HITOMIのおくに(ちょこっと日記)

瞳にうつる たくさんのもの・・・日々を(出来れば面白く)書きたい、ちょこっと日記です。

義祖母の異変

2021年01月14日 | 結婚生活

義祖母の仕事を手伝うように言われ始めて、少しずつ手伝うようになった。
仕事と言っても、義祖母が高齢のためしんどくなった雑事を、
代わりにワタシがする、ということだ。

通帳の記帳、掃除、業者が来る時のお茶出し。
そんなもんだ(苦笑)

子供たちが皆就学して、時間のできたワタシは、空き時間を自分のことに遣うことにした。
習い事を始めたのだ。
しかし、習い事を終了し携帯電話を見ると、義祖母からの着信が
履歴にギッシリと残ることが増えた。
電話をかけて、用事を聞く。
それは、急ぎの用事などではほとんど、なかった。

ただ、『自分の思い立ったときに出来ないと気に入らない』という性格が
履歴として残ったということだ。
帰宅してその用事を済ませるのだが、その時は精神的にやられるほど嫌味を言われる。
そんなことが続いたので、半年で習い事を辞めざるを得なかった。

家のことをしながら、義祖母の思い立ったときに動くという日々。
不思議と、ワタシを自由に動かせることが分かってからは、
用事はパタリと減った。

それからしばらくして、義祖母に違和感を覚えた。
同じ話をする(これは誰でもあることとして)、
「家政婦協会で家政婦さんを頼んだけれど、家事をしてくれるのはいいけど、
 椅子に座って話をするのがおかしい」
「この間なんか、若い子が来たけど『寝不足なので寝かせてください』と
 床で寝ていた」
などなど。

考えつくものとして、家政婦協会で家政婦さんを頼んだのではなくて、
ヘルパーさんを頼んだのではないか、ということ。
ヘルパーさんなら、話の傾聴という項目があるから
座って話をするということも、考えられる。

極めつけは、その家政婦さんが盗んでいく、ということを言い始めたことだ。
お金、家にあるものが無くなっていく、と。
直近の記憶が曖昧になって、今日の日付を何度も聞くことが増えた。

義祖母は家政婦さんに不信感を覚えて、解約したと言った。

そのうち、自分の食事さえ「食べていない」というようになり、
夫はワタシに介護するように、言った。
まだ義祖母は自分のことは出来ていたので、自分でできることはしてもらい
ワタシは毎日、掃除と洗濯、昼食と夕食を作って、持っていくことになった。
昼食は自分の分も一緒に作り、一緒に食べた。

お盆に食事をのせて運ぶワタシを、お向かいのおばさんは見ていたようで
優しい声をかけてくれたことを、今でも思い出す。
そんな中、その話を聞きつけた姑が弟を伴って、来た。

義祖母に会った二人は、口をそろえてこう言った。

「全然、ボケてないじゃないの。あの人、正常だわ」

そうなのだ。
認知症の人間というものは、たまに会う人間にはしゃきっと答えるものなのだ。
認知症に対して、まったく知識もなく、勉強すらしていない姑たちは
好き勝手にものを言っていく。
それにワタシたちは、何度も傷ついた。

そのうち、姑から伯母に話が行ったようで、
ワタシに全面的に介護させるのは申し訳ないと、
週一回、来てくれることになった。
その日だけが、ワタシの休みの日になった。

しかし、これが、家族間での相続を視野に入れた目論見があるとは、
ワタシは気付いていなかった

コメント
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