秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

柏原散策。

2013年03月28日 11時49分00秒 | 旅ゆけば

 相方の仕事が兵庫県の氷上ってトコでありまして。最終日、たまさかワタクシ、
体が空いていたもんで、「なんだったら、迎えにいきまひょか?」ってな話になりました。

「しんどかったらエエよ~」と相方はのたまいましたが、ここ数ヶ月、ほとんど京都を
離れることが無かったワタクシ、気分転換をかねてハンドルを握ることと、なりやした。

と、いっても高速を利用すれば1時間ちょっとの距離なんですけどね。しかし私の場合
時間があるときはなるべく地道を走りたい人間であります。

そこで9号線から亀岡へ、そこからは「デカンショ街道」を経て176号線を北上、「柏原」
に到着。催事会場のある近辺は典型的郊外型都市(というか村に近いか)で、コレと
いって興味をそそるモノがなかったので、手前の「柏原」を催事終了の5時過ぎまで
ブラブラ歩き。

ところで、「柏原」の読み方ですが、一般的には「かっしわばら・よっしえでぇ~す」(こりゃ
また古い話であいすいません)の「かしわばら」だと思うんですけど、実は違います。
(もしくは「かしわら」)

「かいばら」、と読むんですわ。どうしてこんな読み方をするのかは、分かりません。興味
があまりナイから調べる気もない。


これがJR福知山線「柏原駅」。なんとなく「道の駅」風ですナ。いや、もともと鉄道の駅があって
「道の駅」は後からできたんだから本末転倒か。(日本語の使用方法、間違ってたら先に謝っと
きます)

いつものごとく、いきあたりばったりで決めたもんで、下調べもなんもなし。こんなときは、まず
駅中の観光案内所で情報収集。

で、待合室に足を踏み込んだ・・・。「案内所」、アリマヘン・・・・・・・・・・・。

慌てない慌てない。別に土産物買うために訪れたんじゃないし。こんなときは近辺を見回して、
マップを見つけりゃいいんです。

「観光マップ」ありましぇん・・・。置いてあるのは「有馬」や「城之崎」のチラシばかり。

そこで最後の手段、窓口の駅員さんに「あの~、この辺りの観光地図ってないですか?」
と尋ねたら一瞬怪訝な顔をされたけど、引き出しをアチコチ開けて、やっと一枚の地図を
手渡してくれました。もしかして最後の一枚かも?

その貴重な地図を手にまずは駅近辺を見渡してみます。
 
ダレも憩ってない。↑
 
おっ、ちゃんと観光案内の看板もあるではないですか。しかし旧式のポストまでスポットに
してしまうとは・・・。ま、珍しいっちゃ珍しいけど。↓
         

一応城下町(いや、失礼)なんだそうで、まずは町並み拝見。
  

  
  
これは近年作られたモニュメントですが、もとのモデルはコチラ↓
  

織田信長の次男信雄の子孫が柏原藩の藩主ですが、この「太鼓やぐら」はそれ以前の前任地
であった宇陀時代の墨書銘も確認されているそうです。

織田家廟所や柏原藩陣屋跡、新井(にい)神社なども散策したかったけど、この日は精力的に
観光する気もなかったので、とりあえず近場で間に合わせときます。


これはチョッチ感動モンでした。「木の根橋」といって樹齢1000年の大けやきの根が橋の
ように川を渡っています。丹波攻めの折、明智光秀がこの辺りに本陣を構えたとか。

 
その近所の観光案内所。当然閉ってます、観光客なんて一人も見かけなかったもんね。

ここからすぐの八幡神社がちょいと気になったもんで、足をそちらに向けます。ちょうど小中学校
の下校時間でありました。すれ違う子供たちがみんな「こんにちわ~」、と声かけてくれます。 

ん~!いいではないか、別に観光客なんて来なくっても!「お買い物マップ」(後で豆腐店で
入手)に記載されている店が数件消滅していたって、それがどうした。
 

八幡神社なんて別に珍しくもないや、てな理由があったのかどうかは知らないけど、この社は
マップではとりあげあげていません。
    
この石段を見て、ちょいと怯みましたけど・・。丘の高さからしてコレはほんの序の口
であろうことは間違いナイ。

ま、ここまで来たからにゃ、なりゆきじょう仕方ないやね。途中の山門で一休み。
  

 

 

    
やはり、社は一人静かに参拝するもんだ、と再確認。常日頃、神殿に向かって
手を合わすこともないヤカラが、なぁにがパワースポットで力を貰うダ。

おっと、いけません、ヒネクレ爺にまた変身しちまうトコでした。(もう手遅れかも)





   
だ、そうです

   

サテ、ボチボチ相方の催事も終わるころだけでど、もう一箇所どうしても
観ておきたい場所があります。

それが「おさんの森」。近松や浄瑠璃に興味のないヒトなら、「ナニ、お産の森?
産婆(これも死語ですナ)が住んでいる森のこと?」なんて思ってしまうかも。

ここで話をすると長くなってしまうから今回は簡単に済ませますけど、京の大経師
の妻「おさん」と手代の茂兵衛の不倫疑惑を主題にしたお話です。

      

 

「おさんの森遺跡」には真新しい鳥居も建ってますけど、ワタクシ的には、このような鬱蒼とした藪の
ほうが「道ゆき」の花道にふさわしい気もするんですけどね。
     

おまけ。
  

  
なんだか伏見人形と相通ずるものを感じます。丹波地方は土師師の暮した土地ですから、その
辺りに共通点が見出せるかも知れません。

なんてまたいい加減なコト言ってますけど、いいんです、個人的ブログですから・・・・・。