝、打上川治水緑地を通るのは、5時から6時過ぎ頃にかけてからが殆どだ。
それゆえまだ暗いので、12月に入ってから、いつしかカメラを持って出掛けなくなっていた。
ところが今朝は、目覚めが遅くなり、スタートが6時47分といつもと比してかなり遅い時刻であった。
しかも雨が落ちていたが、それらが功を奏したのかも知れない。
それは、やって来た打上川治水緑地には、人ひとりたりとも居なくて、いつもならけっして見ることがない情景が拡がっていたからだ。
治水緑地に居たのは僅か5分余りだったと思う。
その5分間に、我が眼に飛び込んで来た直線路から南方にみる清閑な緑地は、
もしかすれば、今までに見た治水緑地のどれよりも秀麗なものだったのかも知れない。
ソメイヨシノ始め落葉樹の木々が葉っぱを落とし、治水緑地の隅々まで僕の視界が届くという透明感溢れる景観に、
殊の外、美を感じたのかも知れない。
黄金色に輝くメタセコイアの並木と、まだ僅かだが、足下に咲く水仙が緑地に彩りを添えていた。
治水緑地を離れ帰路を行くときに、我が脳裏には蘇ったのは20年も前に逝った長女のK世子であった。
K世子なら今朝の治水緑地の景色を、キャンバスにどのように描いたのだろうかという思考と、
また何でだか分からないのだが、上さんが逝く姿を僕は見たくないよなという思考があった。
いつもそうなのだが、朝、歩いている間、様々な事柄が、我が脳裏を過る。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« フリージア(大石山の家にて) | トップ | ベニヒカゲ(高山蝶の一つ) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

我が街中歩」カテゴリの最新記事