秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

伊藤若冲の羅漢。3.

2008年03月12日 18時33分44秒 | Weblog
初めて若冲の作品展でその絵を目にした時は衝撃でした・・・。
若冲は最初狩野派の絵を学んだ、といわれますがそれを証明する資料は無いそうです。
  
中国・宗原画を模写し続けて独自の画法にたどりついたということです。

中央画壇を離れ、奄美で自分の描きたいものだけを死ぬまで追求した「一村」にも
通じるものがあるのでは、と、私には思えます。

  

若冲は1716年、錦小路の青物問屋の長男として誕生。23歳で父の死去で家業を継ぎ
40歳で隠居して、弟に家督を譲り、作画三昧の日々。生涯一度も結婚もしていません。

  

若冲の名は禅の師であった、相国寺の大典顕常から与えられた居子号です。
↓賽の河原
  
天明の大火事で焼きだされたために、この庵に妹と住むようになり、それから羅漢
の制作に打ち込んだ、という説もあるけど、残された石仏の数からしてもそれは?ですね。

というのは、天明の大火事は1788年ですから、若冲はすでに70歳を越えています。

  

天明の大火事、というのは京都の歴史でも史上最大といわれています。
団栗橋(この前紹介しましたね)付近から出火、二昼夜燃え続けて、二条城や
御所も消失。3万5000軒の家が燃えてしまったそうです。

  
寺からは伏見の町や京都の街が見渡せます。焼け野原になった京都を見た若冲の
心中はどのようなものだったんでしょう。

今回はナゼか突然、羅漢が見たくなって出かけたんですが、何かのメッセージが
送られてきたような気がしてなりません。

誰が何のために・・・。それは今はまだわかりませんケド。

さて、本日から金沢催事です。しばらく京都のお話は休憩。

話は変わりますが、「幽」という月間誌がありますが、投稿怪談のコーナーが
あります。そのテのお話がお好きなかたはどうぞ。
kwaidan@mediafactory.co.jp

久しぶりにサンダーバードに乗車。
とどこおりなく金沢に到着、といいたいトコだけど、信号機のトラブルで1時間以上
の遅れ!!とりあえずただいまチエックイン。さて夕食はどうしよう。







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