犬の散歩

見たこと、聞いたこと、感じたこと、思ったこと

どこでもムクドリの群れと出会う

2014-05-29 07:23:57 | 日記


 6時10分に犬の散歩に出掛ける。今日は木曜日。

 丘陵の裾道を梅林の下から上がり上の山古墳前を通るコースを歩く。

 どこでもムクドリの集団を見掛ける。住宅地、畑、野原、道端、田などどこにでもいる。ちょっと濁った音が混じった大きな声で鳴く。行動も大胆である。市の施設の芝生の上で土を突っついていた。虫を捕まえているのだろう。われわれと3,4mしか離れておらす、こちらに気付きながらも逃げようともしない。犬は他のことに気を取られてムクドリには気付いていなかった。

 ヒメジョオンが目に付く。茎を折ってみたら芯は半透明のゼリーのようで中空はない。あったらハルジョオンだ。

 道路に黒いムカデが死んでいた。しばらく行くと茶系統の色をした子ヘビが死んでいた。共に車にひかれたのか。

 7時10分に帰着。




 昨夕の散歩について

 4時10分に犬の散歩に出掛ける。横浜の親戚がリードを持ってくれた。これまでと同じコースを歩く。

 グラウンドの草地でイチモンジセセリが草の上に止まったかと思ったら一瞬でどこかへ飛んで行った。昔はこれを捕まえて草の穂の実をこそいで除いて輪っかを作り腹に結び餌として、魚釣りの要領でトンボを捕ろうとしたものだ。成果の程は記憶にない。

 アシナガバチが細い足を下に自然に垂れて水平方向に餌を求めて飛んで行く。アシホソナガバチと改名すべきではないか。
 巣を取ろうとして、かつて刺されたことがあるにしても、普通、人間にあまり攻撃的でないのは好感がもてる。
 巣を採ったのは幼虫をニワトリにやるためであった。ニワトリは卵を産む。肉にもなる。
 ハチの巣から幼虫を引っ張り出し、その時、口を動かして親からの餌を期待しているのに自身が餌になってしまう瞬間の運命を知るよしもなく通常の行動をするだけだった。薄い膜が上に覆っているのは蛹である。蛹にもいろいろな段階がある。幼虫から蛹になったばかりの形はハチだが白く柔いもの、もう、黄色と黒の硬くなったようなものまで展覧会のようだった。膜を取り除き投げやると幼虫の時と同様にニワトリは我先にとついばんだ。取ったニワトリを他のニワトリが追い掛ける。ニワトリ小屋はコッコ、バタバタと騒ぎ回るニワトリで運動会か祭りのように賑やかになった。何かが犠牲になって盛り上がる。
 そんなに美味しいものなのか。こちらの口に入れることなど考えも及ばなかったが、昆虫食の習慣のある地域やハチの幼虫の缶詰があることを知ったのは後年になってのことである。毒のある生き物は美味しいのだと思う。偶然かも知れないが、美味いもので毒をもつものが生き残っているということだ。

 ハンミョウの仲間か6本の脚を全部開ききって万歳をして上昇していた。

 ユウマダラエダシャクがどこからか飛び立ち、恰も鳥でも大型の虫でも捕る練習台に使ってくださいという風に重々しくふわふわと風に揺れていた。

 西から雲が広がり生暖かい風が吹いて来た。この時は大丈夫だったが、6時過ぎには雷雨となった。気温の急上昇で大気が不安定になったのだろう。夕方の散歩はティシャツである。

 5時5分前に帰着。