秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

島左近の墓。

2011年09月24日 15時33分11秒 | 京都非観光迷所案内

 本日は次の仕事の打ち合わせのため、西陣の静宥寺境内で待ち合わせ。約束の
時間より30分以上早く到着したもんで、界隈を少し探索してみました。

小さな寺が散在している路地を歩いていて、フト目にとまったのが「島左近の墓」と
記された石塔。ん?左近さんは確か関が原で討ち死にしたはずでは?

なぜに、このような場所に墓があるんだ?ご存知の方も多いと思いますが、西陣一帯
法華宗徒の街と言っても過言ではありません。(以前、ちょっとお話しましたね)

加藤清正も熱烈な法華宗徒でしたから、左近さんもその宗徒だったからこの寺に墓が
あるんだろうか?なんてコトを思いつつ墓所へ足を踏み入れてみました。
        

(資料を後で調べてみたら、左近さんは関が原から落ち延びて京の町に潜伏した後、この
地で没した、とあります。その真偽はともかく、アタシャこの墓は今まで知りませんでしたネ)

墓の存在を示す小さな石塔に導かれ、墓前にたどりつきました。実は入り口正面に見えた
古い石塔と間違えてしまったんですけどね、最初は・・。

何となく、コチラのほうが墓所全体を見渡すような位置にありましたから。↑

実際は途中で左に折れた奥に位置していたのですが、周りの墓とさして違いもないもんで、
見落としていたのです。

これがあの黒田家や、徳川家康を恐れさせた猛将の墓?ちょいと拍子抜けする気もしたけど、
関が原の戦いの後、隠棲者として暮らしていたという話ですから、うなずけるモノもありますナ。

なんだか、頭?に巻かれた針金が痛々しい気が・・・。↓
        

墓所で一匹の野良猫を見かけました。私がお参りを済ませると、そいつは「墓だけ参って本堂を
参詣しないのは片手落ちだニャ」とは言ってないけど、路地を挟んだ立本寺へ案内してくれました。

なるほど、立て札にも書かれていますナ。↓

 

この若干、荒れ果てた雰囲気、もしかしたらワタクシ好みかも?

 

        

↑鐘はナイけど、鐘ツキ堂。鳩の家になっていました。

猫?ですよね、コレ。猫の何に注意したらよいんだ?まさか野生の豹がうろついているとか・・?

        

もう少し近辺を散策したかったけど、約束の時間がきたもんで、本日はここまでで終了。西陣界隈
には多くの寺がありますが、ほとんど未公開の寺です。でも観光地化されていないホントの京の息
遣いを感じてみたければ、静かに散策してみるのも良いかも知れませんね。

    立本寺